行き先のわからない旅行記 (1)

去年の今頃、またしても発症した。

朝起きた瞬間に、感覚で気づく。「”今夜”というかならず来る近い未来。しかしその自分がどこに居るのかまだ決まっていない。」という遊びをしたいんだ、今日は、と。

数年に一度、そんな波に寝起きを襲われる。

トランクにとりあえずの荷物を詰めて、羽田空港へ向かう。「どこにいくかも分からない」状態で空港に向かうこの気持ちも、楽しみの一つなのだ。そして、空港に着いたらすぐに、津々浦々の行き先が表示された電光掲示板の写真を撮り、TwitterにUPした。

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ぼかしを入れて、各ディスプレイに1〜4の番号をふる。そしてTwitterのアンケート投票機能を使い、好きな番号に投票してもらった。20分間だけのアンケート、票数は「1087票」。「1+0+8+7」=「16」ということで、票の一番多かった画面3の、上から16番目の行き先に行くことにしたのだ。(画面の下まで来てしまったら、上に繰り上げる。)

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そしてようやく、僕はどこに飛ぶのかを知る。

「萩・石見(はぎいわみ)空港」___。

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1日2便の空路に搭乗することになった僕は3時間後、島根県益田市の海岸で、地元の家族と一緒にカニを取って遊んでいた。

初めて降り立った「石見空港」の建物から出た直後に「事務員さん!」と呼ばれた僕は、あまりのできごとに呆然とした。2人の小さなお子さんと、そのお母さんであろう女性がこっちを向いて手を振っているからだ。「お迎えに上がりましたので、車にどうぞ。」と言う。わけが分からなかった。

「事務員さんが、面白そうなことをしているのをTwitterで見てました。事務員さんがそういう突発的なことをしてるのを見て、私も子どもたちに言ったんです。『将来、やりたいと思ったことは、絶対にチャンスを逃しちゃだめよ』と。」

「それで…ここに」

「すごいご迷惑でしょうけど、事務員さんがこちらにいらっしゃる事なんてもう無いと思って、お迎え作戦を決行しました。申し訳有りません!」

なんと言えば良いのか、言葉を選んでいるうちに車へと促された。

そして僕はようやく「えっとですね。『ああ、そういうやり方って”有り”なんだ』と、今後、他の人に思われてしまうと、こういう遊びがやりにくくなるのです」と言った。

「はい、これはまさに私の勝手なタブー行為なんです。ここには誰もいなかったことにしてください…」と笑うので、僕は少し考えて「…ええ、誰もいなかったようですね!」と言い少し笑いながら、促された後部座席に座った。そして、横にいたお子さんに「お母さん、すごいね。おもしろい人だね。」と小声で言う。


案内されたのは、透明な海だった。

3人のお子さんは、海で遊びなれているのか、岩の隙間に手を突っ込んではさまざまな貝を取り「これは◯◯貝で、これは◯◯貝」と指差して名前を教えてくれる。

「お子さんはいつもこういうところで遊んでるんです?」と聞くと「ええ、海がとても近いものですから…」とお母さん。

「もう一人(子供が)居るんですが」と言うので「来ないんですか?」と聞くと「じゃあ連れてきます」と言い、車で居なくなったと思ったら20分後に長男を連れて戻ってきた。一回り大きい男の子は、耳が少し不自由だった。

初めは目を合わせてくれなかったその子も、僕が砂浜から「(貝) 居る?」と手話をしたところ岩の上から「居る」と返してくれた。「◯◯◯◯貝?」と教えてもらいたての貝の名前を指文字で示したところ、右手の親指と人差指だけを立てて小刻みに回転させたあと、手のひらで胸の上をなで上げる仕草をした。「違う」「(名前は)分からない」。

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日も傾いてきて、そろそろ宿をさがすことにしようと思う。海岸から離れる途中に、アコースティクギターを練習している青年がいた。(きっと今日は穏やかなんだろう)日本海を風景に、少したどたどしいギターの音色。「ぜんぶエキストラなんじゃないか」と思った。

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「またこんなことになったら、いつか会おうね」とご家族に感謝を伝えてお別れし、無事に取れた益田駅近くのホテルへと向かう。

「明日はどっちに行こうか…」

それは、明日、誰かに聞くことにしよう。とりあえず、益田駅の近くの居酒屋に行って、おすすめされた「扶桑鶴」という日本酒を飲んだ。

「今日の夜、僕はどこにいるか… 朝の質問の答えは『島根』だったんだな…」

(続く)

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