『自分を信じる』について。持続して行動ができる人は何が違うのか。

おはようございます。雨の月曜日ですね。飛行機に乗ったあと疲れるように、気圧の変化に動物は弱く、影響されるので、今日はゆっくりとお過ごし下さい。さて、今日は『行動力、自分を信じること』についてです。行動力を起こす2つの力についてお話ししていきましょう。僕は専門的な心理学者でも、何者でもない、ただ自分の経験と五感を大事することを1年間行ってきた人です。


権威主義、原理主義に行動を規定されることなく、だいぶ心にゆとりができ、幸せになったので、そのルポタージュをお送りできればと思います。人にわかりやすく説明するにはどうしても、原理主義的な『この原因はこれ!』と言えれば完結で良いのですが、幸福や豊かさはそのように簡単なものではないことは想像しやすいでしょう。むしろ、そのような1つの物差しで考えることは視野狭窄をきたします。視野狭窄は不幸の根源なので、そう言った意味でもそのような考え方に囚われるべきではないでしょう。出発の時間なのに家の鍵を探している自分を想像して見てください。極めて、抽象的なお話になりますが、本日も、ゆっくりと紐解く。自分の思考。


人間は常に、何か行動していますが、行動の裏にはさまざまな関係がひしめいています。あまりに細かく説明しても伝わらないので3つに分けて説明したいと思います。人間の行動には、欲望(身体的欲望)、倫理(精神的欲望)が隠れています。どちらかが過度に現れて、バランスを乱すとき、どちらかはいなくなってしまいます。そして、反対側を侵害します。わたしも、精神的に豊かになるにつれ、食欲、性欲の減退を感じます。が、必要に迫られれば感じるので、大丈夫かなと思います。さて、行動の話に移りましょう。


1つめ、最も悪い状態です。『幻想に作り出された欲望が行動を起こす。』えられた結果が、幻想と認知的不協和を起こすことでストレスが生じます。ストレスの解消方法としては、結果をねじ曲げようとする懐疑主義や、構築主義、陰謀論、幻想の正当化と攻撃的な言動、過剰消費、etc.などです。そもそもが自分自身でもなく、幻想が、あなたの体を使って暴れていると言った方が過激ですがぴったりであると思います。倫理は消え失せており、人格攻撃や他者への配慮は完全に消えています。


2つめ、真ん中の状態です。『幻想により行動するが、価値判断は倫理観が行う状態』。これは、簡単に言うと、何をやりたいかわからない状態です。さまざまなものに影響はされるが、自分自身は何をやりたいのかわからない。行動をいくつも起こすが、続かない。幻想に動かされて行う行動と倫理に認知的不協和が生じてストレスを感じます。ストレスの解消方法としては、動かなくなります。自責的になる傾向があり、いわゆるうつ状態に近い状態になります。原因としては、幻想に囚われて気づけていない、それ故に、事実を事実として見られていない自分がいることが原因です。


3つめ、これは『自分の倫理観が行動をおこしている』です。倫理観に従った行動により、結果は悪くても、合理化により、持続的な努力、成長をすることができます。自分の興味のある分野の仕事をしようと言うのはこう言うことなのですね。自分を信じるということは、僕は『自分の倫理観を信じること』なのだと思っています。いまは、様々な仕事や娯楽がありますので、自分の倫理観に従った仕事、または、それが無理なら趣味を続けていくことがより良い豊かな人生を歩む上で重要なことではないでしょうか。


それでは、また。ご自愛ください。


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