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マニュアルのないクリエイティビティ

島野:行って触れてみないことにはわからないニュアンスだよね。俺は言語を学ぶということにも重要な意味があると感じていて、言語からわかることって、実はいっぱいある。正直、個人的にあまり好きじゃないのは、言葉が喋れなくても音でわかりあえるぜ、みたいなことを簡単にいうのはちょっと…(笑)間違ってはいないのかもしれないけど、その言葉の響きが表層的というか。トップレベルの演奏のなかで、言語の壁を越えた共有はもちろんあるけど、なんか意外とそういうことを多用する人たちほど、適当に演奏して笑顔になれました、みたいな感じ。うさんくさい、ってなる(笑)音楽を演奏することで相手の懐に入る必要があるかないかは、とりあえず置いといて。結局その土地の背景を学ぶうえで、言語はとても必要だと思う。たとえばブラジルの歴史や音楽、その他文化に関する情報でもなんでも、今はネットであったとしても日本語で調べて出てくる情報と、ブラジルポルトガル語で出てくる情報の量と質は雲泥の差で、これは英語であっても同じく、情報の内容によってはその個人の近視眼的な解釈が多かったりするから、その点でも言語の重要性がでてくる。あとは経験上、言葉を少しでも話せると、相手との距離を一気に縮めることができる。それは警戒されるということも含めて、距離感をリアルに体感できるんだよね。言語の背景には必ずその生活様式とか、習慣が現れてくる。もっといえば、言葉がさまざまな文化を創り出している。たとえば訛りや方言とかもそうじゃない?だからこそ言語を学ぶ価値に重きを置いてるんだよね。それと音楽がどう合わさっているのかというところも多分にあるし。

池田:たしかにコミュニケーションのツールとしての音楽って、たとえば譜面は誰が見てもドはドってわかるような共通言語はあるんだけど、沖縄の三線をやっていて、先生がよく言うのは「三線なんかいいんだよ」って。歌、歌詞が第一なんだっていうことなんだけど。歌詞、発音、沖縄の言葉。これを理解して発音をしっかりして、気持ちを込めて歌えなきゃダメなんだよって。自分が沖縄の言葉をそこまで喋れるかというと、あんまり喋れないけど、発音をいつも直されてるから気にするし、俺が人に教えるときも、三線は弾けなくても歌さえしっかり、まずそれが大事だと教える。うちなーぐちで、現地のおじーやおばーと話せるかといわれたら、それは話せないけど、せめて歌のなかではちゃんとした発音、意味を知って歌わないとダメだって思ってる。そこは現地の言葉と音楽が混ざって成り立っているということをやっていかないと、人に教えちゃいけないし、学んだとも言えないんだろうなと思う。

島野:ブラジル音楽もそうで、自分が曲を歌えるかどうかはべつにしても、自分のやってる太鼓のリズムとかも、ほぼ歌から来てるんだよね。ブラジルのライブって、ボーカルが歌ってるのに合わせてお客さんが一緒に歌うんだよね。ボーカルがそんなに歌わなくてもオーディエンスが一斉に歌って、そのエネルギーがとにかくすごい。やっぱり基本に歌があって、そこにリズムや旋律が入ってくる。だからこそ言葉をないがしろにしたら、表層上だけの雰囲気づくりにとどまってしまう。東京のイタリアンレストランの店内BGMでボサノヴァかけてるみたいなの、わけわかんないよね(笑)雰囲気があればなんでもいいよ的な。

池田:もうそれはひとつのジャンルとしてだよね。

島野:それはそれでアリなのかもしれないけどさ。

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池田:表層を撫でるだけではわからないものはあるよね、確実に。いま四ツ谷のZIRIGUIDUMを使って、三線のレッスンをやってるんだけど、同様に俺の地元でも、自治会の人に言われてレッスンを始めてるんだよね。自分自身もまだ学んでる身だけど、俺の師匠にも、そういうことはどんどんやったほうがいいよって言われて。なにより自分でやろうと思ったのは、最初は単純に音楽が好きで、エイサーが好きでやっていたけど、それらをやっていくなかで、沖縄の歌や民謡って、明るい曲なのに戦争のさなかの暗いときを歌ったものがあるんだよね。俺自身、戦争がどういったものだったかを実体験としては知らない。でもその歌をきっかけに興味をもって調べていくと、なるほど、こういうことがあったんだ、と歌を通じて知ることができる。これから三線を学ぶ人たちにも、そういったことに興味をもってほしいと思ったことが、自分も教えていこうと決めた理由のひとつにあるんだよね。

