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【9】エホバの証人(JW)3世として育てられた私の自省録-JW離脱編-

第一志望の大学合格
とても運のいいことに、何とか第一志望の横浜国立大学に合格することができました。合格通知を見たときは泣いてしまいました。
自己紹介の部分でもちらっと書いておりましたが、後期で受ける予定だった電通大も落ちた場合は、チャレンジで受けた早稲田がたまたま受かってたのでそこに進学し、高額な授業料を払ってもらう代償として心を殺したままJW活動を続けるつもりでおりました。

母親へのカミングアウト
震災発生後から今まで、父は福島で仕事・生活をしております。盆や正月に父がたまに神奈川へ来ることはありましたが、基本的に母・私・弟と生活していました。嫌な記憶で脳が思い出すことを拒否しているのか、カミングアウトの際の記憶はあまりないのですが、私から「エホバの証人として活動するのは苦痛でしかないので今後一切の活動をやめます」と母に言いました。母親はしばらく考えたのち、「そっか、それはしょうがないけど、今までひかるとしてきた奉仕や伝道活動ができなくなるのは寂しいな」と言ってきました。
え、ここでお前の寂しいというお気持ち表明やっちゃう??
こっちは生まれてからずっと感情押し殺して耐えて耐えて死んだ心で集会行ってたのに??(この文章を書いてるとき、涙が止まらなくなりプチパニックになりました。てへ)

もし、私が両親の下で生まれるか・生まれないかを選ぶ選択肢があったとしたら、間違いなく後者を選びます。物心もつかず、周りに助けを求める状況がない環境での宗教の強制は、間違いなく精神的虐待ですし、子供の心を殺す行為です。

その後JWのお偉いさんと1時間くらい話さなければならなかったのですが、内容は全く覚えていません。
唯一覚えているのは、私が大号泣し、お偉いさんとエホバに祈って解散しましょうという流れになりましたが、私は祈りの最後に「アーメン」と言わず沈黙を貫いた、ということです。(こういう場合JWでは必ず声に出してアーメンと言わなければいけない。)

これで、17年間にわたるJWと私との縁を切ることができました。

大学生活は本当に楽しく、沢山の知り合い・友人を作ることができました。
それらのことについてもおいおい書いていこうと思います。
最後の方は半ばやっつけ仕事になってしまい、内容が薄い部分もあるので、後々加筆修正していこうと思っています。

まとめ
ここまでが、エホバの証人(JW)3世として育てられ離脱するまでの記録となります。後味の悪い終わり方となって申し訳ありません。

もし、JWを辞めたいと思っているJW2世、3世の方がこのブログを見ていらっしゃるなら、私でよければいくらでも相談に乗りますし、親御さんへの説得に乗り込みに行くことも厭わない所存です。
Twitterと連携することにしたので(普段は有害なツイートしかしていないので見て見ぬふりをしてください)、DMでもなんでも、声をかけたり、相談してくださると嬉しいです。
JW2世、3世として私のように育てられ、JWを辞めたいけどやめられない、という若者は現在の日本でかなり多いと推察します。このブログから、そういった方の人生が良い方向へ進む一助になればこれ以上の喜びはありません。


ブログを書いていて、自分の感情を整理するのによいな、と思ったのでこれからもちょこちょこブログは書いていこうと思っております。
最後にここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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