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アブクマポーロ〜一生の恋

私は「好きな馬」は今までにたくさんいましたが「恋」してしまった馬が一頭います。

それは船橋競馬所属、アブクマポーロ(以下「彼」と表記)

所謂、中央競馬(JRA)所属の馬ではなく地方馬です。

1990年代後半のダート界(芝ではなく砂のコース)は常に彼が主役に君臨していました。

地方馬だけでなく中央馬も次々となぎ倒す強さは私の心をがっしりと鷲掴み!

だってこんなに強いんですよ!

10番の馬にご注目ください!!!

私はすっかり彼に恋をしてしまい、彼の出るレースはほぼ全て競馬場に脚を運びました、そして彼の出るレースの一つ前のレースのパドック(次のレースに出る馬を周回させる場所、それを見て馬の状態や歩様などをチェックできる)が終わるやいなやパドック最前列をゲット、一番近いところで彼を眺めるためでした。
おっとその前にすることがあったんだ。

トイレに行って鏡の前でメイクと服装の乱れをチェック。

「ポーロ様に最前列で会うんだから少しでも綺麗でいたい」

なーんて思ってたんですよw

彼が引退後もずっと彼への恋心は冷めることなくまさに私にとって王子様のような存在でした。

ところが一昨日の昼休みに旦那からこんなLINEが来ました。

「アブクマポーロ、2月21日に死亡、29歳」

ついにその日が来てしまいました…
馬は人間より寿命が短いからわかっていたことだけど…

涙がとめどなく溢れ出す…

ちょうど外の喫煙所誰もいない…

タバコを吸いながらボロ泣きしました…

(補足…2021年12月、大腸がんの手術を機に禁煙、現在も継続中)

旦那に「この後仕事できない、早退したい、帰りたい」と思わずLINE

「無理しなくていいんだよ、帰りなよ」

と返事が来るも…

「いや、仕事はちゃんとしないと!そんな弱いメンタルじゃ麻雀勝てないから頑張る」

と返して涙を堪えながらその日やらなければならない仕事は仕上げました(普段は残業2時間してるところを1時間で切り上げちゃいましたが)

うちに帰ってからは案の定旦那の前でメソメソ

「こんなの私らしくないのにね」と言うと

旦那「一生の恋なんだから仕方ないよ」

私「あら、恋敵なのに( ̄▽ ̄)」

旦那「だって絶対勝てないもん」

そうか…王子様は手の届かない存在だから王子様なのであって「旦那」や「彼氏」になった時点でもう王子様じゃないもんね、なるほどw

布団に入っても涙が止まらかった私を旦那はかなり心配してくれたらしく、私の寝息を確認するまで寝られなかったそうです、ごめん、旦那。
でもありがとう💖
心配しなくて大丈夫だよ、土曜日に麻雀すれば元気になるからw

そして私が間違いなく一生後悔するだろうという出来事があります。

1999年3月20日、私と前の旦那の結婚式でした。
長野県内の式場で前の旦那のご両親がそこの互助会に入っていていろいろ特典もあったのでそこに決めました。

その3日前の3月17日、船橋競馬場で行われるダイオライト記念に彼が出走する。

私は当然行くつもりでした。

ところが前の旦那から「18日に式場でブライダルエステがあるから17日には長野に来てほしい」と言われ…

私「そんな直前にエステなんかしても所詮付け焼き刃だし全然興味ないから行かないよ、だから18日に行くよ」

前旦那「いや、互助会のパックに含まれちゃってるからやらないとダメなんだよ」

私「じゃ17日はダイオライト記念だからそれ終わったら即東京駅に向かって新幹線乗るよ」

前の旦那も当時は競馬好きだったし理解してくれるだろうと思っていたのですが…

「それだとこっちつくの夜になるからうちの家族と一緒に食事できないでしょだからそれは諦めて夕方には来て、それにアブクマポーロは今年も現役続行表明してるんだし」

ダイオライト記念は16:05発走、観戦した後、東京駅に向かい新幹線に乗って…となると向こうの家に着くのは20時くらいになるのです。

「わかった」と答えたものの私はどうしても諦めきれませんでした、それは「行かないともしかしてもう彼のレースが見られないのではないか?」という予感がしたから。

前回の日記でも「私の勘って結構当たる」という話を書きましたがまさにその「勘」です、彼は当時もう8歳、普通はもう引退してておかしくない年齢になっていたというのもあったんでしょうね。

