ボカロ曲をラジオで流すということ

少し間が空いてしまいました。平成の時代のうちに書けることを…と書いていたので、1ヶ月ほどお休みを頂いた気持ちですね。少しずつ、当時のことを思い出す作業を再開していきたいので、またお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

10年ちょっと前のお話。僕は会社の仕事を続けながら、どうにかして僕が見つけた素敵な世界を「一般の人」にも知ってもらいたいと奔走していた。

その素敵な世界というのは、誰もが楽曲を作れて自由に発表できる世界。つまり、その頃に始まったばかりのボーカロイド界隈の世界のことだった。僕は「奏者」と呼ばれるカテゴリに居たので、歌い手でも、ボカロPでも無かったから「勝手に動く」という事においてことのほか便利な立ち位置だった。例えばボカロPがその動きをしていたらそれはそれでなんだか変だっただろうし、歌い手がそれをやっていたら「身の程知らず」と言われてしまうだろうから。

今回のテーマは「ボカロ曲をラジオで流すということ」としたので、ライブを作ったときの話は割愛するが、簡単に言えば、いくらラジオでボカロを流して欲しいと言っても「ボカロの文化はアンダーグラウンドな世界(のイメージ)なので、公式に掛けることはできない」という時代だったのだ。確かに、僕たちの界隈はまだ世間から「オタクたちの水面下での遊び」というイメージが強かった。また、ボカロ曲がJASRAC登録される以前の話なので「法的に流してよいのか判断できない」というのが現場の正直なところだったんだろうと今となっては思う。

まだ僕たちがそう簡単にライブハウスやコンサートホールを借りられなかった頃だったので、大きなイベントをやろうとしてもいわゆる大人の力を借りないと無理だった。(以前にもお話したとおり「経済活動をすること」は世間のリスナーさんから許容されていなかったので、そう見えないように作るという一手間が必要だった時代だ…といっても、黒字になることはほぼ無かった。)

ある時、埼玉県のFM局「NACK-5」が僕たちの動きに気づいてくれて、話を聞いてくれた。「NACK-5で会場を借りて、君が企画したら良い」と言ってくれて完成したのが「ニコニコ年忘れ2008」というイベントだったのだが、そのイベントの宣伝をラジオでしても良いということになったので収録に向かった。「ぜひいつか、ボカロ曲をラジオで流して欲しい」と、この収録のときも頼んだのだが結論としてはNGだった。「流すためになにをしたらいいのかわからない」と言われてしまった覚えがある。

実はカラオケ界隈に関しても同じ様な状態だった。ユーザーからは「ボカロ曲を歌いたい」というリクエストが来ているのに「カラオケで配信する方法がわからない」時代でもあった。ボカロPが勝手に作品を作って動画投稿サイトに投稿しているものを、配信会社が勝手にカラオケの機械に入れるわけにはいかなかったのだ。通常の歌謡曲ならJASRACに登録されてるだろうし、その曲を管理している会社があるので「カラオケに流します」と決まった曲をカラオケに入れるのには何の問題もなかったのだが、その点ボカロPは個人。カラオケ配信会社が、独自にボカロPの連絡先を探し出して「あなたの曲は人気なのでカラオケに入れさせてください」と頼むなんてことはしない。それまで、そんな仕組みは無かったのだ。だから「入れたいけど入れられない」「流したいけど流せない」。そんな感じだった。(※余談だが、おそらく我々界隈の中で初めてカラオケに配信された楽曲は「エアーマンが倒せない」だったと記憶している。界隈で誕生した楽曲がカラオケの機械に入るというのは「ありえないこと」だったので、とあるライブの打ち上げに「エアーマンが倒せない」を作った せらさんが居たため、界隈の友人同士とその曲を歌いまくるという大祝賀会になった。)

さて、とある時期に某ボカロPが「この流れはおかしいから、変えるべきだ」と言い出す。「ボカロPが作った楽曲だって、著作権登録されてしかるべきだ」と声を上げていたのだ。これには世間から膨大な反発があった。前述したとおり「そういう経済活動に結びつくようなことを、趣味人がやってちゃダメ」という世論があったからだ。しかしもう限界だった。あのとき複数のボカロPが勇気を出して自分たちの楽曲を「著作物」としてJASRACに登録するという動きがなかったら、その後10数年続くことは無かったのではとも思う。(声を上げていた中心に居たボカロPはもうこの界隈には居ないので名前を出さないが、よく夜な夜な麻雀をしたものだ。いろいろあったが、いつかまた、会いたい。)

そして結局、初めてボカロ曲をラジオで流すことができたのは2009年に入った頃だった(ちょっとさすがに自信がないが多分…)。埼玉のNACK-5から流されたのが、おそらくラジオで初めてボカロ曲が流れた瞬間だと思う。ただ、これに関しては「それ以前にボカロ曲が流れた事実」を自分個人が記憶していないというだけで、調べる方法もないので決定づけはしないことにしたい。流した楽曲は、ryoさんの「恋は戦争」だった。権利に関してはまだ「流してよいのかわからない」の雰囲気が漂っていたので、僕は作曲者のryoさんに直接連絡をして、流してよいかの許可を頂いてから流してもらった。家にラジオがなかったので、車で聴いた。とても感動したのを覚えている。

さて、今自分は北海道のFM局「AIR'-G」にて毎週水曜日に番組を持たせてもらっている。90分間、テーマに沿った楽曲をコメントと共に流し続けるという趣旨の番組だ。放送開始前、札幌から東京までわざわざ番組のパーソナリティを頼みにきてくれたプロデューサーに「ボカロ曲を掛けてもいいのですか」と聞いたら「もちろん、いろいろ掛けてください!大丈夫です、僕もボカロで育った世代ですからとても嬉しいんです!」と答えてくれた。「ああ、ついにその世代がプロデューサーになったのか」と思った。

インターネット(radiko)でどの地方FM局の放送も聴くことができるようになった時も驚いた。ネットとラジオが組み合わさることなんて信じられなかったけど、きっと沢山の人が頑張ってくれたおかげなんだろう。番組でボカロ曲を流すたびに「ラジオで自由にボカロ曲を流せるし、それをネットで聴ける時代になったんだなぁ」と考えている。

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