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紙切れ一枚の、想いの重さ。

車の免許を取ってから、ずーっとペーパードライバー。

免許を取ったのは、大学一回生の冬。

大学に入学してすぐに、体育会のアメフト部に入部した。
いろいろ思うことがあって、一年経って退部した。
退部してまずしたのが、アルバイト。
次にしたのが、運転免許を取ることだった。

一ヵ月間で試験に一度も落ちることなく、なんなく運転免許を取れた。
免許は身分証明のためではなく、当然車を運転するため。

免許を取ってすぐ、父の車で練習を何度かした。
そしてすぐに、車を乗ることを止めた、いや諦めた。

練習した道は何度も通って、知っている道。
助手席に乗ってもらった父が乗るたびに言った。

「おまえの運転は、怖いわ」

怖いといった理由が、二つあった。

一つは、スピードの出し過ぎ。

細い道で下り坂を制限速度で走ってはいた。
父からすると、その道を慣れない車で走るのはスピードが出ていたらしい。ちなみに同乗していた母に聞くと、そんな風には感じなかった。
弟は父と同じくスピードが速いと言った。

スピードを出していたつもりはなく、スピード感がまずいと思った。

もう一つは、距離感。

前の車との車間距離もそうだけど、左側にかなり寄って走っていたらしい。
これも弟にも言われた、母は相変わらず「そうかぁ」と。

慣れていないということもあるが、自分のイメージとは違っていた。
スピードは抑えていたつもりだし、車間距離や幅寄せにも気をつけていた

人からすれば、慣れれば大丈夫なレベルかもしれない。
ただ、慣れるまでにも事故でもすれば相手を傷つける。
相手の周りの人の心を傷つけるかもしれない。

そう思った瞬間に、車を運転することは止めた。
私にとって、相手を傷つけることはしたくない。
相手が攻撃すれば別だけど、こちらから傷つけることは絶対にしたくない。

昔は攻撃的だと思われていたが、基本やられたからやり返しているだけ。
私にやったことを相手は気づいていないだけ。

傷つける可能性は、少ないかもしれない。
ただそれが起これば、取り返しがつかない。

確率の問題ではなく、大きさや衝撃の問題。


ほぼ京都市に住んでいたので、交通には不便しない。
バスは多いし、地下鉄も電車も多い。

何よりも、歩くのが好き。
2時間、3時間は、10キロは平気で歩ける。

東京に行くと、東京駅から新宿や渋谷まで歩いたりもする。
坂道が多いのが嫌だけど、距離は歩ける距離。


今は、車だけでなくバイクも自転車も、ペーパードライバー。
身分証明書という紙切れ一枚と変わらない。

たまに、自転車を乗れるのか気になったりする。
小学生の時、自転車を買ってもらった時は嬉しかった。
中学生までは遊びに行くのは、いつも自転車だった。
でも高校からは電車通学に変わり、乗らなくなった。

ふと思う。

当時は慣れ親しんだものでも、今は使っていないものが多い。
年を重ねるほど、ペーパー○○が増えていく。

小さかった頃は珠算や書道、大人になってからもいくつか資格をとった。
試験に合格した時は、本当に嬉しかった。

今現在その資格を活かしていないから、当時の力から衰えている。
昔取って今は全く活かしていない資格などを考えると、ガクっとくる。


話は変わるが、離婚届を紙切れ一枚と言うらしい。
結婚当時の関係がなくなりガクっとなるから、紙切れになるのだろうか。

でも、結婚も紙切れ一枚では?と思う。
結婚の時は指輪などいろいろついてくるから、一枚ではないかもしれない。

紙切れ一枚という、紙切れが問題ではない。
問題は、その一枚を取るために努力したことを、当時の想いを忘れたこと。

取った時の想いがなくなるから、紙切れ一枚の軽さになるのかもしれない。

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