『天啓予報』第24章 リロード

第二十四章 リロード

「だめだ」
 老人は溜息をついた。
「死ぬならちゃんと死ね、煩くするな」
「僕だって煩くしたくてしてるわけじゃないんです。あなたが解放してくれれば済むんです」
 槐詩かいしの呼吸は濁り始めた。老人が胸郭を切り開き、潰れた肺を取り出したためである。
「見えるか、すっかり潰れてしまっている!」
 老人は手で汗を拭うと、それを桶に投げ捨てた。
「肺もなくなったのに、まだ騒ぐつもりか」
比干ひかんは心臓を抉り出されてから三十分生きていました。三十分でもいいです」
「うるさい!」
 老人は一刀で脊髄に纏わりつく血管を断ち切ると、槐詩の五臓六腑を取り出した。槐詩は他人に腸を引きずり出される感覚を想像したことはなかったが……苦痛と恐れだけでなく、さっぱりとした爽快感があった。
「お前のために時間を割いてるんだ。運命を受け容れろ!」
 老人が脳を取り出して桶に捨てると、鮮血とまだ消化されていない食事の残りが飛び散って老人にかかった。老人は怒って布を取り出すとエプロンをゴシゴシと擦った。
「何を食べたんだ?こんなにねばねばして……」
「裏切り者が昼食に招いてくれて、火鍋を食べて……」
 槐詩は既に息を失っていたが、不思議とまだ声が出た。或いは死の前の恐怖が刺激となって殻を破ったかのかもしれない。槐詩はかつてこれほどまでに孤独と苦しみを感じたことはなかった。死にたくなかった。そして人と話したかった。彼は休みなくくどくどと喋った。
「火鍋って食べたことありますか?あなたは外国人みたいだし。火鍋は中国の名物料理なんですよ。それがね、楊っていう友人が嘘つきで迷惑ばっかりかけてくる奴なんですけど、そいつん家の火鍋が絶品で……」
「……」
 老人はもう口を開かず、槐詩の身体を解剖することに集中し、上から下まで正確に、骨を肉から引き剥がした。
 槐詩は老人を大金や美女で誘惑したたがまったく手心を加えなかったので、ついに老人を大声で罵りはじめた。手術台の上に清らかな骸骨となって横たわるまで。
 丸裸になり、臭い肉の衣服を脱ぎ捨てたのに、こいつはどうしてまだ死なないのか?!それにどうしてだかまだくだらない話を続けている!!!
老 人は怒って鑿で槐詩の頭を切り通すと、まだ温かい脳みそを取り出し、それを骸骨の目の前でゴミ箱に放り込んだが、槐詩はまだ老人に屠殺用の刀を置くように頼み続けていた……
「ここまで切ったのに、どうしてまだ死なないんだ?!」
「知るもんか、馬鹿やろう。きちがい、変態……」
 一体の骸骨からしゃがれ声がした。
「ねえ、助けてくれませんか、この身を売ってもいい。あなたがゲイでさえなければ、何でもします……いえ、ゲイでもいい。ほんとうです。優しくしてくれたら大丈夫だから………」
 老人の白髪は怒りに逆立ち、顔の縫い痕が髪の下から現れた。彼は狂ったようにテーブルを叩いた。
「死は決まったことだ!」
「決まったことだとしても死にたくないなあ……」
 槐詩は少し躊躇ってから、老人に相談した。
「生きたいだけ生きてからから死んじゃだめですか?」
「……」
 老人は黙り込み、怒り狂って頭髪を掻きむしった。闘志は完全に失われていた。彼は腰を屈め、のろのろと自分のメス、鉗子、鋏を片付け始めると、種類ごとに分けて道具箱にしまい、エプロンを外し、乱れた頭髪を丁寧に整えた。
「ああああああ!!!!」
 老人は突然叫び出し、道具箱を床に投げつけ、凶暴に足を踏み鳴らすと、部屋の隅にあった斧を手に取って戸棚を叩き壊し、わけのわからない怒りを発散した。
「くそ、いったいなんなんだ!」
 老人は何かを見つめるかのように、天井を向いて怒鳴った。
「見たか?こいつの勝ちだ!お前たちの実験台を私のところから持っていくがいい!いますぐ!これ以上こいつを見たくない!」
 その瞬間、時間が止まったかのように、すべてが動かなくなった。
 虚無の中で扉が開いたかのように一条の光が部屋の中を照らした。光は垂れ下がった一本の縄のように槐詩を引っ張り、ゆっくりと起き上がらせた。
 槐詩は呆然と周囲を見回した。何が起こったのかわからなかった。
 こういう時の習慣に従って、振り返って中指を立てるべきだろうかと考えた。
 次の瞬間、槐詩は光に呑み込まれた。
 あるいは「水没」、海のような灰銀の光芒が槐詩を呑み込んだ。彼は見えない力に引っ張られ、上に向かった。彼は深海の中を潜行するような、四方八方から圧迫される恐怖の重みを感じた。それ以上に怖ろしかったのは、この銀色の光の海は、海水の一滴一滴すべてが液体に凝固した源質であることだった。
 見渡す限り、無限のような広さであり、その最果てに人間の視線と感覚が届くことは到底なく、まるで全世界を包んでいるかのようだった。
 白銀の海。