そして、例えその勘が外れて彼がまたレースに出たとしてもその後ハードルが立ちはだかる可能性がありました。

実は、前の旦那が北京留学から帰国した後、長野県の某企業に就職が決まり、その会社の東京営業本部に配属となりました。
研修は長野本社でやるとのことだったのでそのタイミングで結婚式の会場と日にちを決めたのですが…
途中から「東京営業本部ではなく長野本社になるかも知れない」という話が出て結婚式当日までとうとう決まらなかったのです、ただ、長野本社の可能性がかなり高そうだなという雰囲気ではありました。(結局結婚式から1ヶ月後、長野本社で確定)

長野に住むとなると今までみたいには簡単に彼のレースを見に行くことができなくなるでしょう…

私は決心しました。

「元旦那には当日ギリギリまで夕方には着くと嘘をつき、船橋競馬場に行く、着いたら『ごめん、これだけはどうしても譲れない、彼のレースを見てからすぐ行くから』と連絡する」

ところがダイオライト記念2日前に前の旦那から

「ちょうど17日に親父とお袋が仕事で東京行くからその帰りにお前のこと拾って行くって」

前の旦那のお父さんは自営業を営んでいて、東京などに仕事で行く時はたまにお母さんも同行して車で来てたんです。

私は「ああ、それじゃ私の騙し打ち作戦は使えない」と諦めてしまいました。

仕事を終えたご両親の迎えの車に乗り、ちょうど練馬インターに入るところでダイオライト記念の発走時間…

「やだ…私はなぜここにいるの?彼のレースを見るはずだったのに」

虚しかった…

そして私の勘は当たり、ダイオライト記念を快勝した彼でしたがその後、脚に不安を発症、そのまま引退し、北海道で種牡馬になり、それが彼の最後のレースとなってしまいました。

でもね、今では思うんです。

まず、前の旦那は何も悪くない、そりゃ結婚式直前でしかも18日にはブライダルエステに行かなきゃいけないなら前の日の夕方には来い、うちの家族と食事もするからっていうのは当然だと思う、今でこそ結婚式も堅苦しくなくなり、むしろ式の前日両親と一緒に現地入りでいいじゃんってパターンもよくあるだろうけど20年前ですからね、しかも前の旦那は長男だし。

そして、騙し打ちしようとするんじゃなくて「私は絶対に船橋に行く、これだけは譲れない」と言うべきだったんですよ、一生懸命説得すれば前の旦那だって「そこまで言うのなら」と折れてくれたかも知れない(いや、折れてくれた可能性が高かったんじゃないかと思います)
騙し打ちなんかしたらそれこそ後々揉めるでしょ…

そして、ご両親の迎えに関しても、そこで諦めるのではなく「実は夕方には行くと言ったけどホントは騙し打ちして彼のレースを見てから行くつもりだった」と正直に言えばよかったんじゃないかと。

私自身の愚の選択で一生後悔することになってしまった…

どのくらいダメな選択だったか…

これを3巡目でテンパったのにダマにして、その後親リーがかかりベタ降りするくらいダメでしょ!

これをダマ→騙し打ち計画
ベタ降り→ご両親が迎えに来ると言われて諦める

ま、3900を確実にあがり切りたい局面とかこれをあがればトップって場合は別ですがw

そして、彼の引退を知り「ダイオライト記念行きたかったのに…」と大泣きする私

前の旦那は「じゃ北海道に馬巡りに行こう」と提案

その提案から1年後、彼がいる北海道浦河の牧場に行きました。

その時、不思議なことが起こったんです。

あれは…何だったんだろう?今でも不思議な出来事でした。

彼がいる柵に到着するも彼は柵の中のど真ん中にいました、う…遠い…

私達の隣にツアーで来たらしいマナ悪おばちゃん2人組がなにやらでかい声で騒いでる…
おいおい、馬の近くで大きい声だすなよ…
おばちゃん達は彼に「おいで〜」というも彼はガン無視w

ところが私が彼のことをじっと見つめると…

トコトコと私の方に歩いていて…

私の目の前に!ホントに柵と柵スレスレくらいの距離まで来て止まるではありませんか!

