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最後の復讐のターゲットは誰なのか問題 - プロミシング・ヤング・ウーマン -

エメラルド・フェネル『プロミシング・ヤング・ウーマン』を鑑賞しました。

※以下ネタバレ満載のため、未見の方はブラウザを閉じていただければと思います。

この映画、世間で大絶賛なのは知ってたので自分の中でのハードルが観る前から爆上がりしてました。

よって「面白いのは当たり前」みたいな感じで臨んでしまったのですが、正直言うと「好みな点」と「そうでもなかった点」が自分の中では半々位あった印象です。

なので今回は双方について述べていきたいと思います。

【個人的に良かった点】

1.作品のポップさ

このご時世、御多分にもれず本作も「#MeToo映画」、「Time's Up映画」であり、正直そういう意味では若干食傷気味と言うのが本音ですが、こうしたテーマで作品が無限に生み出し得る現状(世の中)がファッキンでブルシットなのであり、この映画には何の罪もありません。

他方、暗い陰湿なテーマを扱っていながら、本作は極めてポップ且つ軽妙な装いを崩しておらず、映画内で見られるファッションや音楽(後述します)もとてもキャッチー、作品全体がエンターテインメントとして成立しています。

それこそがこの映画最大の美点です。

2.役者が良い

まず第一に出てくる男性の俳優陣が悉く良いです。

見るからに悪いキャラというのでなく、何となく何処にでもいそうな善良且つ気弱そうなキャラ感(実際は皆ろくでもないんですが)が醸し出されているところがとても絶妙です。

個々の俳優は存じ上げない方も多いんですがどうも善良なキャラを演じることが多い役者さんを敢えてキャスティングしたとか。

で、それに対するキャリー・マリガンも超絶に良いです。

個人的に『ドライヴ』や『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』の短髪系マリガンが好きなので「なんだよ長髪でカーリーヘアかよ」と見始めたのですが虚無的・悪魔的演技と途中出てくる束の間のラブリー演技(の落差)も相俟ってとても素晴らしかったです。

3.音楽が良い

チャーリーXCXの「Boys」で始まり、パリス・ヒルトン「Stars Are Blind」を唄いまくり、そしてとどめはブリトニー・スピアーズ「Toxic」のストリングバージョンで出陣です。

監督のエメラルド・フェネルはマリガンに撮影前「これ最初に聴いといてね」と渡したのがブリトニー・スピアーズ「Toxic」らしいのですが、ブリトニー・スピアーズの境遇がまさに(シチュエーションは大きく違えど)「プロミシング・ヤング・ウーマン」だったわけで、監督なりのメッセージが込められてる気がします。

【個人的にイマイチだった点】

1.ストーリーが単調

本作については殆ど予備知識なしに観たのですが、開始から程なくしてストーリーの大筋が「同級生の恨みを晴らす復讐の女神物」であるとわかってしまい、基本あとは一本調子でした。

途中で反転でもあるかと思ったのですがそんなこともなく、お話自体は捻りもなく(後述するサプライズはあれど)、極めてストレートです。

だから悪いというわけではないのですがこれはちょっと想像と違っていました。

2.展開がややご都合主義

まず主人公キャシーがかなり現実離れしています。

敬愛する大親友(ニーナ)を悲しい事件で亡くし、有望な人生を台無しにして虚無に生きるというのはわからなくはないのですが、正直キャシーが人生を棒に振って夜な夜なバーに繰り出してまで復讐に生きる的なバックグラウンドが不明でキャリーがそこまで追い詰められてるようにも正直見えませんでした。

ニーナやキャシーのキャラに関するバックグラウンドを作品内で深堀りしなかったのは敢えてでしょうし、こうした主人公の劇画チックなキャラクター性については本作がポップさを残したある種「ファンタジー」であるという側面からも意図的だとは思います。(因みに本作では1955年のチャールズ・ロートンによる名画『狩人の夜』が出てきますが、同映画の殺人鬼に刻まれた「L-O-V-E」「H-A-T-E」よろしく、復讐者キャシーは「Cassie」「Nina」が刻まれたネックレスを所有しています。そういう意味でも劇画的なキャラクター性が強調されているように思います。)

