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『天職』について。お金を払うこと、もらうこと。社会主義と資本主義の両方を経験して思うこと。

秋の夕暮れ。相変わらず気候も良くて、タバコがうまい。僕の尊敬する医師、養老孟司も言う、タバコは情報のゴミ捨てだ。生きている限り、いろんな情報が五感を通して入ってくる。24時間。常に、ずっとだ。寝ている間も生きている限り僕らは何かを感じ、良いようにも、悪いようにも変化している。


タバコを吸うと、頭がスッキリする。ストレスがなくなるというのはかなりざっくりとした説明だ。僕の経験も含めれば、たしかにタバコは情報のゴミ捨て。無駄な情報を勝手に捨てて、自分が真に何をするべきかを教えてくれる先生みたいなものだ。いろんな情報を浴びて、疲れたな、と思ったらタバコを吸う。僕のふとした気づきはいつもタバコを吸う時にはっきりと脳に刻まれる。イライラの原因は情報過多だ。多すぎて、パニックになって視野が狭くなって動けなくなる。今、今後、将来、未来。動けないと余計にストレスだ。そうならないように吸っている。


自分の人生に納得がいっている。自由意志がないだとか、物理学の因果関係に人間は動いているだとか、大いなるものに動かされているとか、そんなものに関係なくただ、そう思う。納得いくと、特に死んでも良いと思う。仕方がない。死すら肯定的だ。どうやら、過去の研究からタバコは健康には良くないらしい。けれど、人間はいつか必ず死ぬ。これは絶対。タバコを吸うことで何か不幸なことが起こったことの原因にしているのかもしれない。でも、タバコが悪者になってくれるなら僕はそれで良い。メメントモリ。死ぬとわかっているからこそ、納得して自分らしく死にたい。生きたい。


特に、僕個人の経験談なので喫煙を奨励しているわけではない。喫煙はマナーと節度をもって行なって頂きたい。特にそれ以上も以下もない。悪しからず。


今回は天職についてだ。僕の天職は、『人の役に立つこと』だ。ただ、現代の人は操られている人が多い。本来のその人ではない人が多い。特に、資本主義社会に来てからもそれは強く感じる。


資本主義社会に来た理由として、『保険医療は過剰医療だ、患者の意思に逆らって格安で医療が提供されている。それと違って全部自分でお金を払うのだから、そっちの方が合理的だろう。』そう考えて一度資本主義の社会を体験しに来た。けど違った、僕は『無駄かどうかは人それぞれ』みたいな相対主義の考え方は嫌いだった。納得がいかない。同じ人間なのだから、共通的なところがあると信じたい。じゃないといつまで経っても他人ごとだ。喜びが得られない。行動の裏には精神がある。精神を共に共有して、お互いに納得しあいたい。


じゃあ、保険診療はどうなのか?。実際問題、病気はその人の幻想を打ち壊す。一瞬で現実に引き摺り込む。いままでの生活が虚構のように思える。だから、僕は思った。それなら、ずっとリアルを生きた方が良い。だから、お互いに、人間同士で喋りたい。深いところで通じ合って話したい。これがなかなか難しい。お互いに死ぬ存在であると意識できているもの同士でしか話し合えない。希望を与える言葉もあるけれど、希望でごまかすことはあまり好きではない。むしろ、絶望してほしい。絶望して、死にたくなって、苦しんで0、つまり無になってから何かをつかんでほしい。


そう、僕は絶望している。絶望しているからこそ、自分の人生を始められている。そこには希望や豊かさがある。経験則で申し訳ないが、絶望していないと、何も本当に始められないんじゃないかな?


日本には『道』とつくスポーツがある。剣道、柔道、弓道、花道、etc. 道はどこに続くのか、それはどうやら仏教らしい。まぁ、日本のスポーツだからそうなのだろう。無心でやる。無我夢中。無の中に有を見出すことが出来るのが日本人の素晴らしい精神だ。欧米どちらかというと有の中に見出すことが多いらしい。狩猟民族特有だからだろうか。だが、最近、見直されており、ジョブズが禅を行なっていたことは周知の事実だろう。マインドフルネスも流行っている。何度も言うが、糸がついた状態でマインドフルネスをしてもただ、人形が動いてないだけだ。まずは糸を切ることから始めた方が良い。〔別記事参照〕海外のエリートたちはリベラルアーツを高等教育で学ぶし、宗教知識も文化に身に染みているので、日本の禅を行うことは得意なのだろう。


天職の話についてもどろう。ぼくは、『人間にとって必要な最低限のサービスの提供』だと考えている。医療では、どこまでが最低限かはわからない。倫理的な問題もある。ただ、相手が、『もう私の人生は満足です、もう死んでも良いです。』と思うまでだと思っている。ただ、なにかの希望にすがる人はこの言葉が出てこない。満足感も得られないのだ。医療はこれができない人が多い、無限に医療が投入できてしまうことで社会保障費が拡大し続けている。皆さんが納得して人生を歩んでもらえることをこの意味でも願っている。


医療業界は健康至上主義が蔓延している。病気を見つけて、全てを治療、薬を1日10錠以上飲むなんて、冷静に考えて異常だ。不自然。過剰なのだ。過剰だからみんな疲弊している。欲望なんて満たしても満たしきれない、どこかで自分が満足と言うしかない。満足感は豊かさからしか来ないのだけど。カロリーメイトのCMが好きだ。『時代は変わる、人間に必要なものは変わらない、カロリーメイト』CMキャッチコピー賞受賞だ。


資本主義なら、どうなんだろう。ここはまだ結論が出ていない。我々が人間として本当に必要なものだけを必要としたら社会はどうなるんだろうか。芸術しかなかった娯楽の幅が今の資本主義のサービスの拡大だ、邪魔するんじゃないと言われれば、そうかもしれないな、とも思うけれども。どう見ても、操られて不幸を消しに来ている人が多いような気がする。お金なんて払わなくても不幸は自分自身で消せるのにと思ったりする。自ずから動いて選択していると言うよりは、動かされている。ここは、人間の無意識と行動との反対性が出ていたり、個人の問題だけではない、過剰広告、全体の空気の問題もある思っているけれど。


今日は色々納得ができた。何かやって楽しくて満足できるのは個人的には20代前半までだった。最近楽しくないな、満足できないなと思う日々が続くなら、『納得が楽しい』と思えるようにしたらいい。変換器を使うのだ。頭の中にコンバーターを入れる。情報→楽しい。が無理なら、情報→納得→楽しいに1枚かましてあげればいい。それだけで1日が充実したように感じる。別に僕以外の気質の人は、情報→人助け→楽しい。とかにしてくれてもいい。アレンジ自由だ。


資本主義についても、社会主義についても、『すべての人が真に自分の意思で動くと言うことが大事なのかな』と書いていておもった。なーんだ、民主主義のことじゃないか。って思ったけど、これがすごく難しいんだなぁ。


お話も終わりに近づいて、とってもいい音楽が流れて始めた。すごく気分がいい。BOSSの缶コーヒーのCMのやつだ。良いね!

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