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自由に楽しくピアノが弾きたい生徒さんと、そのピアノの先生方へ。

はじめに

先日、昔ピアノを習っていた先生とお話をしたところ「ひとり、レッスンをしてあげてほしい男の子がいるの」と言われました。「何かを人に教えた経験が無いのでできません」とお断りしようと思ったのですが、今後の経験になるかもと、最終的にやってみることにしました。実は、その先生も教え方に悩んでいるようだったのです。

いざ、レッスンの時間。僕はどんな楽譜を持ってくるのか知らなかったのですが、彼が持ってきた楽譜は、まらしぃ君の楽譜集でした。そして男の子は「彼のように演奏したい」と言いました。

僕はこの短いレッスンの時間で、その男の子に言いたいことがいっぱいありました。だけど、瞬間的に言葉をまとめられませんでした。僕の”教える”という経験不足のせいです。だから、いつか考えをまとめようと思いました。「まらしぃ君のように弾きたいあなた」と「そのピアノの先生」に宛てて、今回は書いてみようと思います。

手軽にピアノ演奏を見られる時代になるまで

80年くらい前のお話。日本において、ピアノという習い事はとっても高貴なものでした。大会社の社長令嬢とかが、”たしなみ”としてピアノを習い始めたのです。なので、その当時の習い事としてのピアノは「華道」や「茶道」に並ぶ位置にありました。作法を重んじ、精神の集中を追求することが美徳とされる習い事の一つだったのです。

その後、高度経済成長期(50年くらい前です)が訪れ、日本でも安いピアノが量産されはじめます。すると、庶民クラスの人たちでも頑張ればピアノを買うことができるようになり、ピアノは一気に普及していきました。いま55歳くらい以上でピアノを教えてる先生は、だいたいこの頃に子供だった人たちです。「華道」や「茶道」のような位置づけに「ピアノ」がある。そんな意識が残っている先生もいらっしゃるのです。誤解していただきたくないのは、僕は「そんな意識の高いピアノなんて時代遅れだ!」と言いたくてこの文章を書いているわけではありませんし、むしろとても大切なことだと思っています。

さて。そんな世代の先生たちに教わったのが、まらしぃ君や、僕のような世代になります。彼と話をすると「自分のピアノの先生は本当に厳しかった」という話になります。手をピシャリと叩かれたり、涙が出るほど怒られたり、一時は辛くて辛くて「もう辞めたい!」と親に頼み込んだことがあるのも一緒でした。でも、いざとなると辞められない。つらい練習や、葛藤を感じながらも、少しずつピアノが弾けるようになっていったのです。

やがて、僕たちの世代は「インターネット」という新しくて面白いものを見つけます。そしてピアノの動画をYoutubeに投稿するような人たちが現れました。「人が演奏した動画を気軽に見ることのできる」という時代の到来です。憧れのピアニストは画面の中。「僕もこの人のように演奏してみたい!」と思う人たちが増えました。でもどうやったらあんな風に弾けるのか…?が知りたくて、販売されている楽譜を買ってきて練習する人たちが増えました。さて、教えてもらおうとピアノの先生のところに楽譜を持っていったところ、先生はそれを見てびっくりしてしまったのです。「これはどうやって教えたら良いのだろう…!」と。

まず、楽譜の”種類”が違う

どうしてピアノの先生は楽譜を見てびっくりしてしまったのでしょう。それは「いままで先生が慣れ親しんでいた譜面と違ったから」です。ピアノの先生からしてみれば「どうやって弾いたら良いのかさえ分からない」と思うのも無理はないと思います。難曲だと言われるリストや、プロコフィエフのような楽譜とも違うのです。譜面から「実際の演奏シーンを想像しにくい楽譜」なのです。

「その楽譜」というのはここ数年で増えた形式の楽譜(以前もあるにはありましたが)で、あえて名付けるのであれば「書き起こし譜」とでも言いましょうか。演奏者がその時の気分で自由に演奏したものを、譜面に起こしたもののことです。「演奏者のCDではこう弾いていたので、そのとおりに採譜しました」という楽譜であって、机上で緻密に計算された楽譜とは全く異なるものです。

さらにわかりやすく言うと、この手の譜面は「漫才ライブを文字に書き起こして本にしたもの」に近いと言えるでしょう。漫才師さんは「主軸としてはこういう話をして、こうオチをつけよう」とだけ考えて登壇します。途中でどんな話をするか、どういうアドリブを入れるか、それは舞台に立ってから、頭の中で決めつつ話を進めていくのです。しかしそれを一文字一句正確に、文字に書き起こしたところで「フッ(笑)」とか「ハッ!」とか、おそらく確かに言ったんでしょうが、実際では何の効果のためにそれを言ったのか読み手が汲み取りづらいのと一緒なのです。(あ、これも誤解なきように言っておきますが、決してそういう譜面に対しての批判では有りません。だって実際僕もそういう楽譜出してるし…笑)