ただ、ストーリーがシリアスで一定のリアリティさを必要とする類のものであったため、浮世離れしたキャラクター性とのギャップにやや戸惑ったのも事実です。

加えて、途中、大学時代の同級生(ライアン)が現れ、ラスボス的な敵役(アル)に急接近するチャンスを得たり、同じく同級生(マディソン)がのこのこレストランに呼び出されぐでんぐでんに酔いつぶれたり、悪徳弁護士が急に悔い改めてたり、昔の決定的動画が都合よく出てきてマディソンから携帯ごと受け取ったり(あんな動画普通残しとく?仮に拡散されてたのなら裁判の時に出てきてない?)、ラスト近くで手錠があっさり外れたりと「えっ?そこでこんな展開」と何か所かで思ってしまいました。

3.ラスト

そしてこの映画の最大の肝であるラスト近く、主人公のキャシーがアルに逆襲されて殺されてしまうところはとても新鮮なサプライズで感心しました。(主人公が殺されて「感心する」というのも変ですが・・)

いや、ほんとは主人公には生き抜いて「非暴力」の(「非暴力」と言えるか相当微妙ですが実際冒頭シーンの血のようなものはケチャップです)復讐を綺麗に果たしきって欲しかったところもありますが、それだと物語的には捻りがなさすぎるのでああした展開にした意図はよくわかります。

ただ本当のラスト、敵役アルの結婚式のシーン以降が正直蛇足に感じてしまったのも事実です。

キャシーの遺体が火葬され朝焼けに煙が昇るシーン(すごく印象的)で終わっていたらある意味レジェンドだったのですが、流石にそうはいかないにしても、結婚式に警察が乗り込んでくるような直接的描写にせず、弁護士に手紙らしきものが届き、同時にex‐ボーイフレンドにメッセージが届く描写程度で「エンド」の方が余韻や含みもあって物語が締まったように感じました。


と言うわけで個人的には「良かった点」「そうでもなかった点」がありますし、テーマ自体には既視感が強いのですが、作品全体としては前評判どおりにとても面白かったです。

繰り返し強調しておきますが、こうした「#MeToo映画」「Time's Up映画」を無限に生み出し得る現状(世の中)こそ憂うべきであり、この映画自体には何の罪もありません。

寧ろこのような重いテーマをエンタメに昇華し、優れた作品に仕立て上げた監督、スタッフ及び役者陣を褒めたたえるのが筋でしょう。

何だかんだ注文をつけておきながら年間ベスト級に良かったことには変わりありません。

そうそう、言い忘れていましたが、本作のタイトルも秀逸で(これは変な邦題をつけられなくて本当に良かった)、しばしば使われる「プロミシング・ヤング・マン(将来有望な若き男性)」の対表現としての「プロミシング・ヤング・ウーマン」。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」とはニーナであり、キャシーです。

また、多くの同じような境遇にある(あった)不特定多数の女性たちです。 

この物語のようなケースは極端に感じるかもしれませんが、日常的に起こっているジェンダー・バイアス(アンコンシャス・バイアス)は根深い問題であり、こうしたテーマを扱う作品は今後も沢山出てくることでしょう。

さて、最後にラスト5章における5人目の復讐のターゲットについて触れたいと思います。

素直に考えればその対象者はライアンやその他傍観者達と解釈するのが自然かもしれませんが、ラストカット、キャシーからのスマホ宛メッセージがアップで映る描写から想像するに、過去/現在(事柄の軽重はさておき)同種の事件の傍観者であったかもしれない(もしくは今まさに安全圏から映画を鑑賞しているだけの)「私」や「あなた」自身もターゲットであると言いたかったのかもしれません。

; )

<完>


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