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雨宿りのバーで

「せっかくだから、六本木のバーに行ってみたい」

東京に集まって遊んでいた僕は、友達にそう提案した。

漫画やドラマで出てくるような、きらめいている世界のことを早く知りたかったんだよ。

でも六本木のバーは基本的にビルの上の階にあるから、外から雰囲気をうかがい知ることは難しくて。

「いいお店に巡り会えればいいなぁ」とは思ってるものの、どうすれば…?あてもなく六本木を歩き回っているうちに、小雨が降ってきた。小さなビルの階段で雨宿り。振り向くと、地下に伸びる暗い階段の下に「BAR」の文字。

「ここでいいんちゃう?」と、友人。「うん、そうだね」と返した理由は、看板がウイスキーの樽で作られてたからだ。きっと、きちんとしたバーなんだろう。

「さて、どんなお店だろうね」

20歳の、夏。

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雨宿りのつもりで入ったバーには、その後、お店が無くなるまで通い続けることになった。

立派なリーゼントがトレードマークのバーテンダー、三反田(サンタンダ)さんからは、色んな事を教わったよ。カクテルのこと、ウイスキーのこと、なにより「バーは楽しいんだ」ってこと。今思い出すだけで恥ずかしくなるような、20歳そこそこのヤツによる非礼も、笑って許してくれる人だった。

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「どこか、他のお店をご紹介頂けませんか」

言ってみたかった言葉が言えた。

「2軒めですか?もちろんですよ」と三反田さんは言って「それでは行きましょう」とドアを開けてくれた。雨はすでに止んでおり、濡れ濡れとした道を歩く僕たち。「お店、あけっぱなしでいいんですか」「いいんです。多分。いや、よくないか!」と笑っている。___

次のお店のカウンターに腰掛けた僕はすぐに「あっ」と言い、顔を上げた。掛かってるこのBGM、すごく好きな音楽だ。

「グローヴァー・ワシントン・ジュニアですよね」と、聞くと

振り向いたのは、井上さんというチーフバーテンダー。

「ええ、そうです。お客さんが掛けてほしいと持ってこられたんです、よくご存知ですね」

「親が好きだったもので…」


すぐにこの店も大好きになってしまった。

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「井上さんがあのお店を辞めて、この自分のお店をオープンさせて、何年になりましたっけ…」

「ええと… 13年経ちましたね」

白髪まじりになった井上さんのバーで、僕はその日も飲んでいた。

「最初からの常連さんなんですよね」

数ヶ月前に入ってきた若いバーテンダーさんに言われる。

「まぁ… 井上さんがお店作るって言うから、客としてくっついてきちゃったみたいな感じですけどね…」

___僕も少しはサマになってきたのだろうか。


帰りのタクシーの中で電話が鳴った。井上さんだ。


三反田さんの訃報だった。

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とっても楽しかったです。お世話になりました。

先輩、さようなら。

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