キャラクターを見た

菅田将暉主演のキャクターを見てきました。
あまりR指定とかの怖い感じの映画(本作はR12)は見たことなく、ドキドキして見に行ったんですが、普通に楽しめました!(ちょっとグロいですが)
映画館で迷ったら選択するのはありです。

この作品のテーマはタイトル通りキャクターだと思うんですが、キャラクターという言葉をどう捉えるのか、そもそもキャラクターとはなんだろう、と言うことをこの映画を見て考えさせられました。

作品のあらすじを簡単にまとめると、
主人公の山城は魅力あるキャラクターが描けない漫画家だったが、本物の殺人鬼(両角)に出会う。
それから、両角をモデルとして漫画を描くことで、魅力あるキャラクターが完成し、売れっ子漫画家になるが、漫画で描いた内容の殺人が実際に両角の手で起こされてしまう。
これをどうやって解決するかというお話です。

肝になるのは、キャラクターと言う言葉だと思います。
一般的にキャラクターは性格とか人格という意味ですが、ユニークなという意味もあります。
キャラクター=ユニーク、つまりは唯一無二、ということを踏まえて、この作品を見ると、両角の行動が納得いかなくなるんですよね。
山城に会うまではカリスマ殺人鬼(作中での表現)であった両角ですが、山城とあってからは山城が描く漫画の悪役・ダガーが起こした殺人を忠実に表現することに拘るようになります。

なぜ、ユニークな人物であった両角は、山城の漫画のキャラに追随するようになったのか、これが自分としてはかなり謎でした。

いろいろネットでそれらしき答えを探してみたんですが、どうやらこの作品は漫画と小説版も出ており、それぞれ結末が違うようです。
小説には『殺人は伝染病のように移る』というセリフ(映画ではない)があり、これが両角の行動の答えになると思います。
山城と両角が出会った時、両角の殺人が山城に移ってしまった。
だから、両角は漫画のキャラに追従するようになった。
(ちょっと突拍子がない感じはしますが、そこは飲み込みます。)

ただ、この伝染ですが、私は殺人という言葉をキャラクターに置き換えると日常生活でも普通に起こっていることなのかなと言うふうにも感じました

例えば、グループでリーダーシップを取る人がいなくなったら、誰かが代わりにリーダシップを発揮すると思いますし、自分よりしっかり者と一緒にいるとちょっとダラけちゃうけど、自分よりダラけている人といると自分がしっかり者になったり、お金持ちキャラであっても、自分よりお金持ちが出てきたらそのキャラは鳴りを潜めたりすると思います。
そんな感じで人の役割、キャラクターというものは周りとの関係で変化するものだと思うんです。
皆知らず知らずに演じている部分もあると思います。

両角は最後に『僕って何者なんですか』という発言をしていますが、これは見ている人全員に『あなたたちは何もなの』と問いかけているようにも感じました。

その問いに私は、人は性格なんてその時々でいろんな面を見せるから一概にはいえない、自分だけのキャクターを持っている人なんていない、みんな何かしらを演じている、と答えます。

いろいろ書いてしまいましたが、ぜひご自分で見ていただくことをお勧めします。
私が、この映画を見て感じたことは、他の人は感じないことかもしれないし、人それぞれの考えがあると思いますので、ぜひ自身で感じたことを何かで発信していただけると嬉しいです。
そして、私もその考えを読んで、またいろいろと考えに耽りたいものです。


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