島野:伝える人がいることは大事なことなんだろうなと考えていて。俺らはたしかにその地で生まれたわけではないけど、その伝えるものがどういう内容とか、どういうアプローチであれ、学んだ人がそこから取捨選択ができるような状況をつくることができるのであれば、タケさんの存在や役割はさらに大きくなると思う。俺もチンバウとかの打楽器を1人でも多くの人に教えるというか、自分が学んできたことを、ここ四ツ谷のスペースを有効活用して伝えることができたらいいなと思ってるよ。

池田:ブラジルの音楽にもやっぱり悲しい歴史がいっぱいあるんだよね。この前シマちゃんに動画を見せてもらったけどさ、OLODUMが演奏していた広場のような場所、あれ一見普通の公園というか、町の広場でやってるな、としか俺は思わなかったのね。みんな楽しくやってるじゃんって思ったんだけど、聞いたらそこは、昔奴隷市場だった場所なんだよね。そんな歴史があったんだとか、どうやって音楽文化が育まれて伝わったのかとか、そういう背景も、たとえばシマちゃんが要になってね、そういったことを伝えることも大事だと思うよね。

島野:そうだね。虐げられていた歴史は事実だからね。そのなかから伝わってきた旋律やリズムがある。そしてブラジルの場合、日本から一番遠い国といわれているけど、実は日本と密接につながっている。それが日本からの移民。世界のなかで日本からの移民がとくに多いのはブラジルなんだよね。戦前、戦後の貧しい日本から移民がブラジルに希望を求めて想像を絶するような苦労を重ねてきた。ブラジルに行って感じたことは、自分が学んでいるサンバレゲエはアフリカ系ブラジル人たちが築き上げてきたものであっても、同じ土壌で日系移民も息づいていたということ、そしてそれぞれが積み重ねてきた、苦難の歴史があるから今の自分がある。だからルーツは違えど、結局同じ世界のなかでお互いが影響しあって今日まで生きてきたということが、ブラジルにいることで感じることができたんだよね。とくにこの音楽をやるうえでは、多角的にいろいろな背景を知っておくことが重要だということに気づかされる。僕が言語を学ぶことにこだわる理由にはそういった根っこの部分があって、たとえば現地の彼らの生活のなかに入っていって、そのなかでいろいろなことを比較しながら吸収して、良いことも悪いことも体感しながら理解したうえで、結果的にどう表現するのかを大切にしたい。だからこそ自分自身、日本において、あえてブラジルパーカッションを仕事にしたくなかったのは、そこにクライアントや取引先の意図が入ることで、自分が得意先の要望を明らかに優先させてしまうことで、これまで培ってきたものと全く関係のない形になってしまうことへの恐れを抱いているからかもしれないんだよね。結果、表現活動においては、誰からも縛られることなく自分の思うように自由にやりたい、というのが根底に強くあるかもしれない。とはいえ、そんななかで今回のコロナを機に「発信をする」ということが仕事かそうでないかは関係なく、これまで以上に重要であることを肌で感じていて。少し前までは自分自身まだ未熟だし、自分のテクニカルなところを発信してもどうかと思っていたけど、でも自分よりも経験が足りない人がたくさんいるのであれば、自分のレベルにまで引き上げるために教えてもいいんじゃないの、たとえそれがオンラインや不特定多数への発信であっても、という考え方になってきていて、まさにこの対談コンテンツもその発信のひとつなんだよね。

池田:自分もさ、今まで習う側でずっとやってきたけど、最近ちょっと人に教えることを始めてね、けっこう人に教えるのって難しいって実感する。やっぱり間違ったことは教えられないし、自分もしっかり弾けないといけない。もちろん習った曲や先生にこれはできたね、と言われた曲しか教えられないし、それ以上のことはできないから。それでも人に教えるというのはすごい勉強になると思ってる。もちろん難しさもあるけど。

島野:あるよね。俺は台湾で教えていて、正直いつもハラハラドキドキしながら、どういうふうにやっていこうかなっていつも思う。言語のコミュニケーションも含めて、なかなか通じない環境の子たちにどういうふうに伝えたら一番いいのかなというのは、現地の台湾の親友たちがすごくサポートしてくれるけど、それでもすごく難しいと思っていて。さらにそれが40、50人となるとかなり苦労した。ただしそこもやっぱり一緒で、中国語がすごいできるわけじゃないけど、言語を交わすことで、彼らの思ってるやりたいことや、課題とか、いろいろなことを自分の目で見たり、聞いて、感じるうえでは、やっぱり言語によるアプローチが重要と感じる。言語がなかなか通じないときには、いかに鋭くアンテナを張るかによって、そこから見えてくるひとつひとつの状況を紡いでいきながら、教えていくエッセンスを見つけて、活用していく方法をとるしかない。そんな感じでいまはやってるかな。

