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夫への育児賛歌の話

目が覚めると、寝室にひとりきりだった。

隣に寝ていたはずの3歳の娘も、その娘を私と挟むように寝ていた夫もいない。娘が寝ていたはずの場所を手のひらで撫でると、指先が軽い音を立てて滑った。
リビングから娘の笑い声が小さく聞こえ、ぼんやりとしていた頭が徐々に晴れてゆく。カーテンの隙間から、じんわり光が漏れている。朝だ。
時計を見ると、9時をとうに過ぎていた。



リビングのドアを開けると、炊きたてのご飯の香りが鼻をくすぐる。

「あ、かかさん、おはよー」

娘は一度だけこちらを見ると、すぐに自分の手元へ視線を落とした。
ターコイズブルーのプレートには、ころりとしたおにぎりが3つ並んでいる。きゅっと握られた小さな球体には、ピンク色の鮭が散りばめられていた。

「いただちまーす」

両手でそうっと持ち上げて、大きな口で半分ほどかぶりつく。指や頬に米粒をつけながら、言葉少なにむしゃむしゃと頬張っている。その姿に目をやりながら娘の隣に座ろうと椅子を引くと、「あめ(だめ)!」と怒られた。

「今日は、ととが隣なの!」

えー、と不服の声とともに娘の正面へと向かう。途中、私と夫のおにぎりを置いた皿を両手に持った、したり顔の夫と目が合った。

「かかが寝てるから、娘ちゃんとふたりでブロック作って遊んだり、テレビでやってたヨガをしたりしたんだよ」

多少悔しく思いつつも、隣り合って「ねー!」と顔を見合わせるふたりを見ると、むふふと笑ってしまう。


そしてそんなとき、娘が1歳の頃のことを思い出す。
「お母さんの方が良いのかな」
1度だけそう呟いた夫の顔が浮かぶのだ。


育児休暇中、ずっと寝かしつけに悩んでいた。
どんなに遊び疲れていても、寝かしつけには毎晩2時間掛かった。眠りに抗って、まだ遊びたいと泣き叫ぶ娘を落ち着かせる。それでも娘は、座って、泣いて、立ち上がって、泣いて、ベッドの上で跳ねて、泣いて、布団をはいで、泣いて。寝室の暗さ、ふたりきりの空間、自分の疲労もあいまって、私はその頃はじめて堪えきれず、「しんどい」と口に出したのを覚えている。
見かねた夫が交代を申し出てくれた。

娘は「かかの方がいい」「いやだ」と一層泣いた。
寝かしつけ以外の、食事や遊び、お風呂など、それまで以上に頑張って時間を作り、娘と接するようになった。
けれど、”傷つけること”のなんたるかをまだ知らない3歳の娘は、言葉や態度を使って容赦無く夫を刺した。

「お母さんの方が良いのかな」
そう呟いたのは、この頃だった。
やっぱり私が、という言葉を制して、夫は忍耐強く粘った。
夫は刺されても刺されても、父親になろうとしていた。

ある時を境に、娘は「ととの方がいい」とも言うようになった。
多分それは、夫が娘と向き合ったからこそ、聞けた言葉なのだと思う。





あの頃のことを、夫が覚えていないはずはない。
けれど、そんなことは何処吹く風という顔をする。

だから私は、娘と顔を突き合わせて笑う夫を見るたび、幸せだなと何度だって思うのだ。

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