『天啓予報』第69章 昔話

第六十九章 昔話

「本当に、久しぶりだな」
 何洛からくは首を傾げて少年を見ながら雨の中をゆっくりと歩き。立ち止まると、腰に手を当てた。
「以前、私が失魂引しつこんいんのウィルスを注射した時より、ずっと大きくなった」
「待て、何て言った?」
 槐詩かいしは手を上げ、右耳のイヤホンを外し、不思議そうに何洛を見た。
 聞こえていなかったように、何の動揺も見せなかった。
「関係ない。忘れただろうから」
 何洛はゆっくりと歩きながら、いつにもなく饒舌らなっていた。
「もしはっきり覚えていないのならその方がいい。つまるところ――君の両親は、私が殺したのだから」
 彼は立ち止まり、頭を傾げて回想した。
「話すのは少し気まずい。君の両親は死ぬ前に無様に命乞いをしたよ。どうしようもない人間だった」
 意外なことに、少年は冷静だった。そして微かに頷きさえした。
「その点については同意する。子供の頃から、お手本にならない両親だった」
 何洛の目にかすかな驚きがよぎった。
「あんたは俺を怒らせようとしてる。けど俺はいま完全に冷静なんだ」
 槐詩は自分の頭を指さし、穏やかに言った。
「だから、そんな小細工は必要ない。正直に言ってくれればいい――」
 華麗な祭祀刀さいしとうと無形の斧がぶつかって火花が散り、冷酷な顔を照らし出した。
「——どんな風に死にたい?」
 ザッ!
 風と雨が槐詩の顔を打った。
 厚い雨のカーテンが祭祀刀に切り裂かれた。槐詩は重さを持たないかのように風に融け入り、あっというまに近くまで来ると手に持った斧を何洛の顔に向かって振り下ろした。
 金属がぶつかり、火花が散った。
 二人は交錯した。槐詩の脚は止まり、水たまりから飛沫が上がった。槐詩は身を翻し、回転の勢いを借りて体重を刀に乗せ、斜めに斬りつけた!
 突風が吹いた。鱗で覆われた長い尾が何洛のコートの下から伸び、鋭い先端が槐詩の喉を狙って突き出され、首を掠めた。何洛の肩甲骨の右から伸びている腕が、関節がないかのように三百六十度反転して祭祀刀の攻撃を防ぐと、別の腕が弯刀を振り下ろした。
 槐詩は横に避けようとして、悪寒がし、咄嗟にスウェーで躱した。
 何洛のコートに大きな弾の穴が現れるのが見えた。
 前の二本の腕が持っている散弾銃が、槐詩が避けようとしていた場所を狙って引き金を引いた。
 鉄の雨が降り注いだ。
 何洛の尾に一筋の傷がついた。
 傷は深くえぐれており、骨が見えた。
 槐詩が地上を転がりながら投げた無形の斧が何洛の尾に中っていた。その斧が再び槐詩の手の中に現れた。源質の刀峰は緑色の血で染まっていた。
 首の傷から出た血の色と同じ。
 毒。
 青黒い色が血液の流れとともに喉からゆっくりと顔まで広がり、蜘蛛の網のような模様をつくった。
 勝負はついた。
「なぜ前回その技を使わなかった?」
 何洛はゆっくりと立ち上がり、口角を上げて笑った。
「そうすればこんなに簡単に負けなかったのに」
 かすかな眩暈を感じつつ槐詩は刀に映った自分の顔を見て、ハッとした。
「毒か?」
 槐詩は指に血を付けて毒血をペロリと舐めると、味わい、頷いた。
「味は悪くない」
 ちょうどいい!
 槐詩は驚くべきスピードで何洛に向かっていった!
 驚いた何洛が後退しようとした時には刃が目の前にあった。
 祭祀刀が血を吸うことを知った何洛は、もう自分を傷つけさせなかった。 両手の弯刀を構え、攻撃を防ごうとしたが、刃がぶつかった瞬間、自分の考えが現実的でなかったことに気づいた。
 予想もしない巨大な力が刃で爆発した!
 何洛は一本の腕で散弾銃を持ち上げ照準を合わせようとし、もう片方の腕で自分の周囲に猛毒の雨のカーテンを出した。だが散弾銃の銃身を上げる前に冷たい手に押さえられた。
 槐詩は降り注ぐ毒の雨にも構わず突進した!
 加速に次ぐ加速!
