20240527

私にとって、「自分と向き合う」ということは「自分と向き合えていなかった」ことに気づくことだった。

2024年1月、同棲して犬まで一緒に飼っていた人との婚約が破棄になった。
さすがに2020年8月から付きあい、2021年1月から同棲していたのもあって自分的には別れる理由は複雑だった。ただ、このままだと私は幸せになれないと思ったことだけは覚えている。今後どこかでこの約3年半弱の期間に向き合わなければならないけれど、まだそれはあまりに心理的負担が大きい。
この投稿に至った経緯からまず、向き合っていこうと思う。

2024年3月から一人暮らしを始めた。絶望の中、ひとまず前に進まなきゃいけないという動機だけでしばらく体を動かしていた。大学時代も寮だったし、社会人に入ってもまずは社員寮に入り、そこからの同棲だったので一人暮らし経験がなかった。
今まであった心の支えやサポートがなくなった時、やっと自分の問題点が見えるようになった。ただそれは頭の中で垂れ流すにはあまりに情報力が多く、取り止めもない上に絶望してしまうような内容だから文字に起こすことで整理しようと思い立った。
これはあくまで自分をネタにするためではなく、自分と向き合っていく過程を自分に合ったやり方で残そうというものだ。

具体的に挙げてみてそこに対する自分の今の所の見解を書いてみよう。

前提として、現時点で医者に神経発達症(発達障害をナウい配慮のある言い方にしたやつ)と双極性障害で診断を受けている。元々社会人一年目でうつ病になったのをきっかけに辿り着いた診断だ。思春期あたりからの心の問題はさておき、今なぜこうなってるかへのヒントになっている気がする。

【一人暮らし始めて問題だとわかった点】※星5で優先順位もつけてみる
1、生活能力がない  
・金銭管理ができない ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
- 割とちゃんとした企業で休職期間を含めると4年以上働いている。通常だったら多少は貯金はあるだろうし、生活に困るなんてこともないはず。しかし、驚くほどに生活に困窮しているんだこれが。給料日数日前には残高が全口座合わせて1000円もないなんてのが結構ある。同棲していた時は月末にまとめて「いくらはらって」と言われてその時にお金を払って仕舞えば済んでいたし、お金がないときは翌月まで立て替えてもらうなんてこともあった。一人暮らしではそうはいかない。家賃を払うだけじゃ生活もできないし、各支払日にはお金が用意できていなきゃいけない。なんならそれを払った後でもある程度お金が残っていないと生活ができない。当たり前だけれど、寮や同棲の家賃負担があまりに少ないがために生きていくのにはお金がかなりかかるということに気づかなかった。それに加えて衝動買いやら躁状態やらでコントロールができていない出費があることがわかったから、早急に建て直さなきゃいけない。生活できないのはもちろん、通院や薬代も払えなくなりそうだからかなりまずい。

・セルフネグレクト ⭐︎⭐︎⭐︎
- これは難しいところだけど、風呂をキャンセル、洗い物放置、食事を摂らない、ゴミを捨てないなど。ちょっとズレるけど美容院に行かない(金がないだけ)など。1人だと無限にできてしまう。ペットボトルは特に溜まる。かつ、潔癖特性とかなり相性が悪くてかなり自己嫌悪に陥りやすい。でもできないものはできない、だって体が動かないんだもん。まだ虫は湧いていないけどこれからの季節は不安しかない。

2、精神的に病気である
・通院、服薬 ⭐︎⭐︎
- 割とどうしようもないし根気よく付き合っていくしかない。メンクリは役所みたいな時間で稼働しているから仕事中も抜けて病院行かなければならなかったり、服薬しないと翌日調子が悪くなったり、薬に頼らないと乗り切れない時間があったり、そもそも仕事するためにはコンサータ飲まなきゃいけなかったりなど。精神の病気が故に制約があることをやっと自覚してきた。海外出張が決まったはいいが、自分が処方されている薬を持ち込むには申請が必要だとわかったのがきっかけ。

