カンニングで始めた中学受験の勉強が、最後に奇跡を起こした話

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前回の記事では、中学受験の塾のテストでカンニングをしたことが契機で最上位クラスに定着できたことをお話しました。今回は、中学受験の結果をお話したいと思います。

5年生の夏に塾のクラス分けテストでカンニングを決行し、不当に良いクラスで授業を受け始めた私は、うまい具合に勉強を身につけ始めました。カンニングが露見して学年主任の先生に激しく叱責をうけ、実力でテストを受けるようになったあとも、なんとか最上位クラスに定着しました。以後はもちろん実力で地道な受験勉強を続け、次第に塾で成績優秀者として掲示される常連となり、難関中学とよばれる進学校の受験もできる学力となりました。

さて、いよいよ中学受験の時期になりました。当時、複数の私学を受験することができました。私は4校を受験しました。日程の順に、以下のとおりでした。

A中学校;新興の進学校。わたしの模試は常にA判定
B中学校:Aと同程度の難易度。今回は受験会場の雰囲気に慣れる練習のため
C中学校:地域ナンバー2の進学校。私の本命、志望校。B-C判定
D中学校:地域ナンバー1どころか日本でも有数の超進学校。合格したら奇跡。B-D判定

1月の寒い日、母とともにそれぞれの中学へ受験に行きました。それぞれの合格発表が、次の中学の受験日よりも前だったので、前に受験した中学の結果が気になることはなく、安定した気分で全ての日程を迎えることができました。

まずはA中学の発表。もちろん合格。ひとまず、入学できる私立中学ができたことに安堵しました。友人には特待生の案内があったようだが私にはありませんでした。

次にB中学。もちろん合格。ここまでは計画通りでした。

そして、本命のC中学校。試験時間中は大きな手応えはありませんでしたが、いつもと同程度には解けている感覚があったので、ひょっとすると、と期待を持っていました。

数日後の合格発表。私はD中学校に向けて勉強をしていたので、父親だけが発表を見に行ってくれました。発表掲示時間が過ぎ、しばらくしてから、自宅でじっと待っている私たちに電話がかかってきました。父は名乗らずに言いました。

「合格していたよ。おめでとう」

ほっと、安堵しました。今までの受験勉強の全てが報われた瞬間でした。これで、志望校に通うことができる。もうこの結果に十分満足したので、D中学校は合格でも、不合格でもどっちでも良いやという気持ちになりました。

さて、D中学校の受験日。入試は2日間に分けて行われます。1日目のはじめの教科は算数でした。難問ぞろいで有名な中学で、ここで何点とれるかが合否に大きく関わってきます。

算数は、自信を持って解ける問題だけ先に解き、分からない問題は飛ばして後回しにして、残った時間で分からなかった問題を出来るだけ解くという作戦で解き進めました。まずは分かる問題だけ回答し、最後の問題までたどり着いたとき、答案用紙は半分も埋まっていませんでした。算数の得点が半分程度では、合格は絶望的なことは分かっていました。

終わった

私がD中学校に来るのは、受験日だけと観念した瞬間でした。その後は、国語、理科は諦めに似た気持ちで、出来るだけ解くことに専念しました。もう、吹っ切れていました。2日目に全ての試験が終わったあと、受験生は教室からグランドに案内され、そこで待っている保護者と落ち合って解散という段取りでした。迎えの母に会ったとき、これまでよく頑張ったことをねぎらってもらいました。悔しさはありませんでした。D中学校は、自分には分不相応な高い壁でした。もう不合格を確信していた私は、気の早い大学受験の学習塾のスタッフが、グランドでビラを配っていたのが、バカバカしくて気障りに感じました。

帰宅後、ずっと我慢していたゲームを思う存分しました。もう、中学受験は終わったのです。

さて、試験2日目の翌日が合格発表日です。父と一緒に合格発表を見に行きました。これが、私にとって中学受験の発表を見に行った唯一の日でした。不合格であることはほぼ確信していたので、発表掲示の12時から大幅に遅れ、15時頃に見に行きました。体育館はもう人はまばらで、私の友人は誰もいませんでした。不合格でも、誰にも見られることはありません。入り口から近い壁にたくさんの数字が羅列されていました。あまり期待せずに自分の番号を探しました。

誰のものかも分からない受験番号の羅列は、私には全く意味のない数字の行列でした。自分の受験番号に近い数字に近づくよう目で追っていくと…

!!!

あったのです、私の番号が!!!

無理だと思っていた、地域ナンバー1進学校の合格。諦めていた分、初めの気持ちは、嬉しさよりも驚きの方が大きな瞬間でした。遅れて込み上げてきた嬉しさの気持ちに、ガッツポーズを繰り返しました。その場で成績開示が配られるので、すぐに開封しました。意外なことに、最低合格点よりも余裕のある得点で、さらに驚きました。正解の書かれていない私の答案用紙にも、自分なりに一生懸命書いた思考過程に一定の評価をしてもらったようでした。

当時の私には、この合格がどんな意味があるのか全く確信がありませんでしたが、平凡な田舎の少年の私が、それとは気付かずに勉学の競争社会に参加し、さらに最前線に躍り出た瞬間でした。また、この中学への合格が、現在のスタンフォード大学につながる道の、最初の分岐点だったのでした。

また、中学高校での過ごしぶりも書いてみたいと思います。ここまで読んでくださった方は、是非スキのクリックとフォローをお願いします。コメントをいただけると小躍りで喜びます。では、また。

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