家を借りるのに苦労した僕たち

「この界隈がもっと認知された、偏見のない世界になってほしい」と常々思っていた。「偏見のない」とは大仰な…と思われるかもしれないが、まさにこのネット歌い手の世界は「世間とは一線を画した」ものだったわけで、例えば誰かに「お仕事は何を」と聞かれても、一言では言い表せない自分がいた。例えば「イベント制作業」とか「アレンジャー」とか言うような”それっぽい”職種を名乗ることはできただろうが自分の中ではどうもすっきりしない。自分は今でも”それを仕事にしたつもりはない”と思っているのはやはり、この界隈が”お祭り騒ぎ”に端を発したものだったからだと思う。そう、断じて、今自分がやっているこれは仕事ではないのだ。何かに所属しているわけでもないので気持ちはずっと、面白いものを求めつつその日暮らしを続けているだけ。人間の形をしていれば世間的に”馴染む”し怖がられないので、ありがたくこの肉体と住民票を使わせていただいているだけの、概念みたいなものなのだ。近所のコンビニに行くときもよく「この体があってよかったな」と思っている。

しかしながら家を借りる時は、苦労した。結局、なにを言っても”無職”であることに変わりはないし、世間的に全く信頼されないのだ。その当時は知り合いの事務所に一時的に所属していることにしてもらい、なんとか借りた。「本当に一瞬だけ」僕は、とある事務所に所属していたアーティストだったのだ。”家を借りるため”だけのため。なので、今の自分の「不動産屋さんからみた視点」では僕は「原盤制作業」という仕事に就いてることになっている。「ミュージシャン」とかいう、夢と希望に溢れた概念のような肩書きでは借りるのが難しいという先人の知恵を拝借しての結果だ。

人に「どんなお仕事を?」と聞かれたときも、自分を何と名乗ってよいのやら悩む。もしこの文面が本人に読まれてしまったらと思うと「そんなところで使ってごめんなさい」としか言えないのだが今は言ってしまおう。そんな僕の状況をかなり救ってくれたのは、米津くんの存在だ。「米津さんが居る世界に近いですよ」と言うととても話が早い。「あぁ」と、誰もが溜飲を下げてくれる。あとのご想像は質問してくれた人に投げてしまう。「彼と打ち合わせするような世界の人なのか、なるほど。」と勝手に思っていただくのは一向に構わないが、残念ながら僕が彼と打ち合わせたことがあるのはビールのジョッキくらいである。

さて。そんな僕が、「東京に行きたいけどお金がなくてホテルが借りられない」とか「家を借りたいけど、なかなか信頼が得られない」という時代を経験していたためなのか、今の家に関しては「誰でも、連絡をくれたらうちに泊まってもいいよ」というスタンスで考えている。リビングのクローゼットには常に布団がしまってあって、家の鍵も近所の信頼できる人に預けてある。それは例えば自分がツアーなどで地方に行っている時に「今日泊まってもいいですか」という連絡が来てしまったら「じゃあ、近所の◯◯さんの所に行ってウチの鍵を受け取って。あとは自由に使って良いよ。」と言えるからだ。現に今でもたまに「泊まります」という連絡が若い歌い手から来るが「勝手にどうぞ」状態なので、誰がいつ来たのかなどはあまり良く覚えていない。

ずいぶん長居した人もいた。ある日、(以前のエピソードにも書いたとおり)日々いろいろな歌い手さんを聞くようにしていた僕は、ハキハキとした声が魅力のとある歌い手を知ることとなり、ついに「東京に来ないか」と誘った(彼を僕に紹介してくれたのは天月君だった)。彼はすぐに「行きます」と決意してくれて実家である大阪から東京に来てくれたのだが、家に関しては苦労したようだ。とある事務所に所属することになり、一時的に初代マネージャーをやらせてもらったのだが「家が見つかるまでウチに居てかまわないから」と言ったところ、結局家が決まるまで2ヶ月位は寝泊まりしてたのではないだろうか。最初は恐縮してくれていた彼も長くなると変わるもので、寝起きたと思ったら「事務員さん、今日の昼はオムライスが食べたいです」などと言い始める始末で、「お前そろそろいいかげんにしろよ」などと返していたのだが、作ってあげていた時点で多分…楽しかったんだと思う。彼には、僕がその頃作り始めた「Stars on Planet」というライブの1回目にも出演してもらったし、それから5年経った前回の同タイトルにも出演してもらった。ある日、”夏代孝明”の名前をCMのクレジットで見かけた時は、それはそれは驚いたものだったし、嬉しかった。

ときたま「自分のやっていることは果たして正解なのかな」と思うことは、ある。「自分がしたような経験を次の世代には してもらいたくない…」という気持ちと「彼らが色々経験するからこそ、”次”があるのでは…」という気持ちがぶつかりあっている。ただ、自分のそれと、他の人のそれとは比べるものでもないだろうから、自分はとりあえずこの”誰でも泊まって良い家”を維持していこうと思っている。あのリビングの布団は安物だし古くなったが、どうにも捨てられない。いろんな人の「東京での第一歩」をねぎらった布団なのだから。

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