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寂しいよるもあるよね

最近は、なんだが寂しい日が続いています。
何故なのかと考えてみてもわかりません。こころはいつもいるはずのところにはいなくてずっとどこかを彷徨っている感じ。ひとりでいるのが寂しくなってしまったのだろうか。つい2日前まで自分最高だよねのメンタルで過ごしていたはずなのに、YouTubeで面白いチャンネルを見つけたと、その嬉しさで動画を見漁っていたのに。ほんと、”口角が下がっている絵文字”のような気分よ。

いつもなら楽しんでいたことが、なんだか無意味に感じて、「なんかつまらない。」あんなに楽しんでいたのに?!どうしたの急にって思う自分もいる。自分の世話大変過ぎない?めんどくさいよ私。なぜこうなったのか。経緯を辿ってみよう

最近の私は強かった。なぜそんな言い切れるかって?宗教じみてるように聞こえるかもしれないけどブッタの教えを得たからだ。難しい本を読みこんだわけじゃなくてただその教えの大切な要点だけをまとめてくれた動画をたまたま見たの。そしたらその考え方がスッと胸に入ってきて腑に落ちた。それからすごく気持ちが整っていた。幸せな気持ちでいっぱいだった。そんなところからあら急降下。どうしたことか。

一昨日、叔母が久しぶりに会いに一人暮らしをしている私の家に来てくれた。叔母と気になっていた喫茶レストランへ行った。有吉っていまいちだよねとか言ってテレビの話やたわいもない話をした。そのあと私が人気のいちごパフェのお店をご所望(自分で言うな)した。私は車の助手席に乗った。海岸沿いを走らせる。空もきれいで、ドライブ日和。その道の途中にしっかりめにたたずむ神社を発見。「行ってみる?」と一致団結。その神社、本殿まですごく長い階段があった。昔の人が手作りしたんだろうな。もう石がでこぼこに並んでて歩きずらいっちゃありゃしない。(作ってくれた人には悪いけど)叔母はそろそろ還暦だからねこんな無理させて悪かったかなと内心にやにやしていました。とにかく階段を上ったなぁ。それでも、蝉の声がたくさんして、海はきれいでいいところだった。ところどころに岩に緑の苔が生えていたり、見上げると木々が重なり日差しが少しだけ入ってくる。自然がたくさんで癒された。そのあとは下山してお目当てのいちごパフェを食べた。そして車に乗った。また海岸沿いを走り松田聖子メドレーをながし一緒に歌った。そしてあっという間に家についてしまった。今日は来てくれてありがとうと解散した。ドアが閉まる。そのとき少し寂しかったのだ。きっと始まりはそのときな気がする。どうも心がざわついて落ち着かない。久しぶりにひとに会ったからこんな症状が出たんだろう。だったら会わなきゃよかった?その気持ちも分からなくはない。

何だろうこの寂しさは。わからない。なにをやっても無駄な気がする。良く寝れないし。何をするにもやる気が出ないってわけじゃないんだけどどうしたら解決するのか。原因がわからないものに対して追求するってこんなに辛いのか。何をやっても満たされないのだ。自然とため息を吐いてしまう。どうにか寂しさから脱却しようと今も懸命に自分のこころに「どうしたの?」と問いかけているがわたしのこころは私に黙って背を向けて三角座りをしている。何かに対して拗ねているのか?なんだ?満たされないこのこころは、食欲でもない、性欲でもない、睡眠欲でもない。何を求めているのだろうか。こないだ観に行った映画が期待値が高かった分、あまりにもおもしろくなくてがっかりしたからだろうか。私にも分からない。肌の調子はいいのになぜこんなに元気がないのでしょうか。暴飲暴食もしていない。今は何もしたくないのだ。何もしたくないっていっても寝るのも違うのだ。別に寝たくはない。誰かに会いたいのかもしれない。私はだれか、こころの通える誰かに会いたいのかもしれない。近くにいないから寂しいのだ。心が置いて行かれている。自分の理解者というひとがすぐに目の前に現れて私を迎えに来てほしい。それが女だろうが男だろうがどっちだっていい。友達か恋人が現れてほしいんだ。あぁなんかわかった気がする。私は現実不可能なことを願って悲しんでいたんだ。そのこころはいつまでたっても叶わないよ、とわたしのこころにそうつぶやく。すこしずつ傷が治っていくように受け止め始めている。


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