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『生きる』より『生かされている』。生きると"必ず"生き辛さを感じるわけ。受動的に生かされて、豊かさを得よう。

こんばんは、今日もお疲れ様です。宇多田ヒカルの『道』。良い曲。いつも夕方ぐらいに聴きたくなる。この中にこんな歌詞がある。『調子に乗ってた時期もあると思います 人は皆生きてるんじゃなく生かされてる』共感できる歌詞があると好きになる。より、深い歌詞であるほどより好きになる。


生き辛さは『生きてる』時に感じるもの、つまり能動的に動いている時に感じる。そりゃそう、物がぶつかってくる、こっちからもぶつかる。2倍痛い。そんな時は合気道、相手の力を受け流すことも大事。受動的に生きてるとそんなこともできる。相手の力を使って相手を倒す。そんな処世術が理想的。調子に乗って時は『生きてる』時だと思う。生きてると何かにつまずいてしんどくなる。物理を勉強した。世の中は全てが因果律で決まっていることのらしい。何をやっても同じじゃないか。自分の自由意志がないのかも知れないと感じる。悲観主義。自分のやっていることに何も価値を感じなくなる。自分が『生きてる』と思っているとこれは受け入れ難い。必ず、うつ病になる。ここで気持ちを切り替える。生きるんじゃない、『生かされてる』。何か暖かい。


上皇美智子様が「今までできていたことは“授かって”いたもの、それができなくなったことは“お返し”したもの」今まで出来ていたピアノが乳癌治療でできなくなったことに対して仰ったお言葉だ。『生かされる』とはまさにこのことだと思う。天地天明を知り、自分の社会的使命をやらされる感覚。絶対的なバックグラウンドを持ったことを行っているという感覚は豊かだ。安心感半端ない。運命に通じる、何か自分の中の絶対的なものに帰依する感覚は日々を豊かに生きるには大切。別に宗教とかじゃなくてもなんでも良い。自分が倫理的に良いと思ったこと。


料理で考えよう。自分は野菜。素材を活かした料理とその野菜たち。召し上がるのは自分じゃない誰か。そんなのはわからない。運命だから。生きて幸せになるなら、特別美味しい苺か、メロン。ただ、食べるのは他の誰かだから、これになって豊かどうかなんてわからない。普通の野菜は『生かされて』美味しくなれば良い。野菜もその方が嬉しいはずだ。特別美味しい素材も『生かされて』より、美味しくなる。大事なのは能動的じゃない、受動的に生きることだ。それは社会主義でも、資本主義でも変わらない。ずっと同じこと。たとえ、何か偉大なことを成し遂げたとしてもいつまでも謙虚でいられるしね。嘆かず、そして決して奢らず、日々できることをやっていこう。なぜなら、我々は生かされているのだから。

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