池田:自分が人に教えてるときって、自分ではもう当たり前のように思ってやってることを、ふと聞かれるわけですよ。なんでこうやらなくちゃいけないんですかって。聞かれたときに、答えが出ないときがある。自分なりにふとそこで考えるんだよね。たしかになんでこういうおさえかたしていたのかなって改めてそこで考えて、説明することが大事だと思ってる。

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島野:教えかたに関して言えば、日本とブラジルでは全然違うんだよ。まず一昔前までのブラジル、特にパーカッションの世界においては、かなり感覚的に教える部分があって、見よう見まねや口承伝達ではないけど、見ながらそれを何度も何度も繰り返して、体に覚えさせていく。ある種非効率的な感じが主流なんだけど、わりと初期の段階から教わったこと以外のことを平気で試したり、遊びのなかから新しい、自分なりの独自のものをつくっていくし、常に作ろうとする。そういった意味でのクリエイション能力は高い。だからマニュアル化した教わり方は苦手だけど、自由気ままな環境のなかであれば、生徒一律の完成度はどうあれ、とてつもなく上手い子も出てくれば、まったく叩けない我流のままの子もいる。平均値が推し量れないので、個々バラバラな感じになる。俺はそれがすごい好きなんだけど。対して日本人の場合は元々効率とか便利さなど、いわゆる最短でできることを求めがちな部分が多いから、マニュアル化というかルール化した教えかたになりがちなんだよね。で、教わるほうもそのやりかたに慣れてるから、ルールに即していればすぐに覚えるし、一律皆覚えが早いから、一定数平均して能力が高いけど、自分なりに自由に考えてやってごらんとなると、とたんにできなくなる。言われたことはできるけど創造性に欠ける。これってわりと大きな問題なんだよね。そしていまのブラジルはネットやテクノロジーの発展も相まって、もともと多用な社会のなかで自由な発想でのびのび我流で覚えていたところから、さらにセオリーや効率も学べる環境ができてきて、感覚的に覚えることにプラスして、デジタル脳にも対応してきてるから、次世代の子どもたちのポテンシャルが想像を絶することになっていると感じる。それはいま教えている台湾の子どもたちにも同じことが言えるかも。まるでスーパーサイヤ人みたいな(笑)

池田:なんの違いかね。

島野:俺は明らかに教育だと思うね。ブラジルの学校教育の詳しい部分はわからないけど、でも社会全体において、意見をいうことが自由だったり、それが大切だったり、あと仕事でよく聞くのが、マニュアルを渡しても、絶対にマニュアルどおりにやらない(笑)自分のやりかたで、こういうふうにしてみたっていう人ばかりで、マニュアルがあってもまず順序立ててやらない。「ゴールからやりました」とか、「途中からやったよ。だって目的がわかってるなら、プロセスやアプローチは自由じゃん」って。それは俺が一番好きなことなんだけどね。

池田:目的にさえ行きゃいいじゃねえかと。

島野:そうそう。なのでそもそもマニュアルというものが通用しない人たちなんだよね。それだけ自分たちの考えというものをしっかりマニュフェストしていく人たちなので、マニュアルに対する考えかたがあくまで、ガイドのひとつとしか捉えていないし、さらに自分なりにカスタマイズしていく。そういった考えかたの違いはすごくあるよね。それは仕事の仕方にも表れるかな。なんというか、ブラジル人ひとりひとりが表現者的というか、アーティスティックな人たちが多いかもしれない。だからこそコミュニケーションに重きをおいていて、上手な人たちがたくさんいるということに起因するというか。自分のやりかたに自信を持ってしっかり言える人たち。かたやマニュアルどおりにしか物事を遂行できない人たちは、「いや、マニュアルに書いてあったんで」としか言えない。「僕はこう思う」ではなく、「マニュアルが」になる。それが時を重ねていくうえで大きな違いというより、差になっているかもしれない。そしてそれは音楽や芸術の表現にも随所に表れてるような気がするんだよね。

