”セッションオフ”の話

初期の話。普通のライブイベントの他にも「セッションオフ」と呼ばれる、仲間同士のみの集まりがあった。歌い手はカラオケに行けばみんなで遊べるけど、僕たち”奏者”はそれでは遊べないので、音の出せるスタジオを借りてみんなで遊んだのだ。それをそう呼んでいた。

これもイベントが増えていった流れと同様、最初は東京で開催された。そして、大阪で開催され、その次は名古屋で開催された様に記憶している。僕はこの頃まだあまりバンドの中で演奏をしたことがなかった(一人で演奏することが多かった)ので、バンドの中でのキーボードの立ち位置をあまり良く理解しておらず、色々と教えてくれた人が居て今に至っていると思うからこの企画にはとても感謝している。

これは少し悲しい話になるので書くかどうか迷ったが、こういう時でないと言えないので書いておこうと思う。

あの時、どうしてもドラムが一人足りないということで、アイマスP(アイドルマスターというゲームの映像を使って二次創作動画を作る人のことをこう呼んでいた)だった一人が「じゃあ僕がやる」と名乗り出てくれた。とても良く話をした人だったので、いずれまた会えるとばかり思って時間だけ過ぎていたのだがその数年後に突然亡くなってしまった。これが、自分における、この界隈で、最初に鬼籍に入ってしまった人だった。そして、初めてこの立ち位置になって葬儀に参列することになった人になった。(当エッセイをすでにご覧頂いてる方に説明すると、2人目は松田君だった。)

いつも必ずいる人が、突然居なくなってしまう経験をして、自分はますます「会いたい人にはできるだけ会っておこう」という思いになったように思う。Twitterというものが界隈に広まり始めた頃で、少しずつ登録する人が現れた。例に漏れず僕もその頃に登録したし、かなり初期の段階でフォローしたのも彼だったのだが、いわゆる「音沙汰のないアカウントは放置アカウントとみなされて消去される」というTwitter社の整理処理によって、ついにアカウントも消えてしまった。「こうやって人は、人の記憶から消えていくのか」と、寂しい思いをした。

さて、東京と大阪で開催された後に、名古屋でも開催されることになったわけだが、”誰にでも会いに行く”ことを信条としていた僕も、もちろん参加していた。ちなみにそれが僕にとっての初めての名古屋旅行だったし、ホテルの仕事をしながら休みの日に来ているからこそ「次はいつ来れることやら」と思った覚えがある。グランドピアノのある、スタジオというよりリハーサルルームみたいな会場だった。

少し遅れて、自転車で到着した子がいて「はじめまして」と挨拶したところ「ついに!お会いしたかったです!」と言ってくれた。数日ネットを見れていなかったので「ついこないだ出したピアノの動画がとても人気なんですよ」と教えてもらった。「自転車できたんだ」と笑うと「はい、まらしぃ号です」と答えた。意外と痛い人だなと思った。

それから何度か実家にもお伺いしたり、弟の勉強を見たり、毎晩のようにゲームをしたりとよく遊ぶ仲になったのだが(あまり本人は私生活を発信しない人なので書ける範囲にしておくが)ある日同じ現場に入った際とても元気がなかったので理由を聞くと、とてもいやなことがあったそうだ。「一度くらいパーッと旅行にでも行ったほうがいいよ」と言うと「そうですねぇ」と。「例えば京都だったらどうだろう」と提案すると、浮かない顔をしたまま「まぁ、そうですねぇ」と、これまた力無く答えたので、とりあえず励ましたくて、1泊だけのつもりで旅行に連れ出した。

しかし彼はその旅行を大変に気に入りもう一泊したいなどと言い出し、結局二泊三日で京都の寺院を周り、夜はさんざんお酒を飲んだ。そして「またこの時間が欲しい」と言ったので、それからなんと1年に2回のペースで京都旅行が開催され、実に6年以上、今も続いている。悩みを聞くために始まった旅行だったはずが、今ではお互いの近況報告の場となった。僕が彼にあまりTwitterでリプを送らないのは、この近況報告のネタがなくなってしまうからなのだ。更にやがてこの旅行は「貴重な人生勉強にする」という目的も新設され、「やってみたいことをやってみる」という場にもなった。二人で華道や、茶道、お琴や着付け、テーブルマナーを学ぶなど、普段体験できないこともこういう日にいろいろ試しているのだ。宿に「上方落語」の師匠を呼び、部屋で一席設け、演じてもらったこともあった。

僕は、ここの表現をずっと悩んでいたが、彼は本当に”紳士”になったと思う。

さて、時間軸を以前に戻すと、自分自身のライブもこの頃やり始めていた。ピアノが店内に置かれているパブのようなところで、小さなライブをしたのが初めてだった。その頃はまだ「動画投稿する人」と「それを見る人」は同じ立ち位置に存在しているという認識で、いわば、教室の中の同じクラスメイトくらいの意識。僕はたまたま動画を投稿している側なだけで「同級生の一人が何かやってる」くらいに見られる軽い感じだったのだ。だからこそ、会場の雰囲気ははただの飲み会そのものと化した。

実は、そこで知り合ったことでご結婚された方が数組(!)おられた。僕がピアノを弾きながら「いいよね、みんなはそこにあるたこ焼きを食べれて。僕は弾いてるから食べられないんだ」と言ったところ「彼の口にたこやきを」と女性に指示した人が現れる。たこ焼きを口に入れたのが新婦で、指示したのが新郎という結婚式に、ピアノを弾いて出演した。そして数年後にお子さんが産まれ「本名から一字欲しい」とお二人に言われるも丁重にお断りする。こんな自分みたいな人に育ってはいけない。そしてその子は今、小学校2年生になった。

結婚式のファーストバイト(ケーキを食べさせてあげるパフォーマンス)を見て僕は「それは”セカンド”なのでは」と思った。

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