「歌い手初のライブ」を作るまで。

「打ち合わせは秘密裏に行われた。」まるで脚色された様な文だがまさに、誰にもばれないように動かないとという気持ちがあった。これだけはいくら文面で説明しようとも、おそらくこの当時の「歌い手がライブをやるなんてダメに決まってる」という雰囲気は伝わりにくいだろう。画面の中から飛び出すことは、非常に危険だった。「誰もやった人がいないから」。今となっちゃ、理由なんてそんなもんだったんだけど。

結果論から言えば、このイベントから10年以上経った今でも「歌い手のライブ」は続いている。実は、今回の話で着地点としている「歌い手による初めてのライブ」の前にも、いくつかのイベントは確認していた。アコースティックギターの奏者さんが都内のカフェで演奏していたり、歌い手さんの女性が水道橋かどこかのレンタルスペースで歌ったりとか、そういうのはすでにあった。「ライブハウスで行われた、複数の歌い手とバンドメンバーが揃う形式による、チケットを販売したライブ」という形で、一応の定義付けとしたい。

演奏動画や歌ってみた動画が増え始めている頃、僕は「この人達が集まってライブをしたら楽しいだろうな」と思う。そしてこの話を、その当時のグループチャットで話すと何人かの人が同調してくれた。しかし、誰もやり方が分からない。そりゃそうだ。今、これを読んでくれているあなたは、音楽ライブを主催した経験があるだろうか。もし無いのであれば、その時の僕の気持ちをお分かりいただきやすいのでありがたい。この数週間で初めて話し始めた顔も知らない数人と共にイベントを作るなんて。しかも一歩何かを間違えればたちまち悪評が飛び交い、それ以降この界隈で活動なんか続けられなくなるだろうという不安も込みで。

打ち合わせは都内のカラオケボックスなどを借りて何回か行われた。もちろんすでに仕事をしている者、学生の者、遠距離で参加できない者がほとんどで、なかなか開催できなかった。そしてなにより「本当に不安要素をつぶせたのか?」が分からないので、すぐに打ち合わせの内容が(今となっては)とても細かくてどうでもいいことに流れる。ある女性が「飲み物を売って、誰かにぶつかってこぼしてしまったら売った側の責任にされる」と言い出すと、「飲み物を禁止にしよう」「脱水症状が怖い」「持ち込まれたらどうしよう」などと続いていくし、「誰かに盗撮されて、歌ってる姿をネットに投稿されたら」と誰かが言い出すと「カバンを預けてもらおう」「カメラだけ出しておくことだってできるぞ」「預かるスペースは?人員は?」とつながっていく。こんな事を話しているうちに、終電の時間。実際に集まって話す意味が無かった。きっと「もっとうまいやり方があっただろ」と思うだろう。でも実際、会って話しても経験者が居ないとそういう方向になってしまうのだ。これがとても難しかったことだ。

僕はとにかく「1000人のお客さんを集めたい」と言った。そしてそれを目標に会場を探す役目も与えられた。休みの日に東京に行っては、貸してくれそうな場所を探す。だがほとんどが「個人には貸せない」だった。そりゃそうだろう。いくら盛り上がってきているとは言え、あっち(大人)たちからすれば、なんの団体にも所属していない、浮かれたパリピみたいなもんだから。「はぁ?宗教関係はお断りしてるんですけれども」と窓口の人に言われたのは、後々の笑い話になった。

結局、普段はプロレス会場なのだがライブイベントにも使える会場が見つかった。しかし会場費は前払いだと言う。誰が払うの?という問題になった。「誰かが持ち逃げするかもしれない」という不安があったので、僕がすべてを払おうと思ったのだが持っているお金では足りない。この関係値の中で金の貸し借りをして回るのはつらい…と思っていた時に「Gさん、ボーナスがもう少しで出るから待って!」と言ってくれた人がいて、次に会った時に封筒で渡してくれた。ありがたかった。

何度も言っていて恐縮だが「趣味人間がイベントで金を取るな!」という意見は今では信じられないくらい多かったので、チケット代が決められなかった。確かどうにか落ち着いた結果の値段が、3000円だった。(で、この「3000円」という値付けが、その後数年の界隈イベントでなかなか突破できない指数となった。)

作って行く中で誰かが「やっぱりこれは開催できない」と言い出す。「歌い手がイベントをやろうと動いてるらしい。やることになったら徹底的に潰しにかかる。」という内容の書き込みがされた、いや、増えてきたのだ。ここまで苦労して作ってきて、勘弁してくれという気持ちになる。

僕はここで「今企画しているライブをする前に、もう少し小さなイベントを直前にやろう。トークコーナー主体にして合間にライブを入れれば、純粋なライブイベントとは言いづらいだろうし」と提案する。そして僕は今まで話しの軸だった「1000人規模のライブ」の制作から一旦外れ、”別のイベント”を作り始めるのだが、これを今回の話の着地点とさせていただきたい。

「歌い手のイベントを徹底的に潰しにかかる」という人の狙いをこちらに向けてもらうために、敢えて「事務員Gの…」という自分の名前を冠したイベント名にした。そうすれば、何か大変なことがあって潰れてしまっても、僕だけ攻撃されて消えてしまいさえすれば、それで済むのだから。

たくさんの不安を残しつつ、2008年5月「事務員Gの音楽寅さん」が開催された。スケープゴート(隠れ蓑)的なこのイベントを潰しに来る人は居なかったし、お客さんはみんな楽しそうにしてくれた。まだ「そういう場所での楽しみ方がわからない」というお客さんが多かったと覚えている。でも安心してほしい。司会の僕は「そういう場所での司会の仕方がわからない」という状況だったのだから。

(その後「1000人規模のライブ」も、無事に開催された。冒頭から悩んでいた色々なことは、この2つの連続したイベントの中で色々と分かって勉強になったし、次につながっていったと思う。)

まさに冒険だった。怖くて怖くてつぶれそうだった。でも「こんなスリリングで楽しい時間を過ごせて幸せだったな」と、終わった後に思った。「もうこれをピークに、この界隈も終わっていくんだろうな」と、思いながら空を仰いだ。これは、みんな思っていたんだ、マジで。

「事務員Gの音楽寅さん」の終演後、開催した小さなライブハウスから出る時、大きなトラックが何台も並んでいるのを見かけた。B’zのコンサートが、すぐ隣にある横浜アリーナで行われていたのだ。「すごいなー」と思って立ち去ったのだが、この時の僕は、この後の人生で出会うことになる”そらる君”と一緒に、10年後、横浜アリーナに、ライブの為に戻ってくるとは、これっぽっちも思っていない。

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