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方向音痴と平和。

いつから、方向音痴になったか覚えていない。いつからかがわからないということは、生まれもっての方向音痴なのかもしれない。

方向音痴であることを初めて意識したのは、中学二年生だった。部活がテニス部で、女子テニスの顧問であった担任の先生から、あるテニスの試合のチケットをもらった。
4人の海外の有名な選手が出場する日本で行われる当時大きな大会で、場所は確か大阪城公園近くにあった大きなテニス会場だった。
その大会には、マルチナ・ナブラチロアやクリス・エバートが出場していた。残りの2人は若手の有望選手(アイドル選手)で、楽しみに会場に友達と観戦しに出掛けた。

試合結果は、予想していたよりも早く終わった。ほぼ全盛期のナブラチロアやエバートが若手選手を簡単に退けた。楽しみにしていただけに、拍子抜けして会場を後にした。
その時何を思ったのか友達に、「大阪駅まで歩いて帰らへん?」と言った。大阪城から大阪駅前までは、駅で4駅、徒歩で1時間くらい。歩けない距離ではないし、予定よりも1時間近く早く終わったから、歩くことにした。

当時地図アプリはなく、地図も持っていなかったが、何となく大阪駅の方角だけはわかっていたので、話しながら歩いた。
歩いて歩いて2時間近く経っても、大阪駅前の大きなビル群が見えてこない。タバコ屋があったのでお店の人に道を尋ねると、まさかの1駅しか進んでいないことを知った。そう、大きくグルーっと一回りしていたらしい。

北(上)に向かって、西(左)に折れて、また北(上)に向かう。そのつもりだったのが、左に折れて、左に折れて、左に折れていたらしい。
そのことに二人は気づいていなかった。話に夢中になったこともあるけれど、どこかでなめていたのかもしれない。結局歩き疲れ、電車で大阪まで戻った。

今から去ること三十年以上前の話。つい最近というか、4年前にもこんな話があった。

私は生まれも育ちもほぼ京都。京都の町並みはご存知のように碁盤の目で、なかなか道に迷うことはない。実際歩くのが趣味でよく歩いているが、なぜか知らないがよく迷いもする。よく道に迷子になる私でも、4年前のある出来事には正直情けなくなった。

何度も歩いている道で、何度も行っている目的地。なのに、道を間違えた。どうすればそんな風に道を間違えたのか。

途中でコンビニに寄り、店から出た時に北と西をなぜか間違えてしまった。北に向かっているはずが、気づけば西に向かっていた。途中で記憶のない町並みには気づいたけれど、二つのミスを犯して歩き続けた。

一つは、方角を間違えたかもと思いながら、「間違うはずがない」と思い込んでいたこと。方向音痴を自覚していながら、方向音痴のくせに、変な自信を持ってしまっている。
道に迷ったかもと思った時にいつもするのが、太陽を探すというか影を見ること。その時も方角を確認しようと思ったが、歩いていた時間はほぼ正午。太陽はほぼ真上で影もほぼない状態だったので、方角を確認することができなかった。完全に自分を見失った

思い込みと自分を見失ったというミスを犯したまま、20分ぐらい歩いた。北に向かっているなら絶対に出会わない川に出くわして初めて、道を間違えたことに気づいた。
打ち合わせの時間が迫っていたので、あわてて道を戻って北に向かって早歩きをした。何とか間に合ったが、打ち合わせ相手の二人はゆっくり昼食を取っていたらしく急ぐ必要はなかった。

この二つのエピソードからもわかるように、歩いていて途中で自分がどこにいるのかがわからなくなってしまう。
歩くことにどこに向かうかに集中すればいいが、歩きながらいろいろなことを考えたり、珍しいお店などに出くわすと、意識がスイッチングしてしまう。意識を元に戻した時には、歩き進んでいるので軽い「ここはどこ?」状態になってしまう。

最近は自分を信じず、小まめに地図アプリで場所の確認と目的地までの道順を把握しながら歩くようになった。結果、道に大きく迷うことは少なくなった。

実は、方向音痴からくる地図が読めないことが悩みの一つだった。方向音痴は直すことは難しいが、それを自覚して歩けば、なんとかカバーはできる。ただうまく説明できないことが、モヤっとさせていた。
このモヤっとを取り除いてくれる文章に出会った。向田邦子さんの『霊長類ヒト科動物図鑑』の「女地図」のエッセイの中に次のような文章があった。

地図というのは、抽象画である。
地図には感情がこめられない。
女が地図を書けないということは、女は戦争が出来ないということである。
敵陣の所在も判らず、自分がいまどこにいるのかもおぼつかないのだから、ミサイルどころか、守るも攻めるも、出来はしない。
そのへんが平和のもとだと思っていたのだが、地図の描ける女が増えてくると安心していられないのである。

何気ない文章ではあるが、平和のために平和を愛するがゆえに、地図が読めない・書けないんだと言い聞かせるようにした。言い聞かせると書いているが、実は都合よくそう “思い込み” をしているだけかもしれないが。

誰にも迷惑をかけず危害も加えず、自分の悩みを解決してくれる思い込みなら、許せる気がしている。何よりもこれほど平和的な思い込みはないから。

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