歌い手さんが顔にスタンプを貼る理由

歌い手さんは良く顔を隠している。写真を撮ってもすぐに投稿するのではなく、何かしらスタンプなどの細工を加えてからアップするか、あまり鮮明に映らないように撮ってからのどちらかだ。その理由は、もともとこの「音楽を歌って投稿する」という文化が始まった頃の風習に端を発している。

【注意事項】この記事は、軽めな記事です。少し冗談ぽくお読みください。

そもそも旧時代において「顔を鮮明に出して音楽発信をする」ということは、基本的に炎上の対象だった。なぜなら前にも話したとおり、旧時代のネットでの音楽活動は「グレーゾーン」、つまり黒なのか白なのかはっきりしなかった(というかむしろダメだった)ので、つねに「この人が誰かを当てて、怒りの鉄槌で懲らしめてやろう」というエネミー(敵)に囲まれていたからだ。なぜグレーゾーンだったかというと、それは色々な法律上において「やって良いのか悪いのかまだわからない or 決まっていない」という事をとりあえず色々見なかったことにして、見切り発車で音楽発信を始めるという、匿名が基本の「コソコソやってるのが楽しいやんちゃ遊び」だったからだ。

その後、この動きがどんどん大きくなってくるにつれて色々なことが、後付けで「やっていいこと」に変わっていった。つまり禁令は解かれたのだが、土着の風習は根付いたままである。だから大抵、顔をスタンプなどで隠して投稿する文化を継承する者は、その下地に旧来のネット文化という源流を持っている事を示している。逆に気軽に顔写真を投稿する種族は、ここ数年の「平和な世の中」になってからネットを始めた者であり、なぜ隠すのかの理由さえ知らないであろう。

「やっていいこと」に変わってからも基本的に治安はよくなさげな世界だったので、どんな暴言を言っても咎(とが)められないからと「良く平気で顔を出していられるな」などの失礼な言葉を吐いてさっさと平和な実生活に戻ることを趣味としていたエネミーも多くいた。そこで発信者は、”出すほどの顔ではありませんが…”と、謙遜の気持ちも加味したように見せつつ、なおかつ攻撃されにくい「顔の一部を隠す」という方法を用いて精神的な防御策としていった。これは、「歌い手」という名付けが「歌手ほどのものでは…」という謙遜さから端を発したものであることと現象的に近似する。

SNSに気軽に顔写真を投稿する文化が根付くまでには、幾多もの切込み部隊が勇敢に戦いを挑み、そして残酷なエネミー達を前に(精神的に)燃え散っていった。「私達はその人たちの気持ちを忘れません」という証として、顔にスタンプを貼り、今でも旧来のネット文化に源を一とする種族としての誇りを保っているのだ。あ、あまり真剣に読まないでくださいね。

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