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ハダカの王様

最近、ハダカの王様が多くなった気がする。

少しでも自分の気に食わない納得できないことを言われたりすると、
  拒絶反応を起こす。
反対に受け容れてくることを言われたりすると、
  受け容れられた気がして嬉しくなる。

これは、SNS時代だからかもしれない。

特にSNS時代になって、拒絶反応は連鎖して拡がっていく。
その拒絶反応に対して、拒絶反応が起こり拡がっていく。


随分、昔の話。

会社の上司にハダカの王様がいた。
若くして課長、部長になり、かなり鼻の高い天狗だった。

目の前のことしかみないから、
  自分の鼻が高いことには、高くなり続けていることに
    全く気づいていない。

仕事も誰よりもするし、実際できるから、誰も何も言えない。
課長が何か言っても聞かず、反論して罵倒して撃墜して、喜んでいた。
そんな姿を日常見ているから、多くの人は反論せずにいた。

私の場合、反論すべきことは言っていたので、気にいらなかったらしい。
私の知らないところで、部下である私の悪口をいろいろ言っていた。
本人はバレないと思っていたようだが、私の耳になぜか入ってくる。

心の中でずーっと、その人をハダカの王様と思っていた。
ある時、ハダカの王様に言ってしまった。

「このハダカの王様が!
 みんなハダカであることを見てみぬフリしているけれど、
   影で何言われているかわかっています?
 いい加減、ハダカでいることに気づけよ、このおっさんが」

だいたい、こんな感じのことを言った。
関西弁でケンカ腰で一方的に言いまくった。
文字に起こすのが難しく、これが限界。

ちなみにこれは、朝7時に部長と二人きりで言ったので、誰も知らない。

ハダカの王様は、内面が弱い。
今まで誰も言わなかったことを言われたので、私の前から消えていった。
ハダカであることが恥ずかしいのではなく、
  私が憎いから私の存在を消すことにした。

それまでいろいろ仕事を直接振っていたけれど、
  それ以降は課長経由に誰か(暗に私)に仕事をさせるよう指示を。
課長からは「何かあった?」と聞かれ、
  「ハダカの王様にハダカです、と言ったからですかね」とは言った。

ただ、その部長には感謝もしている。
目の前にハダカの王様がいるから、その人を見ていたから、
  私も時にハダカであったことに気づけた。
王様ではなかったけれど。


ふと思う。

ハダカであることが問題なのか
王様であることが問題なのか

王様であることが問題なのではない。
ハダカであることが問題だ。

それ以上に問題なのは、見てみぬフリをしていること。

言うことによる反応は、確かに怖い。
何されるかわからないから、本当に怖い。
言うことにも、いろいろな覚悟が必要だ。
(当時の私には覚悟よりも、うんざりが多かった)

今必要なのは、昔の私がしたようなハダカだということではなく、
  ハダカの王様にそっと服をかけてあげることだと思う。

言われると反論されるが、服をかけることで、
  自分がハダカであったことに気づくことができる。
気づくことで、自分は恥ずかしくなって、省みることができる。

「素と裸。」

似ているようで、全く意味は違う。
素と呼ばれる方が嬉しくなる。

素っ裸という言葉もあるが。

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