 鱗の砕ける音の中、何洛は咆哮し、長い尾を振りまわしてなんとか槐詩を遠ざけたが、胸は祭祀刀に深くえぐられ、鉄のように固い骨に大きなひびが入っていた。
 酷い傷跡はあっという間に干からび、固い炭状になり、少しの衝撃でボロボロと崩れた。
 つづいて、刃に付着している心毒が爆発し、肉体と霊魂の両面に衝撃を与えた。ナーガは悲鳴を上げ、めちゃめちゃに弯刀を振り回した。
 毒は効いているはずだ!
 どんなに強い耐性があっても、ナーガの毒を吸収したなら、すぐに血清を注射しない限り、死は免れない。
 そう、このガキはもうすぐ死ぬ筈だ!
 だが、悪鬼のように、楽しそうに血に酔っている少年が近づいてくる。少年は手に持った刃をぶつけ、擦り合わせ、火花と鋭い音を立てている。
 虚ろなほどに冷静な顔が、微笑みを浮かべた。
劫灰こうかいの霧が懐かしいか?」
 動けないほど衰弱している筈の少年は溜息をついた。
「残念だけど、在庫はさっき俺が使っちまって、ぜんぜん残ってない。もう少し早く来ればよかったのに」
 言うと、彼は唇を舐めた。
 斧と刀が襲い掛かった!
 何洛は吼え、力を振り絞って、心毒のもたらす激痛から逃れようとした。 何洛は体勢を整えると、巨体を槐詩にぶつけ、四本の手が持つ弯刀を振り回した。中央分離帯の壁は殆ど破壊された。
 だが飄々とゆらめく陰魂を斬ることはできなかった。
 スピードだけでなく、槐詩が刃を振るい、何洛は弯刀で受けた。弯刀を持つ手が痺れた。
 槐詩は二級上の聖痕せいこんの力に押しつぶされることはなかった。互角どころか、少年のナイフ術が圧倒した。
 熟練の格闘術。
 そして神出鬼没の斧!
 何洛はいま気づいた。槐詩が発煙弾として使った劫灰がどこから来たのかを。
 何洛の目の前で――霧となった劫灰は槐詩の体から立ち昇っており、炎のようにゆらめき、少年を呑み込んでいった。
 少年をも絶望の炎で燃やそうとするかのように。
 物質の結晶に転化した源質は、この時再び源質に回帰し、彼の魂魄の中に流入していった。
 無尽の苦痛と死を伴って!
 何洛はついに理解した。すべての人間が死に面したときに無力になるのではないことを。
 ある者は……死に近づくほど、強くなる!
 雷鳴のような咆哮が少年の体から迸り出た。槐詩は前進し、腕の皮膚が裂けるのも構わずにナーガを翻弄した。
 皮膚が破れると、筋肉を覆っている劫灰の火は狂ったように燃え上がった。
 極限を超えた源質の波動が彼の体の中で潮のように渦巻き、槐詩は足を前に踏み出し、刀と斧を振り下ろした。
傷 だらけの弯刀は完全に折れ、何洛の左手は空になった。
 何洛は目の前にいた少年の姿を見失った。激痛が背後から襲ってた来た。 無形の斧が重なった祭祀刀は散弾銃を持った腕を完全に切断した。
 毒血が飛び散るのを、少年の赤い二つの目が見ていた。
 溶鉱炉の中、極限に達した炎は、地上の豪雨を傾け尽くしても消すことはできなかった。
 光芒が熱狂した。
「ちょうどいい火加減よ」
 豪雨の向こう側で、高いビルの屋上にとまっている烏鴉が呟いた。
「傷つけられ過ぎて苦痛を感じなくなる。死を知るときに絶望を乗り越える。それによって深淵の奇跡を鋳造する。あなたの聖痕は溶鉱炉と火からではなく、あなたの体と魂魄によって鍛造される。あと最後の鍵が足りないだけよ、槐詩……」
 ナーガが叫び、長い尾が空を舞った。ナーガは旋回して地面に倒れ、痙攣した。だがこの時、ナーガは心毒の痛みに抵抗した。
 ナーガは猛然と身を翻し、大量の雨水を操り、自分の霊魂能力を展開して 空気の海を降臨し、自分の周囲にバリアをめぐらせた。海水のようにドロドロとした空気は、槐詩の動きを妨げた。
 ナーガは機敏に空気の海の中を飛び回り、猛然と槐詩に向かって手を伸ばした。
 槐詩は避けられなかった。肩を鉄のペンチで挟まれたようだった。
つづいて、槐詩が祭祀刀と斧で斬りつけてくるのにも構わず、ナーガは残った三本の腕で、槐詩が逃れられないように、完全に抱き込んだ。
 猛獣並みの筋力で、きつく締め上げ、槐詩を胸の中で圧し潰そうとした。
 槐詩の骨の折れる音が聞こえた気がした。
 祭祀刀が斬りつけた肋骨の傷跡が突然痛み出した。
 槐詩の手が傷の中に入り込み、五指が内臓を掻き回すと、握り込んだ。五指の間から無形の斧が再び現れ、心毒が斧から流れ出した。
 ナーガの霊魂が耐えられずに悲鳴を上げた。
 何洛の腕がゆるんだ隙に、槐詩は抜け出した。
何洛は歯ぎしりし、吼え、コートを引き裂いた。胸の傷を押さえ、三本の腕を広げ、空中の海を泳いだ。
 ナーガは体勢を立て直した!
