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卒論、早稲田松竹、デイヴィッド・ボウイとプリンス

 ゼミにも入っていないのに、勝手に卒論を書くことにした。書いたとて読んでくれる人がいないので、どこかの教授に送り付けるしか無い。
 テーマはヒップホップにしたい。と言っても、クール・ハークが電線から電気を引っ張ってきてパーティをしたとか、そんな話をわざわざ書くつもりは無い。そんな事は書くまでも無い。俺が書きたいのはもっと地に足の付いたというか、実際のあるがままのヒップホップの姿だ。
 ヒップホップを取り巻く日本の言説は、何というか、実際のあり方に即していないように思う。一昔前(と言っても4、5年前だけど)は酷かった。特に、Playatunerというウェブメディアなんかはもう最悪だった。トラップというだけで批判して、ケンドリックを持ち上げる。これは殆ど私怨だが、あのサイトは嫌いだった。俺はケンドリックはもちろん好きだ。だけどトラップを批判するダシみたいに彼を使うのは賛成出来ない。彼はトラップと共存していると思うから。
 後ね、90年代の東西ビーフの話とかもう良いでしょ。リル・ヤッティも言ってたように、最近の子がビギー2パック聴かないのは当たり前だよ。だって古いんだもん。ウータンなんか聴いてるのは中年層か白人のオタクだけだろう。90年代のヒップホップはアメリカでは懐メロと化していると思う。日本で言う小室とかそんな感じだろう。日本人はそこを分かってない人が多すぎる。ヒップホップを聴くのにわざわざ90年代から始める必要なんか無い。とりあえず現行から聴けば良い。
 とまあ、不満をぶちまけるだけぶちまけた訳だが、肝心なのは卒論はどうなるんだって事だ。現行の話をするにも、ある程度の昔話をしなければならない。3万字に収まるだろうか。地域を絞るのも良い。アトランタだったらちょうど良さそうだけど。

 久しぶりに映画館に行った。早稲田松竹で『MIND GAME マインド・ゲーム』、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の2本立てを鑑賞した。ガンギマリ特集である。どちらも既に観たことがあったんだけど、『MIND〜』をスクリーンで観られる機会も少ないので行くことにした。
 『MIND〜』はとにかくガンギマリだ。湯浅政明はヤバい。作画と色彩感覚はジャパニメーションで最高峰だと思う。ただ現代の観点から鑑みると幾分女性の描き方に難がある。吉本興業がバックに付いているせいかも知れない。鑑賞後に後輩たちとも話したが、日本のアニメはダメだ。特に深夜アニメは倫理観が崩壊している。オタクは結局マッチョであることにDQNと変わりは無い。信じられるのは押井守だけかも知れない。
 『エブリシング〜』は良く出来ているとは思うんだけど、そんなにノれないんだよなあ。宇多丸のラジオでも投稿であったけど、結局、旧来の家族というシステムの賛美に話を持っていくのがダメなのかも知れない。高校生ぐらいの時に観ていれば人生ベストになっていたかも知れない。俺は『マトリックス』が大好きなので。

 例によって渋谷のTSUTAYAにDVDの借り直しに行った訳だけれども、その前にクロサワ楽器のG-CLUBにギターを見に行った。と言っても閉店間際だったので追い返されてしまったのだが。エフェクターだけ見たかった。俺はバンドをやるぜ。ライブもするぜ。
 行きの電車の中で決めた事だが、夏休みはデイヴィッド・ボウイとプリンスのアルバムを1日1枚ずつ聴くことにした。両者共に多作である。オシャレな音楽をオタク的な聴き方をする。全くどうしようも無い。トホホ。

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