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綺麗な字を書きたくて、隣の社員さんの真似をしていた頃。(※僕の字のフォント無料DL付)

名前が「事務員G」なのは、この活動を始めた時の仕事が事務員だったからだ。「一人の事務員である僕が、こんな事もやっちゃってま〜す」というおちゃらけ感の演出だったのだが、まさか10年以上も付き合うとは思わなかった。

ホテルで働いていた僕はある日、営業に異動となった。営業課の事務員になったのだ。営業課と言っても外回りに行くのは営業マンの仕事で、僕は内勤。かかってくる電話を取ったり、従業員をどこに配置するとかを決めたりするのが主な仕事。

その中で、とても大事な仕事があった。「このお客さんは401号室、このお客さんは502号室…」と、ご予約情報と泊まっていただく部屋を結びつける仕事である。例えば「このお客さんは足が悪かったからエレベーターから近くにしてあげよう」とか、「部屋に余裕があるから少し広い部屋にしてあげよう」とか、そういう事も決める。

そして「この日のお客さんは、この部屋に泊まっていただきます」という一覧表を作って、各所に配布する。その一覧表には名前やフリガナはもちろん、お客さんの好みやアレルギー、食事の時間、駐車場が必要か…など細々とした文字でおびただしい数の情報が詰め込まれているのだ。

コピー機でコピーできる最大の大きさがA3だったという都合で、A3の裏表に、100部屋以上の情報を書き込む。それに加え、会議室や宴会場の利用情報も書くのだから、大変に細かい文字を書かなくてはいけない。

さて。この「お客さんの一覧表を作る日」というのが週に2回くらいあって、僕はこの日がとても好きだった。根っから「紙に何かをきれいにまとめる」という作業が好きな性格が合っていたんだと思う。___(その性格が高じたからこそ、今では楽譜を作ったり、似顔絵を描いたり、こうして文章を書いたりしているのだろう。)

「完璧にきれいな一覧表」を作ることを目標にしていた僕は、一覧表が出来上がるたびに「きれいにできた…」と内心、自分自身に拍手をしつつ「本日の作品」を眺めてはニヤけていたのだが、実は、絶対に超えられない壁があったのだ。隣りに座っているK女史の存在である。

彼女の「職人歴」は20年近くに及ぶであろう。その課には必要不可欠な存在で、彼女の”作品”は、長きにわたり培った「美しさ」が随所に散りばめられていた。「一覧表を見た人が、次に欲しい情報を先回りして書いておく」というユニバーサルデザインな一覧表は、モダニズム建築的な”美”が存在していたと思う。見るたびに感嘆の息を漏らしては「こんな一覧表をいつか自分も作りたい…」と密かに目標にしていたのだ。

彼女の作った「一覧表」の”美”の要因は、特に、その文字にあった。いくら情報量が多くても「とにかく見やすい」のである。手書きだけど見やすい、そんな文字の書き方は特殊だった。下に定規を当てて書いていたのだ。いつしか僕は「定規当て筆記法」を練習するようになっていった。

学校の授業で書道が一番嫌いだった僕は、あまり字がきれいでは無かった。しかし、この「定規当て筆記法」で練習していくうちに、フリーハンドでの文字も整っていったと思う(どんどん女の人っぽくなっていった気がする)。そして僕はこの後この会社を辞めることに決め、その「一覧表」を作る機会はなくなってしまったのだが、今でも封筒に住所を書く時はその時の自分が蘇っている…というわけだ。

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例えば「ご請求書」の「請」の字。「ごんべん」の横棒が一本足りなかったりしているのは間違っているわけではなく「細かいところに入れるために線を省略していた頃の名残」である。「午後」を「午后」と書いたり…と、工夫は尽きなかった。

ある日「日本のクセ字を研究している」という方から連絡をいただき、恥ずかしながら僕がK女史から目で盗んだこの字を、その方の上梓された本に掲載していただいた。井原奈津子さんの「美しい日本のくせ字」には上記の僕のエピソードの他、蒐集された幾多ものクセ字が並んでいるので興味のある方はぜひ求められたい。

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実は以前、「この文字をフォントにしてパソコンに取り入れることができないか」と考えたことがある。理由は「面白そうだから」。

フォントの作り方には色々あったのだが「あなたの手書きの文字をフォントにします!」という業者があったので「作りたいです」とメールを送ってみたところ「それでは、このシートにすべて書き込んでください」と膨大なデータが送られてきた。「よしやるぞ!」とちまちまと書きこみ始めたはいいが、一向に終わらない。特に「魚編地獄」や「鳥編地獄」が辛かった。

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一生使わない漢字がクイズ番組で出てきても「書いたことはある」と言える人になるまで。寿司屋の湯のみに書いてある漢字も全部「書いたことはある」と言える人になるまで。その目標だけが心の拠り所だった。苦節10日間、般若心経よろしく書き取りを続けたおかげでついにフォント「事務員字」は完成したのである。

しかし、文字の形を真似させてもらったK女史の立場にしてみたら、いくばくかの申し訳無さを感じる次第だ。もしまた彼女にお会いする機会があっても、絶対にこのエピソードは話さないでいるつもりだ。


このフォント。「ただ面白いから」という理由で作ったけど、制作費(フォントに起こすための作業賃)もなかなかでした(笑)。ということで一時期ネット通販でダウンロード販売をしていたのですが、その通販サイトも閉鎖になってしまい…。でもこの一連の行為、「おもしろかった」というところまで完結したと思うので、この際このファイルをフリーダウンロードにしようと思います。お好きにダウンロードしてください。(.otfファイルと.tffファイルが入っています。使い方については各説明サイトなどをご覧ください。なお、使用される時は文字詰めを詰め気味にしていただくと「僕らしさ」が現れます。設定で変えてみてください。)

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