それを見たおばちゃん達はムスッとして
「何なのよ、かわいくない馬」
と言って去って行きましたw

パドック最前列で見るよりももっともっと近い、しかも初めて彼に触れることができた!
私はもう涙だらけで彼にこう言いました。

「ずっと好きだったよ、私の片想いだけどね、これからもずっと好きだよ」

彼は目を閉じてじっと聞いていました、まるで「知ってたよ」という様子で。

そして気づけば1時間も彼は私の目の前から動かずずっとそこに立っていてくれました。

名残惜しいけどそろそろ行かなきゃ…

「また来るからねー」

その場を離れて20mくらい歩いたあたりで前の旦那は驚いたようにこう言いました。

「おい!まだお前のことを見てるよ」

えっ?振り向くとまだ彼は顔を私の方に向けてじっと見ている…

また私は涙だらけになり

「ポーロ様…何でだよぉ…そんなことされたら帰りたくなくなっちゃう…」

何回も振り返りながらも歩を進めて行きました。

彼が豆粒くらい小さくなり、やっと彼は踵を返してさっきまでいた柵の中のど真ん中に戻って行きました。

もしかして、パドックの最前列にいつもいたから顔をぼんやり覚えていてくれたのかな?

それにしても1時間も私の目の前にいてくれたとか、帰り際あんなにずっと私が見えなくなるまで見ていたというのはかなり不思議でした。

彼が引退後、厩舎関係者の著書に

「ポーロは人間の生き様をわかっているようなところがある」

と書かれていました。

今思うと彼は私の「また来るからね」の言葉を聞き

「君と僕はこれから色々な出来事が起こるんだよ、だから多分もうこれで会えないよ」

と思ったのかも知れませんね。

実際、彼は種牡馬を5年で引退、その後乗馬→功労馬になり北海道の牧場を転々とし、私はこの1年後に今の旦那と知り合い、前の旦那と離婚、幸せだけど大変なこともたくさんありました。

そしてやっと経済的にも落ち着いて来たのでコロナが収束したら彼に会いたいね、多分もう時間の猶予はあまりないから…と思っていたのですがそれは叶わぬ夢となりました。

でも落ち込んでばかりもいられません!

彼はたくさんのG1タイトルを取った名馬、私もこれから血の滲むような努力をして競技麻雀のタイトルをたくさん取ったら…

数十年後、私の人生の終焉の時に迎えに来てくれるかも知れないでしょ!

その時はこんな感じがいいな。

ほら、あのCMですよ、Mリーガーの女流プロ4人が麻雀してるところからの

「ロン(倒した牌にソニー損保と書いてある)ソニー損保の自動車保険、大好き!」

ってあがった人が言うやつ

えーっと、このCMはAbema TVの麻雀チャンネルを観てる人じゃないとわからないので貼っておきます。

なぜ、二階堂亜樹プロバージョンにしたかと言うと私と誕生日が2日違いだからですw

こんな感じで私が麻雀を打ってる時にですね

はい、みなさんが絶賛してくれた私が麻雀中の写真を載せてみましたw

「ツモ!ダートの王者アブクマポーロ

大好き!!!」

当然牌には「ダート王者アブクマポーロ」と書いてある。

そして彼はこんな凛々しい表情で迎えに来る

私の携帯の待ち受け画面です、2年前の彼、とても27歳には見えない若々しさですよね。

もうかれこれ2年前にこれを見つけた時からずっとこれにしてます、これからも変えないですよ💖

さて、もう一回言います!

「ツモ!!!ダートの王者アブクマポーロ

大好き💖」

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