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ユーリー・ノルシュテイン「霧の中のハリネズミ」の白馬と子グマ

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 ユーリー・ノルシュテイン監督「霧の中のハリネズミ」は、友だちの子グマに会いに行くヨージックの物語です。
 ヨージックは子グマとの語らいを、とても楽しみにしていて、ネズの木のジャムを持参しています。しかしなんの因果か、ヨージックは霧の世界にまよいこんでしまい、ネズの木のジャムを無くしかけて、あわや川に落ちて一命を落としかけます。さいごは、ナマズに命を助けられて、小グマに会いにいけるヨージックですが、霧のなかを旅してヨージックの世界は変わります。
 ヨージックは霧の中から戻って、あらためて「子グマといっしょがいいな」と思いながら、同時に、なにごともなく子グマの家に辿り着いていれば、知り得なかった白馬のことが気になります。
 霧のなかから戻ったヨージックの心は、霧に迷い込む前と同じままです。しかし、まだ星の見えない夕暮れどきから、子グマと星をながめることを楽しみにしていたハリネズミは、子グマとならんで星を見ながら、霧の中にいる白馬のことを考えるハリネズミに変わっています。
 経験が人を変えることは、ひいては人生の問題です。スタート地点と終着地点が同じでも、まっすぐゴールに辿り着く道と、途中で迷う道とは、道そのものがちがいます。同じように、生まれて死ぬことは誰しも決まっていても、生まれてから死に場所にたどり着くまでの人生は、それぞれに歩んだ人生で違います。
 ヨージックが子グマを思う気持ちも、ただまっすぐに子グマと一緒に星を見たいと思っていた頃と、霧の中の世界の神秘に魅了されても、子グマと並んで星をながめたいと思う気持ちでは、気持ちの過程が違います。
 子グマとならんで星をながめながら、白馬を思い出すヨージックの心は、気持ちの本音と関係のない、忘れられない記憶にとりつかれています。
 なんのつながりも無いときに、まったく関係のないことを考えてしまうのは、今と無関係と思われる過去のその記憶が、そのときを形作る、今だからではないでしょうか。ヨージックが「子グマといっしょがいいな」と思いながら、霧の中の白馬を思ってしまうのは、霧の中を抜け出せたおかげで、子グマと一緒に星空を見られているから、なのかもしれません。
 人生には心の本音と関係なくても、忘れられなくて気になってしまう記憶があって、それを忘れては、自分の心の本音を説明できなくなってしまいます。
 心も体も姿も名前も変わらないのに、人生と気持ちと本音だけはつねに変わり続ける。生きているあいだの、ふしぎにせまる物語(ストーリ)が、ユーリー・ノルシュテイン監督の「霧のなかのハリネズミ」のアニメーションの味わい深さだと、私は思います。

「ユーリー・ノルシュテイン「霧の中のハリネズミ」の白馬と子グマ」完

©2023陣野薫


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