no.5 屑
猫と一緒に暮らしたい。と最近よく思うようになった。きっと僕は寂しいのだと思う。最近は人付き合いがなかなか上手くいかず、音楽だとか、ゲームだとか、食だとか、本質の外枠に設定した幸福にしがみついている。しかしそれで紛れるなら苦労はしない。夜になれば寂しいし、1日言葉を発さない日なんてのもザラな中、1人じゃないと勘違いするために僕は猫を欲している。猫は人の言葉を持たない、人の心を持たない、しかし、生きている。これが良いのだ。対となる要素を持つ時それは存外対としての機能を果たしていない。都合のいい解釈だと揶揄されるが、存外そんな事もない。例えば、踊り子なんかはそうだろう。エロティックでありながら犯しがたさを彼女達は持っている。自分の社会的或いは人間的な価値を高いところに設定しなければ、接することの出来ないような感触が、どうもくすぐったくさせる。僕はそう言うのが好きなんだと思う。
先の俯いた心情に追随して、文を書くと言うのもまた少しばかり辞めていた。というか、辞めざるを得なかったのだ。暗い話は止めよう。また止めどなくなるのが怖くて堪らない。
瞬く間に4月が終わり5月上旬へと及んだ今、五月病が世間を苦しませている事と思う。大学生活に胸を膨らませていた学生が、自分のコミュニケーション能力の低さに気づき、乗り遅れて、落ち込んでいる、或いは、新社会人になり社会という物の薄暗さを目の当たりにして不安に駆られる時期である。当然悩みごとも増える。自分を許せない。こう言う人間と付き合ってる自分が許せない。ここじゃないどこかに行きたい。そこがどこはわからない。自分を許してやりたいがどう許してやれば良いか分からない。だが、こう言う悩みを持たない奴はバカだ。
勿論、悩みなんてないほうがいい。だが、ない奴はバカだ。という事である。そう言う連中は自分の体の喜びよりも、社会的なランク付けに高いプライオリティを設定する最低の人間だ。僕はそう言うクズの相手はしたくない。
自分を許せない時期は辛いが、その果てにしか無い素敵な笑顔があるのだ
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