あの漫才師さんが好きだから、あの漫才を一字一句書き起こしたセリフ本を買ってきた。そしてたくさん練習して、同じ漫才ができるようになったとしても、それは「あの漫才師さんと同じことをしゃべってる」だけにすぎず、その漫才師さんが舞台の上で『あ…お客さんちょっと飽きてきたかな、もう少し大声出して引っ張ってみるか』とか『お、ウケたぞ!この調子でもう一回同じこと言ったらまたウケるかも!』などと考えている、それまで培った笑いに対する技術を受け継ぐことには、残念ながら、ならないのです。

この書き起こし譜はいわば…観賞用のようなものなのです。モナリザの絵を見ながら読むパンフレットみたいなものです。「この部分にはこういう絵の具が使われていまして」みたいな説明が書かれてて、それを見て「ほぅ」と思ってもらうためにあるような。実際にモナリザと同じものをこのパンフレットを参照にして作り出すことはできないですが、それでいいんです。もちろん、同じにならなくてもいいから模写してみたい人は、ぜひ挑戦してみてください。それはそれで楽しいですし、たくさんの気づきが得られるかもしれませんからね。

世の中のほとんどの楽譜は「作曲者や編曲者によって『弾く人の立場になって』よく考えられて構成されたもの」です。しかし「書き起こし譜」は、考えられていません。すべてが演奏者の気分で決まった楽譜です。(僕のジブリ譜もたまに弾き方の質問が来ますが、「弾きにくいよね、ごめんね…でもこうやって弾いちゃったんだよね、当時の僕…(´;ω;`)」と思っております。)

僕がレッスンした彼は「まらしぃ君と同じ様に弾きたいだけ」なのか、それとも「まらしぃ君の様に楽しく自由に弾けるようになりたい」のか。どちらだったのでしょうか。僕は、ぜひ後者を選んでほしいなぁと思います。しかし先生は「あんな風に自由に弾けるようにするには、どう教えたらいいの?」とお思いのようでした。ああいうピアノの弾き方は、今まで誰かが教えたこともない新しいものなので無理もありません。

確たる技術があるからこそ

ピアノというのは体のいろんな部位を巧みに使うことで演奏される楽器です。指先だけではありません。体全体のバランスが必要になります。「どうやったらピアノがうまくなりますか」という質問に一言で答えづらいのは、その質問をして下さる方が、いまどういう弾き方になってしまっているのかがわからないからです。そのためにピアノの先生(つまり実際の演奏を目で確かめてくれる人)が存在していると言ってもよいでしょう。ピアノの先生によって使う教材はさまざまですが、そんな「ピアノを弾くにあたって理想的な状態」を体得できるように組み立てていくのが一般的な流れですね。(そのあたりは本職のピアノの先生におまかせします…)

僕が先に「ピアノ教育の歴史」のようなものを書いたのには理由があって、僕たち世代は「(お作法的な意味で)厳しい先生」の流れにギリギリ触れているからこそなのか、おかげさまで基礎ができあがり、結果、応用して楽しく自由に弾けているのですよね…ということを言いたかったからなのです。

練習嫌いの自分が「きちんと練習を」と今言ってる事自体「お前が言うなお前が」と言われてしまいそうなのですが(笑)、機能的に動かせる指や、グッと固めて強い圧力をかけられる手、譜面の先を読みながら弾き続ける能力などは、厳しい先生と難しいクラシック曲で形作られたものだと思います。当時は泣いていたけど、今となっては親にも、先生にも感謝しかありません。

しかし、今回の先生とは別の、ベテランのピアノの先生と話した際「やっぱり最近のピアノの先生は優しくなりましたよね」と聞いたら「そりゃそうよ、今昔みたいにビシバシやってたら、どんどん生徒が離れちゃうから(笑)」と言われました。「お作法重視的なピアノ教室」の時代が、少しずつ「趣味的なピアノ」も許容していくようになってるんだなぁ、と、個人的に感じます。

