命を延ばすということ。

深夜0時、窓の外は真っ暗で何も見えない。
病棟は静寂で包まれていた。
点滴装置の機械音だけが一定のリズムで耳に入る。
そんなに大きい音ではないはずだが、
やけに気になった。


鉄製のベッドに横たわる祖母は
安らかな顔をして眠っており、
隣には愛おしそうに祖母の顔をなでる母がいた。
私と姉はパイプ椅子にもたれ、
項垂れるように座っていた。

バァバが救急車で運ばれたー



その知らせが私のもとに届いたのは、
昼の12時ごろだった。
アラーム以外で滅多に
鳴ることのない携帯に驚きつつ、
電話越しの姉からその言葉を聞いたとき、
「ついにこの時が来てしまったか…」
という思いだった。


もともと祖母は数年前に脳出血を患い、
施設で寝たきりの生活をしていた。
言葉は出なくなってしまったが、
言われていることはなんとか理解ができ、
筆談でならやりとりができるような状態だ。
脳出血からこの状態まで回復するのは奇跡に近い、
というのが当時の医師の話で、
母や私、きょうだいは驚異的な生命力に
心から喜んだ。


しかしながら、当然のごとく脳出血により
失われてしまったものは大きく、
自分で歩行もできなければ、食事もできないので、
施設での介護生活がはじまった。


日常生活の制限が大きくなったこともそうだが、
免疫力も低下しており、一度感染症を発症すると、
重篤化しやすいと説明を受けた。
今回もまさにそのケースで、尿路感染症にかかって
増殖した雑菌などが血流にのって全身に広がり、
様々な臓器に重篤な症状を及ぼすー
いわゆる敗血症を起こしているとのことだった。

一時は血圧の最大値が40まで下がり、
命が危ない状況だったが、
医師の懸命の処置もあり、
一命は取り留めて、今は状況も安定している。
しかし、敗血症は予断を許さず、
いつ状態が急変してもおかしくない。



脳出血の時点でそうだったが、
ここからは「延命」の措置を取るかどうか。
家族はこの決断をしなければならない。


命があるに越したことはない。
筆談で意思の疎通もできるし、
まだ人間として生きている。
これは家族にとって非常に大きい。
大切な家族と一生の別れなんて、
できればしたくない。


でも…
一日中寝たきりで、一人ぼっちの日もある。
背中がかゆくても一人ではかけない。
何もできないまま膨大な時間を過ごすのは
どれほど辛いことなんだろう。


ましてや、感染症や、
敗血症といった病気の症状で、
本人はとても苦しいのだと思う。
そのような状況で、ただ生きているというだけの、
延命という判断は、ある種
残酷なものではないだろうか?


何度も考えた結果、この問題に対しては
「正解がないものだ」と思う。
自分たちがした選択を、
後悔しないように、正解だと思えるように、
行動するほかない。


神様か何かが突然現れて、
こうするといいよ、とか
ああしたのは正解だったね、とか
言ってくれるようなことはあり得ないのだ。


決して人任せにはできない。
何らかの決断をしなければならない。
どのような選択をしたとしても
ひとつの結果と過程は一生変わらない。


そして、いつか自分にもその番が来るのだ。
率直にいえば、死ぬことはとても怖い。
受け入れたくない。
でも、そこまで長く生きられる時点で
幸せなことなのかもしれない、とも思う。
長いか短いかだけで、その運命からは
どうせ逃れられないのだ。


バァバも、死ぬことは怖いだろうな。
それか、歳を重ねて、ある程度は
覚悟ができているのかな。
本当のところはわからない、とても申し訳ない。
でも、本当にありがとう。
色々なことを教えてくれて、本当にありがとう。

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