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「あつもり」は、頼んでいいものなのか。

何にせよ、「亜種」が出てきた時は構えることが多い。

スープカレーだって、札幌出身の僕でさえ子供の頃は知らなかった。我らが誇りの道産子俳優さんによる啓蒙活動が実を結んだのか、2000年頃からあまねく広がったと認識している。が、やはり最初は「カレーってのはドロドロしてるもんだろ!てやんでい!」と、なかなかに受け入れるには時間がかかったものだ。ある日を堺に開眼し、一時期は週に一度は食べないと落ち着かないくらいハマったスープカレーだが、最初こそ、そんな感じだった。

もう一つ「わざわざそのスタイルを選ぶくらいのもんか?」と、遠くからいぶかしんでいたのが「つけめん」である。「つけ麺ブーム」は過去何度かに分けて起きており、特に(自分の周りでは)2000年頃から、よくラーメン屋さんのメニューでも見かけるようになったと思う。しかし最初は「どうやって食べれば良いのかの作法が分からないから…」と敬遠していた。

『店に嫌われる客になりたくない』というのが心の根底にある。「あーあーお兄さんやめてくれるかなその食べ方。居るんだよね、アンタみたいな間違った食べ方する素人…!」などと、絶対に怒られたくないのだ。「ラーメン」と頼めば、丼にすべてが収まっているから何てことはない。しかし、当時の友人に聞いたところによると、何やら「つけめん」というのは、麺を熱いスープに浸して食べるという特殊なスタイルで、しかも食後には「スープ割り」をもらうことができるのだという。

怖い。知っておくべき作法を知らないまま食べたことのない「つけめん」を何食わぬ顔で注文したら、「ピンポンパンどうしますか?」などと謎の暗号を言われたりとかしてテンパらないだろうか。フィンガーボールみたいなのが出てきて、うっかり飲んで怒られたりしないだろうか。

怖さを増幅させたのは、友人による追加の説明だ。「あつもり」とお願いすると、温かい麺にしてくれるのだという。過去に発したこともない言葉だ。「そういうものなのか…?」と聞いている僕は、さながら明治時代に「郵便」の文字を見て、最先端のポストを公衆トイレだと思っていた人の気持ちに近いと思う。

「わざわざ麺を分けて食べる必要がどこにあるの…?」と言ったのは、失敗して赤面しないための予防措置。しかしそれからもずっと気になっていた僕は、ついにある日ラーメン屋に行き、本当に、勇気を出して「つけめんを、あつもりでお願いします」と言った。

「はい!つけ麺!アツで一丁!」

通じた。しかも、淀みなく通じた。「ピンポンパン」も出てこなかったし、特殊な器具も出てこなかった。そして店員さんは流れるような動作で僕の注文した「つけめんのあつもり」を整え、供してくれたのだ。そして、それはとても美味しいものだった。

一番の懸念事項であった「スープ割り」も、偶然、横の客が「すみませんスープ割りを!」とやり方を見せてくれたことで、全く問題なく自分も注文することができた。やがて僕は、友人と「僕はあつもり派かなぁ」とかいう小粋な話もできるようになっていったのだった。

しかし「つけめんのあつもり」が、お昼ごはんの選択肢として定着してきた頃、一つの事件(僕の中では大事件)が起こる。新宿のとある店で、当然のように「あつもり」を注文したところ、返ってきた言葉で僕は甚大なショックを受けたのだ。店員さんはため息混じりにこう言った。

「あつもり、やってないんスよね。」

知らなかった。「あつもりを選べない店」が存在することを。そして、自分が今まで恐れていた「店員さんを明らかに不機嫌にさせる客」に、ついになってしまったのだ。きっと「またあつもり注文する無粋なやつが現れた」と思われてしまったに違いない。

狼狽する僕に、店員は「やれっていわれたらやりますけど」と言った。僕はもう、どう着地させればいいのかも分からない程に混乱している。目を回しながら「お願いします…」と言うと、ため息を付いて厨房へと消えた。やがて運ばれてきたつけ麺の味は、混乱でもうほとんど覚えていないが、最後に店員は「どうっすか。美味くなかったですよね。」と言った。

その後、ネットを大いに活用して「あつもり」の事を調べなおした。識者によると「小麦の香りを堪能するためには、あつもりはおすすめしない。店主の麺への愛情を感じたいのであれば、あつもりを選択するような愚者にならないことだ」との趣旨の説明があった。そうなのか___

僕は、スープがどんどん冷めてしまうのが好みでなく、悩むことなくあつもりを頼んでいた。しかし、もしかしたらその「無知による愚行」で幾人もの主人をこれまで落胆させていたのかもしれない。その後は、ラーメン屋に行ってつけめんを注文する前は、前もって「あつもりができるかどうか」を調べるようになった。「あつもりをおすすめしていない」という情報を得たお店に行った際は、当然通常のオーダーをするようになった。

ある寒い日、寒さに逃げるように入ったのは世間で評判のつけ麺屋さん。券売機からつけ麺のチケットを買い、店主に渡した時に「あっ」と思う。あつもりが断られないか、事前に調べるのを忘れたまま入ってしまったのである。

あの時の記憶が呼び覚まされた僕は、「あつもりで」と、ついに言うことができなかった。

寡黙な主人は淡々とつけめんを用意してくれているが、僕より先に入店していた客2人のつけめんが出来上がったようだ。

「はい、あつもり2丁!お待ち!」

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