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泣く、鳴く、哭く。

「なく」ということを、いろいろな漢字で表現している。

泣く、鳴く、哭く、啼く。
他にもあるかもしれない。

よく使うのは、泣くと鳴く。

少し前だが、哭くを聞いた。
いや待て、だいぶ前のような気がする。
その前に、少し前とだいぶ前の使い分けが悩ましくなった。

本題から離れるので、この辺りで話を戻そう。


私が住んでいるのは、約7年前は新築だったアパートになる。
マンションに近いようで、造りが違う。
中でも、音が大きく違う。
隣や上の部屋の音がたまに聞こえてくる。

早朝の3時頃だっただろうか。
ちょうど目が一瞬覚めて、時計を見て、
  「まだ寝よう」と二度寝しようとした。

すると、どこからか慟哭のような哭き声が聞こえた。
嗚咽しながらの、息苦しそうな哭き声だった。

何事かと一瞬に目が覚めて、どこから聞こえているのか耳を澄ました。
すぐに隣りだとわかった。

何度か顔を合わす程度で、挨拶程度しか話をしたことがない。
関心がないといえば、関心はない。
ただ、苦しそうな哭き声で、気になってしょうがなくなった。

何が苦しいのか。
それも、人が寝ている時間帯に哭くのか。


ふと、自分はあんな哭き方をしたことがあったかと気になった。

母が亡くなった時が、一番苦しかった。
危篤状態に陥りすぐに実家に電話したけれど、
  父親や弟は間に合わなかった。
最後を看取ったのが私だけで、母の声なき苦しい声を耳にした。
あの声は今でも忘れられない。

いや、その前に、だいぶ前に、余命宣告されたときは泣いて帰った。
ただ、宣告された余命よりも、長生きできた。

苦しくて哭きたかったけれど、ひたすら耐えていた。
独りになると込み上げてくるものがあったけれど、哭くことはなかった。

その日以来、泣くことすらなくなった。
映画やドラマ、ドキュメンタリーを観て、涙することはある。
泣き虫な方なので、涙する。

しかし、泣くことはなくなった。
いや、泣くことができなくなったといった方がいいかもしれない。


だからかもしれない。
隣の哭き声の原因が気になった。


泣き方を忘れた鳥は、泣くことができるのだろうか。
飛び方を忘れた鳥は、飛ぶことができるのだろうか。

どうすれば、忘れたことを思い出すことができるのか。
きっと、思い出そうと意識するから、思い出せないんだろう。

忘れた頃に、泣くことができるだろう。
そして、いつか哭くことができるだろう。

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