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思考の断片・イメージ

 私は脳に窯を持っている。そこに知識とか人の話がぼんぼん入っていってぐつぐつ煮る。その後に何も残さず蒸発したりおいしい料理になったりする。知識の忘却と再起のイメージはそういう窯だと思う。この窯を常に燃やし続けることが大事だと思う。

 他人のことは気にせず自分が後悔ないように納得すればいい、の理論に限界を感じつつある。人は少なからず承認・尊厳を他人から得なければ自由になれない。もし同意できない人がいれば、その人は子供の時の成功体験とか親の愛とかで「自分がここにいてもいい、失敗しても見守ってくれる」という自信がすでにあるということだ。
 人は尊厳がなければ生きていけない。承認を求めて生きている。当たり前のことだ。それなのにいい感じにストーリーつけて語りやすいようにするのはいかがなものでは。

 どうせ生きるなら面白く、どうせ死ぬから何かを残せ。こういう積極的ニヒリズムで生きていく。意味と能書きは墓場で考えよう。

 人生を目的化するのは全く好きじゃない。物語化も嫌い。意味も目的も、そういったいそうなものが好きじゃない。
 人生は無意味だ。だからこそ最低限面白く生きていこうって話だ。今ここに自分がいることに意味を求めたら地獄が始まるぞ。人に語れる物語はすべて蛇足だぞ。自分の文脈を持つことはすごい大事なことだし魅力的だ。自分のポジションを固めろ。でもそれ以上くどくなれば俗物だ。虎になればわかるのか。そういう甘ったるくて心地よさそうなものを捨てたナイスガイを私は知っている。
 つまり、今ここにいる肉体と思考だけを誇れ。

 


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