残ってる物を大事に
12月介護のまとめ
「死ぬのは怖くない、怖いのは....」
みたい話を聞くとツッコミしたくなる。
いや、死ぬのは怖いぞ。
今月の辺りから、お母さんの着替えも手伝うが必要になった。
今日にお母さんはベランダの数センチ段差に
戸惑う
上手く足を上がらないようだ。
昨日は爪切る時にお母さんの手が震えるので
上手く切れない
俺が代わりに切ってた。
夜のトイレにお母さんはふらついて
転んでそうで危なかった。
少しずつ進行してるパーキンソン病。
他の病気はなんとか薬で抑えてるけど
この病気だけは緩かな進行している。
そういえばお姉さん達は
どんなに(表向き)お母さんのことを心配しても
結局せいぜい月1回に見舞いくらい。
夜の介護はどんなことがあってもやってくれない。
そういう意味では、普通かもしれない。
例え自分の子供でも、自分の家庭があったらもう面倒してくれない。
そうじゃなければ辛すぎる....
病気の怖さはお母さんもちろん一番キツイが、
俺だってキツイ。
怖いんだよ。
お母さんもう、生きるのは「当たり前」じゃなくなった。
病院の眼科に例行検査。
お母さんの体はやっぱり確実に悪くなっている。
毎日に見るのはよく分からないが
これ1ヶ月1回の病院行きは
お母さんの歩き明らかに半年前と比べて悪化している。
その頃は一人に放置しても自分で病院の中に歩ける。
今もうダメなんだ。常に人が側に居ないといけない。
そのあと、家に帰って
俺はお母さんの冬下着と薬を買って行きました。
お母さん今の薬、いくつ種類ストックを作るのは必要。
病院から貰うだけ量はピッタリだから余分がない。
1ヶ月分くらいのストックを買う。
あんまり考えたくないけど
戦争とかトラブル起こって病院から薬をもらえない時に
せめて最低限の薬を手元に置かないと危ない。
若い頃にガンガン成長の時にいろんな物を手に入る。
中年は色んな物を手に入りながら何かが失っていく。
老年の頃は残った物を必死に守りながら、
たくさん物が失っていく。
わずか半年前くらい、
お母さんまだ一人で風呂できた
それにバランス感覚まだ健全で
風呂を出すときに足底を
拭く時に片足で立てれた。
今では片足でもう立てないお母さんに
俺は風呂場の外に椅子を用意して座らせた。
今はよく考えてるけど老後の時期は残酷だなって
出来ることは1つずつ減っていく。
毎日は山ような薬で命を繋ぐ。
それでも、
「今は手が繋げればまだ歩ける」
「今はまだ自分で食事できる」
「排便も自分でできる」
「病気だけど普段にそんなに苦痛がない」
「まだ笑える」
「まだ喋れる」
「思考まだ纏まってる」
「寝るときによく寝れますね」
お母さんに残ってる物を、大事に大切に感謝するしかない。
これからお母さんできることが1つずつ減っていく。
それでも「まだ側に生きていた」を感謝しないと。
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