見出し画像

伝統的?なことに心惹かれる『会話についての思索』要約3

 今回で三回目になりますが、11月20日に開催される文学フリマ東京35に出品する新しい本『会話についての思索』の3つ目のチャプターを要約したいと思います。

 要約とはいっても、実際には徒然とやっていきます。例えば、この表紙に掲げたナポリの写真。どこか古めかしく、物語を感じさせる印象的な建物です。美しく青ざめた背景からはモクモクと綿雲が立ち上がって、遠い憧憬へと誘われるようです。この写真や、それから他の作品でも良いのですが、何か「おなじみ」のような、そして匂い立つような印象のものを「伝統的?」という言葉で表現しています。
 この独特な魅力は、必ずしも対象の正確な性質とは言えません。上の写真も、本当のところは歴史上のある時代に建てられて、諸々の用途に使われたり、補修された結果いまに至っているわけですから、本来はその詳細な記述が正しく「この建物」を表現するはずなのです。Konsekvence la ghusta skribo estas, ke ghi nomighas kastelo Nuovo, kiu estis konstruita en la 13a jarcento kaj ankaux uzita kiel regha kastelo antauxe(すなわち、13世紀に建てられ、一時は王城でもあったヌオーヴォ城、というのがこの建物の正しい記述です).
 しかし、その対象がどんな歴史的背景を持っていようと、「伝統的?」な印象に心惹かれる間は、むしろ〈何でも無いモノ〉として、私達の生活の少しはみ出した所に現れるだけでしょう。生活は無数の印象的な物事の集積としてイメージされて、その全てが私達一人ひとりにとって懐かしい〈ある空間の一部〉として捉えられます。たとえば、畳の部屋のイメージが、私にはどこか懐かしく、諸々の事柄がそれと調和するようにイメージできます。「伝統的?」なこととは、その無数の印象の一部として「まるで元からあったかのように」、そして「新しく生まれたかのように」して現れるものです。
 会話について考えるなかで、私は4つのカテゴリーを見つけましたが、そのどれについても「伝統的?」な考え方ができます。たとえば、人格について話す時には、みんなが同じようなコースを通るのだと考えてみましょう。だれかが人格の成長痛に苦しんでいると〈自分もそうだったな〉みたいに思うことができます。Fakte tio ne estas la ghusta esprimo pri personeco(本当のところは、これは人格についての正しい表現とはいえない). Personeco estas decidita de la agoj, kiujn la persono elektas(人格は、その人物が選ぶ行動によって決定される). そうだけれど、やはり「伝統的?」なものに心惹かれるものではないでしょうか。
 なぜ、伝統的?なものが良いのでしょうか。私は1つ目のチャプターで、朝目が覚めたときの感覚を取り上げました。伝統的?な印象は、ちょうどそのような時、つまり目覚めるときに、〈そうしたものの中に居たい〉と思えるものなのではないかと思います。下手に正当性を通すよりも、普通の会話では伝統的?な感じくらいが葛藤も少なく、一先ずは良いといえるでしょう。もちろん、それがズレていることを自覚できることも非常に重要でしょう。
 ところで、4つのカテゴリーがあると書いた会話の中身ですが、他の3つについて書いていると大変長くなるので、また後で必要な時に書いていきたいと思います。
 
 次のチャプターは〈軽い気持ち・重い気持ち〉を扱います。

front image: a phot by JShira
link, trimmed for upload(CC BY-NC-SA 2.0)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?