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「三線は特別な楽器じゃない」

池田:いまも同時並行で先生に習いながらご自分の教室もされているんですか。

難波:コロナ以前はそうでした。でもコロナ禍によって状況が変わり、それまでと同じようなお稽古を受けることができなくなってしまいました。自分の教室のほうもコロナの影響を受けて、以前と同じではなくなりましたね。

池田:そうなんですか。コロナの影響は大きいですよね…。あたりまえに教えること教えられることのありがたみをコロナ後から自分も強く感じています。いままでは紫乃先生など、いろいろな先生方に教えてもらう側だった裕子さんが教える側に立ったとき、思っていたことと違ったり、苦労されることなど、どういうことがありましたか。

難波:生徒さんっていろんな方がいるんですけど、それぞれにやりたいことが違って、ひとりじゃ手が足りないと思ったことは何度もありました。みんな三線を弾けるようになりたいから習いに来ますよね。共通項は三線を弾けるようになりたい。でもやりたいことがひとりひとり、この人はポップス、この人は民謡だったりするわけです。レベルもみんなバラバラです。だからなんとか「弾けるようになりたい」の想いだけでも叶うようにしたいと考えて、その人に合わせて一生懸命教えるんですけど、多いときは生徒さんが10人ぐらいいて、 2時間という限られた時間では全く手が足りない。

池田:2時間では足りないですね…。

難波:苦労することもありますが、こちらが教わるようなこともたくさんあります。小学校一年生のお子さん2人に三線を教えたことがあって、そのことが私にとってとても印象的でした。私がミニ三線を持っていたので、それを貸してあげて。子どもってすごいですね。理屈じゃなくすぐ覚えるんですよ。びっくりしました。大人に教えるときには工工四(くんくんしー:三線の楽譜)からですけど、子どもは譜面なんか見ませんから。私の説明を聞いたあと、歌と手を一生懸命じっと観察して、真似するんですよ、同じように。そうしてあっという間に弾くんですよね。

池田:それが一番正しい習い方のような気がしますね。

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難波:三線をきっかけに本当にいろんな方と知り合うことになったんですよね。三線が人を引き寄せてくれるのか、不思議なものです。池田さんはどうですか。そんな気がしませんか。

池田:自分も地元で三線のスクールをやっているんですけど、近所にこんなに三線をやる人がいたんだって思うぐらい、意外と生徒さんが来てくれます。スクールを始める以前から道端で顔を合わせたり、挨拶していた人も来てるんですよ。

難波:どうやって募集をかけているんですか。

池田:僕が家で三線の練習をしてたんです。家の近くに自治会長さんが住んでいらっしゃるんですが、会長さんが夜に散歩してたら三味線の音が聴こえたらしくて、それが僕の家からだったんです。それからうちの自治会で教えてくれないかという話になって。最初はお断りしたんです。まだ勉強中の身だし、師匠の手前、人に教えるなんてと思って。一応師匠に相談してみたところ、師匠はどんどんやれって(笑)教えることも勉強になるからやったほうがいいよと言われて、じゃあやりましょうということで引き受けました。それから自治会長さんがHPに載せてくれて、回覧板でも回してもらって、ご近所の方々に興味をもっていただいた感じです。

難波:みなさん三線は持ってるんですか。

池田:持ってない。なんとか自前のものと友人知人からかき集めたもので貸し出ししていたんですけど、やっぱり家で練習してこないと上達しないので自分の三線が欲しくなって、けっきょくみなさん買われましたね。

難波:すごい。熱心ですね。

池田:いまは初心者向けの曲の『安波節(あはぶし)』をやっています。僕自身『安波節』をなんとなく弾いていたんですけど、生徒さんのために歌詞カードと工工四を自分で作ると、自分はこういう弾き方をしていたのかと気づきます。意味ももう一度ちゃんと調べて、改めて意味について考えさせられたり。

難波:意味はほんとに大事ですよね。沖縄民謡って私たちが普段使う言葉じゃないから、意味がわからないので歌が覚えにくい。紫乃先生の教え方は最初に意味から入るんです。生徒ひとりずつにまず読ませます。「肝」と書いてあるけど「ちむ」と読みますとかね。読み方と意味だけでお稽古は終わりとか、そんなこともありました。歌は意味がわからないと歌えないからとのことですが、私もそのとおりだと思っているので、私も教えるときは意味から教えています。そこからじゃないと歌に入りこんでいけないんですよね。ただ音を真似て歌っているだけではなにも学べないと思っています。

