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minimal 自由からの逃走

🖋Pdf版もございます。

 エーリヒ・フロムが書いた「自由からの逃走」は、読書がすすめられる代表的な社会心理学の著書です。
 フロムは、社会の人間には自由を完成させる選択と、完成させない選択があると考えていました。
 子供は生まれて保護者の監督下で育つあいだ、個人として生きながら実際には保護者が指導する生き方に従って生きています。段々と子供が成長すると、子供は自分の生き方を自分で考えられるようになります。しかし、子供が自分の生き方を自分で考えて実行する段階になると、子供はそれまで自分を指導してくれた親から見放されたような損失感に悩みます。子供は自分の生き方を自分で考えると孤独になるので、自分で考えるのを止めて保護者の元に戻ろうとします。しかし孤独が嫌で保護者の元に戻っても、もはや他人に指導されるのが自由を奪われているように感じられて、後から自分を保護するルールや存在を恨み始めます。
 このように人は、束縛を解かれても半人前にしか自由を生きられません。そして、フロムの考える究極の選択を迫られます。完全な自由を完成させるのか、それとも孤独を避けて自由から逃走するのか、そちらかを選択するそうです。人類は自由とは逆方向に向かった時代があります。社会全体が自由の真反対になっていた時代もありました。フロムの考えでは、社会は個人の集合体で、個人の欲望や恐怖や理性やその他色々なことは、そのまま社会の欲望や恐怖や理性だそうです。
 ヨーロッパの歴史は中世からルネサンスに移り変わって近代をむかえる間に、経済、宗教、信仰、政治、職業などに選択肢が生まれて、それぞれに経済の自由、宗教の自由、信仰の自由、政治の自由、職業の自由など、たくさんの自由が認められました。社会はそうした自由を多様に増やしていく一方で、人類は様々な方法で自由からの逃げ道を作りだしていました。
 例えば、言論の自由は人々に求められていましたが、それまで正しいとされていた典型文が否定されて、なにを言えばいいのか、なにを言ってはいけないのか、人々は言葉の使い方も見失いました。人々には発言したい主張や言葉も思想もなくて、自由に言葉を使いたがっていたわりには、新たに言葉のルールブックが作られるまで言論の自由に困ってしまいました。
 社会は新たに何かしらの自由を認めるたびに、自由が認められる以前の不自由な環境を作り出すシステムを社会に生成させます。社会も人と同じで、完全に自由を完成させないで自由から逃走しています。束縛から解放された社会は、いわば半分だけ自由を味わえる社会です。
 しかしフロムは、社会が半分しか自由にならないのは社会の問題ではなく、孤独を恐れる人々の内面が問題を防いでいるからだと考えます。
 人は他人と共生しながら安全を作り出す種族です。外敵から身を守ったり、生産物を分けたり、そうしなければ、人は食物を確保できずに飢えて餓死してしまいます。孤独も飢えと同じで、人は孤独の状態が続くと精神が死んでしまいます。精神を死なせないためにも、人は他者と共生しなければならないのです。
 人は他者と共生すると、他人との協力関係で役割を得て、他者に必要とされる自分には生きる価値があると思えます。宇宙や社会といった壮大なスケールの中で生きる人間は、ともすれば米粒のように小さい自分を自虐しないために他者との繋がりを大切にする必要があります。人同士の繋がりは肉体と精神を安定させる命の安全予防です。
 その反対に人が他人から切り離されると、肉体にとっても精神にとっても死を予感させる苦痛になります。孤独の苦しみは、命が脅かされている苦しみです。他人から離れて孤独を耐えながら完全な自由を完成させるには、人間の本能に反していて命の危険に関わっています。それでも自由な個人になって他者と共生できれば孤独も克服できます。それには創造性を発揮する必要があって、個人が個人の力で他者との繋がりを創造すれば良いそうです。もしも途中で創造を諦めれば、或いは創造性を発揮できなければ、孤独のまま何もできない無力感で無気力になって死んでしまいます。
 フロムが言うには、人は簡単に自由になれません。人は自由を欲している一方で、多くの人は他人と繋がらずに生きることを恐れています。他人と離れて孤独になっても自由になりたい気持ちになっていませんし、自らの意志で自由から逃走しています。それでもフロムは、社会の平和のために完全な自由を完成させるべきだと伝えています。
 完全な自由を完成させた自由な人々の社会は、一人の個人に大勢の人々が追随する社会にはなりません。社会が一人の個人に委ねられる心配はないので、社会は一人の個人に危険にされません。個人の思想が社会を危険にさらす心配のない社会が実現します。そうなった社会では、皆が皆、自由に生きられて平和も維持されると、フロムは分析します。そのために社会は、同じものが平等に認められる平等を否定して、オンリーワンが平等と認められる平等を叶えるべきだそうです。
 フロムの考えは、いま世界で掲げられている多くの平等の基準と一致します。しかし、違いを対等に認め合う必要性を様々な理由から懐疑的に考えている人達もいます。フロムは、そうした人達の意見を説得するつもりで「自由からの逃走」を書いています。いまも世界のあらゆるシーンでフロムに助けられている人達がいます。異なった意見が対立するとき、自由と平等に加勢してくれるのが「自由からの逃走」です。

「minimal 自由からの逃走」完

©2024陣野薫



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