池田:そういう覚え方で習熟していくとさ、マニュアルが絶対じゃないから、なんかあったときのリカバリーがすごい幅広い。たとえばよくあるんだけど、三線でも、初心者の人って譜面を見ながら弾くんだけど、ちょっと違うことが入ると、譜面が全てだから、そこで止まっちゃうんだよね。俺も最初そうだったけど、だんだん途中から譜面を見ないで、あれば最初少し確認するぐらい、ただし基本は音や先生の演奏を何回も聴いて、とにかく真似ることから始めて、自分なりのやり方でその音が正しいかどうかというのを確認しながらやっていった。たとえばライブにおいて、うちの師匠がフェイクとかするんだよね。それでも、わりとすぐついていける、譜面っていうマニュアルに頼らなければ。譜面だけで覚えてると絶対できなくて、歌詞にしてもどんどん自由に変えていくから、そういう意味では通りいっぺんの覚えかたでは通用しないというか。まあ楽器ってさ、あんまりそういうものではないと思うんだよね。

島野:ほんとに。だからね、俺が個人的にあまり好きじゃないのは、選択肢のないままに、正しさにばかり着目しだすことで、その正しい正しくないの軸が、正しくないみたいな(笑)ほらよくあるじゃん、これが売れた曲のコード進行の秘訣ですみたいなの。あたかも売れたことがすごいイコール正しいにすりかわっていって、それが全てになるんだよね。いわゆる売れる法則みたいな。もちろんそれが選択肢のひとつとしてあるのは全然いいんだけど、それが唯一正しいっていう見せかたに大きな違和感を感じるんだよね。表現さえも、数値化したり、いわゆるマニュアルにするんだって。俺が危惧するのは法則化するのは大いにけっこうだけど、それ以外を受け入れようとしない土壌や雰囲気が気になるんだよね。ひいてはそういったことが日本における表現活動を著しく狭めてるように感じる。

池田:あるある、売れる法則本。

島野:すぐに正しい正しくないとか、0点100点みたいな、しかもそれを音楽や芸術活動にまで採用しますかっていうね。理解はできるけど、すぐにパッケージ化、法則化したがる。そしてそれが挙句の果てに「文化」だと。俺から言わせればそれは文化でなく、単なるそのときの「流行り」でしかない。

池田:コピーですよ、あんなの。

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島野:なにが正しいとか、売れるとか、その狭窄した考えを否定したい。ブラジルの文化、沖縄の文化をこうして知ってもらうことで、彼らの文化の懐の広さというものをコンテンツで伝えていけたらと思ってる。

池田:沖縄でいう、いわゆるチャンプルー文化ってさ、沖縄もいろいろな文化が集まってくるところなんだよね。中国や台湾、南方の島々、そしてもちろん本州からだって。とにかくごちゃ混ぜで、チャンプルーにしてひとつの自分たちのアイデンティティにしちゃうぐらいのバイタリティがある。もちろんしっかり形を踏襲することも大切で、例えば沖縄でいえば古典とかは、弾き方、息づかいとか、バチの叩き方まで全部決まってる。それをやらないといけないということはあるけど、それはいま言った正しさとは全く別物で、踏襲する型の先に表現の自由があるものなんだと思う。迎合する正しさとは別物。いまって、これが正しいと言って押し付けることよりも、受け入れる土壌が必要なのかもしれないね。今後はどういう形にしていきたい?

島野:今後は、僕のほうからは日本でブラジル文化にハマっていった人とか、日本に限らず、ブラジル人のアーティストや友人のスペイン人アーティスト、そして台湾でサンバレゲエ活動している友人など、音楽だけじゃなく、ブラジル文化に魅了された人たち、もしくはブラジル文化に携わっている人たちと語りながら、彼らのルーツも含めていろんなところを深掘りして発信していきたいと思ってます。タケさんは?

池田:やっぱりうちの師匠とかと話がしたいけど、まず、こっちの内地で活躍している沖縄の唄者だったりとか、そういう人たちの、いままで語ってきたようなきっかけ、なんでやってるのとか、どういう人が好きなのとか、どういう先生に習ってたのとか、それは個人的にすごい興味がある。自分とまた違う三線を歌ったり弾いたりするから。そういうことも聞いていきたいし、あと海外でやってる人たちもいるから、そういう人たちとも話はしてみたいな。そっちのシーンはどうなのとか聞きたいね。台湾でも盛り上がってるみたいだから。あと、三線自体が中国から来て、それから沖縄に渡って大和のほうに来てるんだけどね、そうするといろんな、三味線、長唄用三味線とか津軽三味線とかいろいろあってさ、楽器の構造自体は同じなの。だからそういう、同じ3つの弦を使って弾いてる人たちともいろいろ話してみたいね。津軽三味線の人とか、奄美の三線やってる人とか。それはちょっと聞きたいなと。それはそれでさ、やっぱりしがらみもあると思うんだよね。協会だったりとか、なんとか流とかさ。そういう裏話も聞いてみたいね。


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