まい

創作小説『2人のマイ』

私のクラスには2人の「マイ」がいる。
ごく普通の女子中学生の私、「高橋 舞(たかはし まい)」と、あまり普通でない女子中学生の「小鳥遊 真愛(たかなし まあい)」だ。

真愛がなぜマイなのかというと、彼女自身がそう名乗っているからだ。
真愛は、クラス替え初日の自己紹介で「私は自分の名前が嫌いです。キラキラネームっぽいでしょ。ママが真実の愛って意味でつけたんだけど、パパはママから逃げちゃったんだし、そんなもんあるわけないだろバーカって感じ。なので、普通に”マイ”って呼んでください」と言い放った。
あれはすごく、印象的だった。クラス中の空気が凍ったみたいで、誰も拍手しなかった。名前順に自己紹介をするのだから、次に名乗らないといけない私の気持ちを考えてくれ、と思った。

彼女は「マイって呼んで」と言ったけど、結局クラスの誰も彼女をそういうふうには呼ばなかった。はじめの自己紹介だけでも「ヤバイ奴」扱いされるには十分すぎるのに、休み時間にホラー漫画(だと思う、ちらっと見えたページに生首がいっぱい浮いてたから)を読んで一人でクスクス笑っていたりするのだ。だから、彼女はクラスで浮いていた。ほとんど人に名前を呼ばれることがなかった。呼ばれても「タカナシさん」だ。名字呼び。それが彼女とまわりの人との距離だった。

一方、私は友人から「マイ」と呼ばれていた。友人が「マイ」と呼ぶから、同じグループじゃない子もたいてい「マイちゃん」と呼ぶ。私のクラスには松本さんがいるから”まっちゃん”はかぶるし、"マッキー"は真希子ちゃんのあだ名だ。だから、私は普通の「マイ」だった。ニックネームに憧れがないわけじゃないけど、変なあだ名をつけられるよりは、いいと思う。

私のクラスはなんでもかんでも名前順なので、席も名前順だった。だから、私は真愛の後ろの席だった。彼女はときどき貧乏ゆすりをするけれど、振動が伝わってくるほどじゃなかったし、困ることは特になかった。いつも結んでいない長い髪から良い匂いがして、何のシャンプーを使ってるんだろうとしょっちゅう思った。でも、私は彼女に質問しなかった。私のクラスに、目に見える形のイジメはなかったけれど、「タカナシさんに関わるべからず」という、暗黙のルールはあった。
グループ実習とか、共同作業を求められるときは普通に話すけど、それ以外では近づかない。彼女も、それを受け入れているようだった。グループで大きな模造紙に発表内容を書くときに「そこのペンとってくれる?」「どれ?」「その、赤いやつ」「これ?」「うん、ありがと」とか、必要最低限のコミュニケーションはとっても、それは授業の間限定で、積極的に誰かに話しかけたりすることはなかった。

私が彼女と初めてまともに話したのは、多分、夏休みにはいるちょっと前くらいの頃だったと思う。彼女は相変わらず変わっていて、夏だというのに長袖を着ていた。クラスメートはみんな半袖で、それでも暑くてスカートをぱたぱた仰いじゃうくらい(女子校だから、恥も何もない)なのに、真愛は袖をまくることもなく、長袖で過ごしていた。
プリントを後ろの席にまわすとき、真愛は絶対にこっちを向かない。気だるそうに、「はい、はやくとって」と言わんばかりに、紙束を持った手をぷらぷらさせる。私はいつも、ぷらぷらさせるとかえって取りにくいんだけどな、と思いつつ、できるだけ早く彼女の手から受け取る。
その日は、ことさらに蒸し暑い日で、私はぼーっとしていた。今日の部活休みたいなー、こんな中でランニングなんかしたら死んじゃうよな、とか、どうでもいいことを考えていた。そのせいで、彼女がプリントをいつものようにプラプラさせていることに気づくのが遅くなった。

