公利私欲のある社会があってもいい
この文章は、4 年以上前の2014 年12 月に、以前使っていたブログに投稿した内容。改めてnote 用に文章や言葉をリニューアルにしてみることに。
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ある本を読んでいて、突然頭に閃いたことを書きたくなった。
よく言われる “私利私欲” と “公利公益” の2つについて考えていた。
「人が動くためには “何が” 必要だろうか。」
この何かにあたる “動機づけ” を考えていたときに、言葉が浮かんだ。
“公利私欲”
調べたけれど、この “公利私欲” という言葉は私の知る範囲ではない。
(あるかもしれないが・・・)
意味としては、次のように考えている。
“自分が” 叶えたい願い(私欲)を動機に行動して実現した結果が、
“社会に” 返る(公利)こと。
そもそも、欲とは何か。
私にとっての願いや夢が、他人からみると欲だと思われることはある。
欲なのか願いなのかは、判断が難しい。
叶えたいことであり、欲しいものである。
広く捉えるか、狭く捉えるかの違いでもある。
共通するのは、“自分ゴト”であること。
課題は、 “社会ゴト” をいかに “自分ゴト” に置き換えられるか。
動機づけが “公益” であるのが一番いい。
しかし多くの人は動かない、これが社会の一つの現実。
「ならどうすれば人が行動に移せるのか。」
自分のためにしたことが結果として、社会のためになる。
そう、“自分ゴト” が “社会ゴト” になればいい。
私利私欲や公利公益の両極端を主張せずに、間の橋をつくるのもいい。
自分のためにした行動が社会へ寄与する仕組みになれば、
よりよい社会は創れる。