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生きてる

悲しいことがこの1ヶ月でたくさんあって、なかなかnoteが書けないでいた。少し気を緩めると涙が出てしまう。でも家を出て人間界に出れば、私はいつも通り、明るい私を演じている。

日曜の朝に、神田沙也加さんが亡くなった。

私は彼女の舞台を観たことがある。太陽のように明るく、真ん中にいるのがとても似合う人だった。彼女の歌声は鈴が転がるようで、可愛らしく、それでいて生気に満ち溢れていた。いつも板の上で、凛として、美しく生きぬいていた。

彼女も私のように、「明るく元気な神田沙也加」を演じていたんだろうか。
今となっては、もう、聞くこともできない。

ホテルの21階から、事故だったか故意だったかはわからない。そこからの景色は、彼女の目にはどう写ったのだろう。自分には羽根が生えたんだと、勘違いしたのかな。明るい未来が、そちらの方向に見えたんだろうか。
もしかしたら、神様が手元に置いておきたかったのかもしれない。けなげで一生懸命、可愛い彼女だったから。だとしても、もう少し、もう少しだけでいいから、その時を遅らせてほしかった。

彼女の一端しか知らない私がこれだけ悲しいのだから、近しい人たちの哀しみはどれほどだろう。

私が死んだら、周りの人達は今の私のように悲しんでくれるだろうか。生き急いだことを、悔やんでくれるだろうか。そんな生き方が、私はできているだろうか。

ここ最近ずっと重たかった心が、さーやの件でまた重たくなって、色んなことを考えてしまう。
私はまだ、まだまだ信じられなくて、夢なんじゃないかって思ってしまうけど、ご両親がさーやの遺骨の入った白い箱を持っているのを見ると、そして、周りの人達の明るいニュースを聞いていると、ああこれが「生きてる」ってことか、なんて思う。
色んな感情に揉まれ揉まれて、私は人間界を生きている。

さーや、そちらの世界はどうですか。
まだ信じていないから、安らかになんて言えません。あなたはあなただけの力で、色んなモノを勝ち取ったのだよ。SNSでもなんでも、そのことをちゃんと、伝えておけばよかった。

でも、もう遅い。

1人の演劇ファンとして、
いまはただただ、悲しいです。


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