「ねえ、とんないの?」

声をかけられてハッとした。私は慌ててプリントを受け取り、そして、彼女の長袖に隠された、手首の赤い傷を見た。見てしまった。
プリントをまわすとき、決して後ろを見ない彼女は、私があまりにも長く受け取らなかったせいで、珍しく(というか、多分、はじめて)こちらを向いていた。だから、私の視線と、表情の変化に気付いた。彼女はプリントを渡した手をひっこめて、袖を少し引っ張った。

「見た?」

彼女は私に小声で聞いた。私はどうしようと思った。見てない、と言ったほうがいいんだろうけど、露骨にびっくりした顔をしてしまったから、絶対嘘だってバレる。しかたなく、私は頷いた。真愛は少しだけ考え込むように目を細めて、ニヤリとした(本当に、ニヤリとしか言いようのない笑い方だった)。

「言いふらしたかったら、良いよ。好きにすれば」

私はぶんぶんと首を振った。私は噂話とかは、どちらかというと苦手な方だ。みんながするから、するだけ。真愛はつまらなそうな顔をして、ぷいっと前に向き直った。
私の胸はまだドキドキしていた。はあ、あれが噂にきくリストカットというやつですか。なんとまあ、クラスにやってる人がいるとは。
一瞬しか見えなかったけれど、彼女の手首にあったいくつかの赤い線は、私の目に焼き付いてしまった。痛そうだと思ったし、なんでそんなことするんだろ、とも思った。長袖で隠すくらいなら、しなければいいのに。

その日の放課後、私はいつも一緒にいるグループの子たちとトイレに行かず、ひとりで部室棟の小さなトイレに行った。ちょっとだけお腹が痛かったのだ。小学生じゃないんだから、トイレで大きい方をしただけでからかわれることはないと思うけれど、やっぱりまだ恥ずかしくて、私はお腹が痛いときは、こっそりこっちのトイレを使うようにしていた。部室棟のトイレは校舎のと違って汚いから、たいてい空いていた。
教室に戻ってきた私は、ひとりで漫画を読んでいる真愛を見つけた。いつもなら何人かがたむろってお喋りしてたりするけれど、クラスに真愛がいるから、多分食堂とか廊下とか、別のところに行ったんだろうな、と私は察した。
真愛はいつもなら、ホームルームが終わったらすぐに鞄を持って、真っ先にクラスを出ていくので、こうして居残っているのは珍しかった。私は部活に行く支度をしようと、自分の席で荷物をまとめはじめた。

突然、真愛がくるりと振り向いた。私はぎょっとして、鞄にいれようとしていた現国の教科書を落とした。真愛は私をじっと見つめていた。私は反応に困って、落とした教科書に手をのばすこともせず、ただ棒立ちになっていた。

「高橋さんて、いいよね」

真愛はそう言った。いきなり何を言い出すのかと、私はますます困惑した。ばかみたいに突っ立って、教科書を落とした私の、どこを見て「いい」と言っているのか、意味不明だった。

「な、何が?」

私が聞き返すと、真愛はふっと笑った。どこか人をバカにしているような、そんな笑い方だった。

「フツーで、いいよね」
「普通?」

私は少し、苛立ちはじめていた。彼女の言い方は、明らかにバカにしている感じだったからだ。普通というのは、別にけなす言葉でもなんでもないはずだけど、彼女の言う「フツー」は、「つまらない」という意味に聞こえた。

「私と違って、ちゃんとフツーの”マイ”だしさ。羨ましい」
「・・・普通のマイって、何?」
「まあい、なんて変なのじゃなくて、ちゃんとしたマイじゃん」
「べつに、真愛だって変な名前じゃないと思うけど」

私は本心からそう言った。珍しい名前ではあると思うけれど、別に変な名前だと思ったことはない。もっと変わった名前は、いっぱいある。
真愛は明らかに機嫌を損ねた様子で、「そう?」と私に聞いた。私は改めて頷いて、「”真愛”も、普通だよ」と、言った。真愛はますます不愉快そうな顔をした。

「リストカットしてても?」
「クラスには他にいないと思うけど、日本にはいっぱいいるんじゃないの」
「パパがいなくても?」
「私のおばさん、去年離婚したから、私の従兄弟にもパパはいないよ」
「深夜ラジオばっかり聞いてても?」
「深夜のラジオはよくわかんないけど、私もたまに洋楽のやつ聞くよ」

