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“分かち合い”ではなく、“譲り合い”のある社会へ

この文章は、5 年以上前の2014 年1 月に、以前使っていたブログに投稿した内容。改めてnote 用に文章や言葉をリニューアルにしてみることに。

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いろいろと耳にするのが、“分かち合い”

共有、そしてシェアとも近い意味を持つ言葉。私の(当時の)ビジネスモデルでも、この言葉が一つの大切なキーワードだった。

教育資本を必要とする子どもや家庭に、持っている人や企業や社会が届ける。特に目新しいモデルでもなく、実際それに近いのは既にいくつもある。ただ、“目的” や “教育” そしてステークホルダーとの “関わり” が他にないモデル。

人に話すと、難しいという言葉が必ず返ってくる。意味も意義もあるけど、事業としては難しいと。確かに難しいけれど、「できない」ではないので可能性があると信じている。というか、信じたいというのが本音かもしれない。

しかし、“分かち合い” でいいのか、と自問がときどき起こる。

私は、会釈をよくする。知り合いとの会釈ではなく、人や車に道を譲った後の、見ず知らずの人との会釈。曲がろうとする車や直進する車があれば、ほぼ立ち止まる。会釈をして進む車もあれば、進まず私が渡るのを待っている車には手で「先に行ってください」と合図を送る。

ただ会釈をしているだけ、しかし、悪い気持ちをする人はいない。いや、逆に気持ちが清々しくなる。会釈に笑顔を加えると、自分まで笑顔になれる魔法。特に嫌なことがあったときほど、気持ちがスッキリ晴れやかになれる。よし、頑張ろうと。

“分かち合い” と、“譲り合い” は違う。

「持っている人が、持っていなくて必要とする人に、今は使っていないモノを届けること」が、分かち合い。
対して譲り合いは、「持っていなくても誰にでも簡単にできること」。何もなくても気持ちというココロがあれば、“いつでも” “誰でも” 今すぐにでもできる。

近年日本では多くの自然災害が起こっている。その都度、被災者の方々から、この“譲り合い” のココロを感じる。海外でもよく取り上げられ、驚かれている。しかし、この “譲り合い” の精神こそ、日本のよきココロだと思う。

みんな人よりも一歩先に進もうとする。先に進まずに止まることに、取り残される不安を覚える。また安倍政権になってから(2014年当時)、「強い」「勝ち抜く」「取り戻す」などの言葉が並ぶ。それに反対の考えを持つ人も当然いて、両者は批判・否定ばかりし合う。

そこには、止まる、一歩下がるなどの、“譲り合い” というココロはない。“譲り合い” とは、自分の意見を言わない、行動をしないのではない。相手も、自分も、気持ちよくなるようにする気配りや気遣い。

私たち大人は普段の生活でも、気にすることなく、我先に私だけという行動を起こす。

ブザーが鳴っても強引に駆け込み乗車をする大人。
閉まりかかった踏切の危険な横断を渡る大人。
子どもが赤信号で止まっているのに、平然とわたる大人。
などなど

未来を創る子どもたちは、そんな大人を常に見て育っていく。未来にとって、“譲り合う” というココロこそ大切。この実現には価値観を変えることが必要で、それにはソーシャル・マーケティングの仕掛けが必要になってくる。

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