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カンニングから始まった私の中学受験勉強

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さて、前回の記事では、カンニングを駆使して塾の最上位クラスで授業を受けることに成功したお話を綴りました。今回は、そのあとの中学受験の顛末をお話したいと思います。

この中学受験の塾に入ったのは、塾では5年生のカリキュラムが始まるとき、実際の学年は小学校4年生の2月でした。カンニングは夏に決行し、5年生の夏以降はそこそこの成績を取ることができるようになりました。その後も先生や友達に恵まれ、順調に勉強を続けました。新しいことを知り、分からなかったことが分かるようになるのが単純に楽しく、パズルを楽しむような感覚で勉強をしたのを覚えています。反対に、親には、ほとんど勉強をするような強制はされませんでした。もちろん、勉強するなとも言われませんでした。笑 はじめは週に2回だった授業が、3回、さらに土日も入れて5回、のように増え続けても母は弁当を毎日作り続け、帰りが遅くなるときが増えて父は毎日送り迎えをしてくれました。また、私が受けたいと言った授業はほぼ全て受講させてもらったように思います。当時はサポートしてもらって当然のように考えていましたが、いま思うと、支え続けてくれた両親には感謝しかありません。安くはない学費をずっと負担してもらったことも、今なら感謝感激です。

学校の勉強はというと、次第に簡単すぎるようになり、だんだん楽しめなくなってしまいました。塾に通う前までは、積極的に授業に参加し、手も挙げて発言をたくさんしていましたが、やがて学校の授業が面白くないと思うようになってから、少し不良的な悪い友達とつるむことが増えました。授業はほぼ聞かず、テストではわざと間違えた答えばかり書いてゼロ点を取ったりもして、反抗的な生徒になりました。自宅でも些細なことで母親と言い合いをすることが増え、反抗期の始まりも関係あったのかもしれません。勉強に関しても、もう勉強はしたくないと怒鳴ったこともありましたが、母親は、別に勉強してって頼んだことがないので、いつでも辞めてというスタンスでした。辞めてもいいと言われると続けてしまうのが子供の性で、上手にたしなめられていたのでした。

こんな経緯で、次第に中学受験の勉強にどっぷり浸かるようになりました。自然に塾の友達との競争が始まり、先生たちは洗脳のように上位校への受験が素晴らしいことだと繰り返しました。周囲の環境に促されて、私も上位校への合格を目指し、勉強を続けました。幸い塾でのクラス分けテストでは実力で最上位クラスの常連となり、うまく実力がついているのを実感することが増えました。

中学受験の結果は、次回の記事でお伝えしようと思います。ここまで読んでくださった方は、是非スキのクリックとフォローをお願いします。

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