ほとんど私を睨みつけるようにしていた真愛は、やがて泣きそうな顔になって、「じゃあ、私は、フツーなの?」と言った。袖をまくり、手首についた傷を私に見せながら。「こんなんでも、フツーなの?」と。

私はその痛々しい傷を見て、真愛は普通ではない、と思った。少なくとも、私の知っている世界の子じゃない。自分で自分を傷つけるなんて、なんでそんなことするのか、理解できない。
でも、私は真愛に”フツー”とバカにされたのが悔しかったから、できるだけ平然と、言ってみせた。

「真愛は、普通だよ」

真愛は、大きな目をさらに大きく見開いて、唇を噛み締めた。やばい、怒らせたかな、と私は思ったが、彼女はやがて、ぽろりと涙をこぼした。
私は焦った。泣かせるつもりはなかった。そんなに普通が嫌なのかな、言い過ぎちゃったのかな、と慌てる私を無視して、彼女はひとり納得するように、「そっか」と言った。「フツーかあ」と、ほっとしたように。でも、少しだけ残念そうに。

「教科書、落ちたまんまだよ」

涙を袖でぬぐった真愛は、けろっとして現国の教科書を拾い上げ、私に差し出した。少しどもりつつも「ありがとう」と受け取って、私は決心した。言うなら今だ、と思った。

「あのさ、プリントのことなんだけど」
「え?」

真愛はきょとんとした。私は今、「タカナシさんに関わるべからず」というルールを、破っている。でも、いいのだ。だって、クラスには私と真愛しかいないのだから。私は勇気を振り絞った。

「プリント後ろにまわすとき、ぷらぷらさせるの、あれ、取りづらいから、やめてほしい」
「あ、・・・そう、ごめん」

真愛は拍子抜けしたようだった。私は「やっと言えた」とすっきりした気持ちになった。現国の教科書を鞄に詰めて、忘れ物がないかチェックし、私は部活へ向かうために荷物を持った。

「・・・高橋さん」

教室を出ようとして、真愛に呼び止められた。私は振り返った。彼女は非常に気まずそうに、もじもじとしていた。私は部活に遅刻しそうで焦っていたので、「なに?」と急かした。

「マイちゃんって、呼んでも、いい?」
「い、いいけど」

私は、ここまで踏み込んでくる真愛を見たことがなかったので、ものすごく驚いた。そして、恥ずかしそうにしている彼女が、とても普通の女の子らしいことに気付いた。なんだ、やっぱり普通なんじゃん。

「でも、それだとマイが2人になるけど、いいの?」
「私のことは、誰もマイって呼ばないから」
「・・・真愛じゃ、駄目なの?」
「うーん、嫌だったんだけど」

真愛は照れくさそうに言った。

「フツーなんでしょ、真愛って名前。なら、いいやって思ったの」

私は「そう、それならよかった」とだけかろうじて言って、ダッシュで教室を出た。本格的に部活に遅れそうだったのもあったし、彼女とあれ以上喋ると、例のルールをどんどん破ってしまいそうで怖かった。

しかし、私は結局、真愛のことを「真愛」と呼ぶようになったし、真愛は私を「マイちゃん」と呼ぶようになった。
といっても、普段からお喋りする仲になったわけじゃない。相変わらず彼女はひとりでよくわからない漫画を読んで過ごしているし、私が消しゴムとかシャーペンを落としたときくらいしか話しかけてこない。
でも、ありがたいことに、真愛は後ろを向いてプリントを渡すようになったので、前よりずっと受け取りやすくなった。そして、放課後に真愛がクラスにぽつんとひとりで残っているときは、私は少しだけ部活に遅れて行くようになった。真愛と、普通の女子中学生のお喋りをするために。

私は相変わらずグループの子たちと一緒にトイレに行くし、お腹が痛い時は部室棟の方のトイレを使う。でも、なんとなく、そのうちトイレには一人で行くようになって、お腹が痛いときでも校舎内のトイレを使うようになるんじゃないかな、そんな気がした。

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おまけ:
・サムネイルの全体絵
・2人のプロフィール
・真愛のシャンプーについて(2コマ漫画)

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