 ナーガは第二段階の聖痕とはいえ、伝奇中の生物の恐ろしい生命力を備えていた。一本の腕と尻尾を失い、重症の筈なのに、まだ動けていた。
 だが槐詩は殆ど力を出し尽くし、少しでも力を加えればバラバラに砕けてしまいそうだった。
 槐詩が素早く後退するのを何洛は見た。
 少年は笑顔を浮かべていた。
 何洛に見せるように、自分の血まみれの左手を上げて。
 人差し指で小さな輪をくるくると回している。
 輪には細いプラグが付いており、どこかからか抜いたもののようだ。
 何洛は愕然と頭を下げ、傷口を見た。激痛を通して、やっと傷口に押し込まれた鉄の塊と、それが爆発する恐るべき熱さを感じた。
 ゴウ!
 毒血は内臓とともに爆発し、周囲に飛散した。黒ずんだ緑色の花火が上がったようだった。次の瞬間、花火は雨水の中に溶けて消えた。
 残骸が空中から落ちてきた。
 何洛の体が空中から墜落し、燃え尽きた車体にぶつかった。
 胴の殆どとすべての腕が失われ、内臓が焦げて炭となった。だが不思議なことに彼はまだ生きていた。
 気息奄々。
 暴雨に洗われ、まだ残っていた一個の眼球がきょろきょろと動いていたが、訪れる死を拒むことはできなかった。
 槐詩はやっと息をつき、地面に膝をついた。気絶しそうだった。
 源質の火は完全に消え、疲れた様子で肩で息をした。体中が激しく痛み、 目の前が徐々に暗くなり、耳鳴りがしていた。
 だがまだ意識を失うわけにはいかなかった。
 死ぬほど疲れていても。
 暴雨の中、槐詩はよろよろと歩き、水たまりを踏んで、何洛の前に来ると、獰猛な顔を見下ろした。
 そして突然笑い出した。
 笑い話を思い出したからだ。
「むかし、あるきこりが山に芝刈りに行った」
 少年は唐突に言った。
「橋を渡る時に、彼は斧をうっかり川に落としてしまった。それは彼の唯一の斧だった。彼はとても苦しみ、泣きに泣いた。お前のように。その時川の神様が出てきて、慈悲深く彼に尋ねた……」
 槐詩は両手に祭祀刀と無形の斧とを持つと、肩に担いで、川の神と同じように言った。
「――あなたが落としたのは金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」
 ナーガは目を見開き、唇を開こうとしたが、声は出なかった。
「そうだ、樵もお前と同じだった」
 静寂の中、槐詩は満足そうに頷いた。
「それから、川の神は言った。お前はとてもいい子だから、両方上げましょう!」
 刀と斧がナーガの首で交錯した。
 咆哮のような金属の響きの中、毒血は両側に噴き出した。
鱗に覆われた頭が地面を転がり、息をしなくなった。
 これが物語の結末。
 何が川の神だ。何が金の斧、銀の斧だ、なにが樵だ……なにが!
 その昔話は長すぎる。
 終わらせるんだ。
 今日。
 槐詩は身を翻し、静まりかえった高架を渡ると、暴雨の中を物語の結末に向かって歩き出した。
 最後の生存者に向かって。
 そして、槐詩は車のドアを開け、車内の老人に向かって微笑んだ。
せきさん、お待たせ」

訳者コメント:
この章で、無料部分は終わりです………………
えええー?!!そんなー!!続きが読みたい!!という方は、コメントください。
作者の風月先生から友人に配布する許可をいただいております。
あと、私の翻訳は使わなくてよいので(もちろん使ってくださってもいいですが)、ぜひ正式に日本語訳が出版されることを切に願っております。
一人でも多くの読者にこの作品が届きますように………………

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