・トラウマ ⭐︎⭐︎
- これもどうしようもない。昔からあるものや最近の色々でできたものなど。引越し先の病院の初診でこれまでの人生の経緯みたいなのを話したときに「それは精神病んでも仕方がないわ」と言われた。今まで自分なんかが被害者ぶっちゃいけないとか、もっと悪い状況の人はいるし自分は恵まれているからと無視していたものに対して、「自分は傷ついた」と言っていいと許しを得た気がした。それを受け入れて徐々に忘れていくのが人生と悲哀の関係なのかもな。

3、自覚のない悪い習慣
・自己開示 ⭐︎⭐︎
- やめたいと思っているけど具体的な悪影響がいまいちわかっていない。ただ本当にやめられない、これ以外で人とうまく関わる方法がわからない。

・不幸のネタ化 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
- 自己開示とちょっと似てるけど、傷ついたこと、不利益を被ったこと、困ってい
ること等をすぐネタにしてしまう。それは多分、自分自身は面白くないから「コンテンツ」を提供しないとっていう思考と、自分をネタにしてでも誰かに構ってもらいたいっていう歪みからきている。これやってると自分でも「ネタだよね」って思っちゃうから解決を避け続けてしまう。少しずつやめていきたい。

・小さな自傷 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
-  自分にとって悪いと自覚していることを繰り返すこと。罪悪感がちゃんとあるのにやめられないこと。自分は幸せになる資格がないという深層心理から向き合えずに逃げている悪癖。アディクション系もここに含まれる。ドラッグ、ギャンブル以外のことは大体当てはまる。これは「不幸のネタ化」とかなり相性が悪い。それに加えてADHDの 依存体質で完全にコントロール不能だし、目を逸らしていた部分も多かったからこれからちゃんと向き合っていかなきゃいけない。同棲時には彼がある程度ストッパーになっていた(あんまりにもまともじゃないと捨てられると思ってた)こともあるが、1人になった瞬間に一気に悪化した。必ずしも自分を傷つけることだけが自傷行為ではないことは、頭ではわかっていたけど自分に当てはまるものだと思っていなかった。これは自分が不幸になるだけでなく、周りの人まで巻き込むから非常によろしくない。支援を得られるようなところから手をつけていこうと思い、禁煙プログラムに申し込んだ。「アディクションを断とうとしている」ということを公言するのはいいことだってTikTokでみんな言ってた。

・「死・破滅」の美化 ⭐︎⭐︎⭐︎
- 「なぜ死にたいと思うことをやめられないのだろう」「なぜ客観的に体に悪いことや希死念慮を取り除いてより良い状態を目指せないのだろう」と考えた時、誰かがそんなツイートをしていたことを思い出した。死や破滅は芸術的に美しいこととして語られがちだが、この体を持ってして死ぬ勇気がないまま生きていく人間にとっては不都合な哲学だ。自分は死ぬこと破滅することに対して魅了されている、とらわれているということに今日ふと気づいた。どんなに元気になるような薬を飲んでいても、この取扱注意の哲学が心にある限りは平穏には暮らせない、今の自分にとっては毒になる(toxic thoughts)ことに間違いはない。

神経発達症(ADHD)、双極性障害の影響はかなり強いと思うけれど、どっちも治るもんじゃないから行動自体を認識してより自分にとって良い選択をしていくしかないことがやっとわかった。
ゴールデンウィークに帰省した際に母に「病気だからって誰も責任取ってくれないんだよ」と言われた。その時はなんて残酷なことを言うんだと思うが、捉え方によっては前に進むきっかけになった気がする。

自分がどうしてこういった行動に及んでいるのか、そうしたときはどういう状態で何を思っているのかはなるべく記録していきたい。日記として制約をつけたりすると続かない気がするので、できる時に振り返りができたらいいなと思っている。

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