 すべての人類の源質を集めた、すべての知恵の源である虚無の海、神跡を凌駕する偉大な存在……烏鴉がかつて言った言葉が槐詩の意識に甦った。
その瞬間、彼は海を飛び出し、空中に放り出された。
 彼は虚無の海と空の間に呆然と漂い、浄化されて何の雑味もない黒い空と、足の下の無尽に光が湧き流れる銀色の海を見た。
遠く、二つの影が、海面に座っているのが微かに見えた。
「ところで、この間うちの娘が君の写真を見て、君と同じようなカラスがほしいと泣いてせがんだんだが……あの時は忙しくてしょうがなくて、とりあえず鳩を捕まえてやった。すると娘は色が違うと言う。だから、『本当は黒いんだけど、お母さんが生んだ時に墨が切れてたんだ』と言ったんだ……ああ、もう七年も会ってないが、どうしてるだろう。勉強はちゃんとしてるだろうか」
 海面に胡坐をかいた頬髯の男は煙草を吸いながら、手にビールの缶を持ち、困ったように隣の『飲み友達』を恨んだ。
ついでに、煙草の灰を足元の奇跡の海に落とした。
「安心して。年頃になって、奇麗で立派なお嬢さんになっているわよ」
 烏鴉うやは羽根で葉巻と缶ビールを持ち、中年男の肩をポンポンと叩いた。
「あなたがあげた鳩にはちょっと問題があるけど……ああ、うちの契約者が出てきた」
 頬髯の男は眉を上げてちらりと見た。
「まったく普通そうにみえるが。何かいいところがあるのか?」
「チェロが上手なところ?大学入試の加点になるぐらい」
「そんなに凄いのか?なにかコツがあるのかな?」
 頬髯の男は目を輝かせた。
「ああ、きっと天分ね。他人には真似できない」
 烏鴉は羽根をパタパタさせ、缶を持ち上げて最後の一口を飲み干すと、立ち上がって別れを告げた。
「もう時間だわ。行かなくちゃ……ところで、白銀の海の守護者として、そして世界に七人しかいない『天敵』として、堂々と逃亡犯の私を見逃して本当に大丈夫?」
 頬髯の中年男は少し考えると、困ったように顔を撫で、溜息をついた。
「いいさ。あと二日で交替だ。俺はここで七年も時間を無駄にしたんだ。最後にちょっとぐらい息抜きをしてもいいだろう?」
「ほんとうにありがとう」
 烏鴉は感謝の微笑みを浮かべると、羽根を広げ、飛んでいった。
銀色に輝く海面に落ちる生き生きとした影は、次第に長くなり、炎のように舞い、変化し、最後に華奢な人影となった。
 黒いロングドレスの裾が漆黒の波のように揺れる地上に広がったが、塵に汚れることはなく、シンプルな模様の暗い金色の刺繍が、茨のように上の方に向かって伸びている。
 槐詩がぼんやりと地上を見た時、スカートの裾からすらりとした脚が見え、白皙の肌が目に眩しかった。
 ドレスは後ろの部分が開いていて、輝くように白い背中が見えた。そして背中をほぼ覆っている華麗な赤い模様は、不思議な紋章を形作り、絶えず変化しているようで、はっきりと見えなかった。
 すぐに、不思議な紋章は散り落ちた黒髪に隠された。
 槐詩がぽかんとしていると、彼女は顔を上げた。大人びた美しい横顔が見えた。
「行きましょう、私の契約者」
 彼女は見たことのある箱を抱え、少年に向かって手招きすると、得意そうに微笑んだ。
「家まで送るわ」
  ※
  ※
 その瞬間、新海郊区、槐詩の寝室で、突然恐ろしいほどの源質の波動が爆発した!
 燃焼の光が輝き始めた。
 ――運命の書!
見えない力で空中に持ち上げられたそれは、無数のページが狂ったように翻り、大量の源質がその中から湧き出て、燃える炎と光となった。
 それは長い時間、運命の書が槐詩から吸い取り続けていた源質であった。 源質はいまこの短時間に燃焼し尽くし、無窮の幻光に変化した。
 一枚一枚のページが炎の中で燃えて虚無となり、最後に、彼の名を書いた最初のページだけが残った……
 最初のページの欠けた月が再度成長し始めた。
 最後の隙間が……閉じた!
 無数の死に、最後に自分自身の死を合わせ、無尽の死の記録は純粋な墨色になり、月輪の虚影の揺れる中、円の中心をめぐり、渦となって激しく旋回しはじめた。
 無数の死が狂ったようにぶつかりあった。
 最後に、月の極限を打ち破り、束縛を引き裂き、自身の荘厳な輪郭を露わにした――無数の漆黒の死の旋回は、巨大な渦となり、凶暴に真円を押し開き、鋭い炎が自らの中から突き出て、その冠となった。
 それは漆黒の日輪!
ピッ!
 幻覚のように、集中治療室の心電図が再び微弱に波打ち始めた。
 生命のリロード。

訳者コメント:
こんなに図々しい方法で生き返る主人公を見たのは初めてです。
それから、頬髯り男の娘さんは、白帝子ちゃんです。昇華者と言っても、親はやはり子供の学業のことが心配なのでしょう……

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