池田:意味を知って歌の背景が分かると感情も入ってくるし、三線が弾けてメロディだけをとれていても、なんか違いますもんね。

難波:沖縄民謡は難しいとか歌えないと思っている人のほとんどがそこなんですよね。「そんなの沖縄の人じゃないんだからできるはずない」といって、はなからやろうとしない人が意外と多いのかもしれないなと。もったいないです。

池田:それでも好きになるとかやろうと思うってのはなぜなんでしょうね。

難波:私はやっぱりもっと知りたいと思う気持ちが強いからですね。民謡って同じようなフレーズがよく出てきます。前に歌った歌詞の単語が出てきたりする。そうすると意味がちんぷんかんだったものが、この単語は歌ったことがあるから、そうかこれはそういう意味なんだと自分のなかで繋がっていく。だんだん繋がっていってそこに答みたいなものが出てくるような。やればやるほどにおもしろいんですよ。発見があるというか。

池田:それが奥深さですよね。

難波:そうですね。大事なことなので私も生徒さんによく話しています。とはいえやっぱり入口はポップスなんですよね。BEGINが弾きたいとかね。最初はそこから、徐々に『デンサー節』や『安波節』など簡単なものを教えて、みんなおもしろがってついてきてくれるようになりました。

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池田:今後はどうしていきたいですか。教室とか、裕子さんが唄者としてどうなりたいとか、伝えていきたいことってなんでしょうか。

難波:三線は特別な楽器じゃないと思っているんですよ。さっき話した小那覇ブーテンさんの話にもあったように、やっぱり身近にあったものだろうと思うから、もっと近くにあって気軽に弾けるようになればいいと思っています。特別なときに特別なステージでやるんじゃなくて、それこそ『ちゅらさん』のお父さん役の堺正章が縁側で弾いてたようなね。あんな感じ憧れますよね。あと沖縄はただの癒しの島ではないということももっと知られてほしいです。歴史的な悲しみのこと、いま現在日本が米軍基地の大半を小さな沖縄に押しつけている現状と、それが異常であると認識すること。難しい問題も含めて、自分自身これからもっと沖縄のことを知っていきたいと思っています。

池田:沖縄の音楽や三線が身近になることで、その大きな問題を考えるきっかけになってくれればいいですよね。東京だと三線をやりたいといってもすぐ身近にあるものじゃないから、遠くの教室まで通わなくちゃいけない。沖縄は近くに大御所の先生が家で教えてたりして、ああいう環境はほんとにいいなと思いますね。

難波:海辺で弾いたり、お墓の前で弾いたりとかね。そういった動画がFacebookなんかで普通のことのようによく投稿されているのを見ると、とても素敵だなと思います。こっちで全く同じことができるかといえば、できないしそういうものではないのかもしれないですけど。

池田:さっきおっしゃっていたように民謡といえばハードルが高い、高尚なイメージがあることも遠くなる原因のひとつのような気がします。とっつきづらいというか。もっと身近になるといいですよね。

難波:民謡といわれているものでも、言葉が標準語のものもけっこうあります。私もいま自分の教室で『パラダイスうるま島』をやっているんですけど。

池田:琉球音階だけど言葉の意味がわかる曲ですよね。

難波:そうなんですよ。

池田:裕子さんが教えているいまの生徒さんがまたどこかで教えていけるようになるといいですね。どんどん広がっていく。

難波:そうですね。「三線弾いて」と言われて気軽にパッとみんな弾けるようになればいいなと思っています。私自身ももっと歌を知りたい。

池田:コロナの影響で沖縄の唄者がこっちにくる機会が減ってしまったから、本当は生徒さんにも本物の歌を生で聴いて、見てほしいんですよね。そこから感じるものって圧倒的に違うので。

難波:本当にそう思いますね。せめて少しでも近くに感じられるように、リモートエイサーを沖縄でやるらしいという情報を聞きつけて、情報を教室のラインに載せたりなんかもしていますが。気軽に生の三線の音が聴けるようになったり、現地に行ける日が早く来るといいですよね。

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