さて、僕がレッスンした男の子に対して思ったのは「指がまだ固まってないな」というところです。「思うように動かせない」という意味での「指が硬い」というのとは別の話で、特にピアノで大きな音を出すときは「ググッ」と手を固める筋力が必要なのです。オクターブが届いている子でしたが、どうしてもふわふわした、撫でるような音になってしまうので、ぜひ基礎的な(特に指の動きを重視した)練習曲の他に、ダイナミックな、迫力のある楽曲を一つ。「ズダーン!!」という音が出せるようになるために、少しだけオーバースキルな曲を練習してみてはどうだろう、と思ったのです。彼は確か14歳でした。体が完成しつつある重要な時期ですからなおさらです。

「まらしぃ君のように弾く」ためには、この「確固たる技術力と、高確率で確実に飛ぶ跳躍と、ぶっぱなせる力」が重要なのですが、もう一つ、とても重要なことがあります。

「どう弾くか」を決めずに弾く…という技術

クラシック曲の楽譜を見ると、一つ一つの音が正確に記譜されていて、演奏者はその指示通りに演奏します。しかし、さきほど出した「(漫才師は)途中でどんな話をするか、どういうアドリブを入れるか、それは舞台に立ってから、頭の中で決めつつ話を進めていく…」の例えでも説明しましたが「どう弾くか」を、弾きながら考えているのです。「ここはめっちゃ強く弾いてみよう」「迫力を出すためにグリッサンドを入れてみよう」…と、言わば、即興の一人芝居をしているのが「自由にピアノを弾く」という事なんです。

例えば「蛍の光」を弾いてみよう。と考えたときに、楽譜を探してそのとおりに弾くのではなく、自分の思いついた様に鍵盤に再現するという方法です。これは、鼻歌を歌う感覚と似ています。蛍の光を鼻歌で歌うことの代わりに、コードやリズムをくっつけて、それを鍵盤上でやっている感じですね。なので「今回はこの曲を弾こう!」と思ったとき、覚えているのはほぼメロディラインと「大まかに、伴奏の音はこんな感じだったはず」くらいの情報です。あとは今までに自分が仕入れてきた「伴奏のパターン」や「手に染み付いたクセのようなもの」という素材を駆使して1曲を演奏し、終わりまで持っていく…結論的に言うと、つまりこれはほとんど「ジャズ」なのです。

僕は彼に「まずは、コードを覚えてほしい」と言いました。「必要最低限の情報だけで1曲を自由に弾ききる」ためには「コード」という考え方が必要不可欠です。しかし「コード弾き」は、残念ながらクラシックピアノの教室ではほぼ出てこないのです。

自分の話で恐縮ですが、僕の場合は「とにかくいろんな歌謡曲を弾いた」ことでいつのまにか覚えることができたので、僕が連載している月刊Piano(※宣伝)のように「新しい曲が次々と楽譜になるような雑誌を片っ端から(コードを頼りに)弾いてみるのは、とても勉強になりましたよ。

先生のみなさまへ

不格好ながら、一日だけ”先生もどき”をやらせていただきました。僕たちは、ピアノで、弾きたい曲を弾きたいように自由にその場で考えながら弾く…という楽しみ方をしています。これはすごく楽しいものなので、ぜひ次の世代の方々にもその楽しみ方を覚えてもらいたいです。そのために、もし「クラシックはもちろん、自由に弾くのもやってみたい」と言う方がいらっしゃったら、簡単なコードを教えてあげていただけませんか。メロディとコードしか書かれていないような簡単な曲を、最初は単純な和音を左手で鳴らすことから始め、徐々に左手のリズムをバラエティ豊かなものにするまでで十分なのですが…!

自由に弾きたい君へ

クラシック曲をいっぱい練習して、どんどん難しい曲に挑戦してみて下さい。でっかい音を出す、迫力のある曲を「自分には無理だ」と思わずにやってみて、手の強さ(堅牢さ)を鍛えて下さい。自分の好きな歌謡曲やボカロ曲をコードを見ながらどんどん弾いて下さい。そしてそこに出てくる「気に入った動き」や「気に入った音の雰囲気」や「その手の形」を楽しみながら覚えてみて下さい。そしていつか、仲間とバンドを作ってみてください。そしたらきっと、周りに影響されてどんどん楽しくなるはずです。

さいごに

色んな人がいて、いろんなピアノとの付き合い方があると思います。だからこそ、この記事に書かれているやり方は「誰かには合わない」し「誰かには合う」ものだと思います。でも、確実に以前よりも「ピアノとの付き合い方の選択肢」が増えました。「あんなふうに弾いてみたい」と言った彼に対して、一番良い指南ができたかどうかは分からないけど、これにて一度、あのレッスンの結びとさせて下さい。時間がかかっちゃったけど、お許しを…!

しかし…今度は僕たちが先生になる世代になったみたいだね。まらしぃ君。

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