『天啓予報』第49章 啼蛇

第四十九章 啼蛇 ていだ

 機関銃と防毒マスクで装備した槐詩かいしは車から蹴り出され、昇華者しょうかしゃ鎮圧部隊のいかついお兄さんたちと一緒にまだ火が燃えている荘園に入っていった。
 そこは見渡す限り、一面の更地だった。
 焼き尽くされた荒れ地と廃墟の中、巨大な怪物の死体がそこかしこに見えた。恐ろしく硬い鱗といい、凶悪な骨格といい……地獄からやって来たような、どう見ても自然に進化したのではない奇妙な姿をしていた。
あとは静けさだけが、かつて別荘があった場所に残っていた。
 黒い煙が白い灰の下から緩やかに立ち上り、空気中に拡散し続けていた。
 防毒マスクを着けた屈強な軍人たちは黒い気体に触れると、脚に力が入らなくなって倒れ、次々と同僚に運ばれて医療班の応急処置を受けることになった。
 だが槐詩はなんともなかった。
 それだけではなく、頭が冴えてきたような感じさえした。身体の反射速度と感知能力も上がってきている。
『『深淵の淀み』の濃度が辺境より高くなっている』
 通信機から艾晴の声が聞こえた。
『潜水のような適度な圧力があなたの霊魂の運転速度を加速しているの。霊魂を鋳造していない常人にとって、深淵の淀みは猛毒だけど。邪教徒はこういういたずらが大好きなのよ』
「おおう……」
 槐詩は機関銃を構え、びくびくと周囲を見回した。
「奴らはいったい何を企んでいるんだ?」
『知らないけど、盛大な遊びじゃない?』
 艾晴の口調は冷静だった。
『奴らは私たちをここにおびき寄せてから『神賜の刻印』によってここの深度を上げたのね。私たちは胃袋の中に入れられたようなもので、黒い気体は胃液のように生き物をゆっくりと消化する……」
 槐詩はゾッとして首を竦ませると、さらに警戒した。
 艾晴が『正義は我にあり』の精神で白リン燃焼弾で徹底的に消毒したおかげで、荘園は虫一匹いない状態になった。
 槐詩は廃墟の中で悲惨な死体を見た。
 爆破の範囲内にいたらしく、半身が焼け爛れている。だが即死ではなくもがいて逃げようとした跡がある。
 その後に空から落ちてきた白リン焼夷弾に生きながら焼かれて、捻じれた 消し炭となったのだろう。
 獣のような顔がやっと判別できるに過ぎなかった。
 焼けて崩れた顔は、大きく鋭い牙を持つ猿のような頭蓋骨が露出している。それは銃の先でちょっとつついただけで二つに割れた。
 何階の昇華者で、どんな奇妙な聖痕せいこんを持っていたのかはわからないが、現境にあっては鋼鉄の奔流に鎮圧されるしかなかった。
 槐詩は潜んでいる敵がいないことを確認すると、背後に向かって手を振り合図をした。防護服を着た数人の軍人が巨大な箱を担いでやってきて、てきぱきと死体を箱に入れて持ち去った。
 昇華者は遺体にも価値がある。炭のひとかけらでもあり、聖痕の残骸が検出されれば、検死によって身元が判明する可能性がある。
 だが惜しいかな、焼夷弾は徹底的に焼き尽くし、死体はバラバラになっていた。
 寄せ集めることもできないほど。
 槐詩は前進を続けた。しばらく歩いたところで違和感を覚え、また戻って地面の灰を掻き分けた。
 余熱が残っている灰の中に、槐詩は金属の輝きを見つけた。続けて掘っていくと、鋼鉄の輪郭が現れた。
 ひと振りの短剣。
 鍔は燃えて変形し、柄に巻いてある縄も殆ど炭化しているが、刀身は墨色に覆われていたが刃こぼれひとつなく完全だった。
 長さ約四十センチ、幅約五センチ半、片刃で、何かの祭祀さいしに使う礼器のような様式をしていた。
 槐詩は手で重さを量ってみた。普通のものではない感じがした。
「それは辺境の遺物よ」
 烏鴉うやの声が神出鬼没に槐詩の耳元で響いた。
「おそらく深度七から八の地獄から発掘されたもの。テノチティトラン帝国の供犠で使われた祭祀刀さいしとう。とてもいいものよ!」
 槐詩の影の中の烏鴉はひょこっと頭を出し、小さな目をパチパチと瞬かせた。
「ネコババできないかしら?」
「……どうやって?」
 槐詩は運命の書を通して尋ねた。
「すぐ後ろに人がいるのに。なにか考えでもあるのか?」
「なにかしら方法はあるわ」
 烏鴉は肩を聳やかした。
「それと、背後に気を付けて」
 次の瞬間、すさまじい風切り音が響いた。
 寒気が後頭部から這い上がった。
 考える暇もなく、槐詩は手に持った祭祀刀を背後に向けた。鋭く大きな音がして槐詩は身体ごと巨大な力に吹き飛ばされた。
 幸いにも槐詩はかつてのような弱キャラではなく、空中で一回転する間に体をひねって反対向きに着地した。
 徐々に人影が現われた。
 まずねばねばした血が焼け焦げた体から滴り落ちているのが見えた。筋肉の動きに合わせて、真っ黒に焼け焦げた皮膚が破れ、無数の細かい裂け目ができている。
 焦げた皮膚が体から剥がれ落ちいてく。
 蛇の脱皮のように、古い体と死を脱ぎ捨て、新生している。
 苦痛の痙攣の中、焼け爛れた皮膚は少しずつ剥がれ落ち、新しい皮膚がまだ完全に生えていない血肉の模糊とした歪んだ顔が見えた。
 そして一対の恨みの籠った目。
 槐詩はヒュッと息を呑んだ。
「お兄さん、救急車呼ぼうか?」
 口ではそう言いながら、体は裏切り、槐詩は手に持った祭祀刀を放り出すと機関銃を構えてタタタタ……と撃った。
 十メートル以内、数十秒で弾倉は空になった。慣れた手つきでジャケットの腰から新しいものを取り出し、交換し、また撃った。
 ふざけるな。銃なしでやりあおうってのか?
 だが槐詩は焼夷弾の炎から生き残った強者に、どう対処していいのかわからなかった。まずは銃で撃って……運命の書の訓練を経ても、槐詩はまだ銃のスペシャリストとは言えないが、もう連射ができないひよっ子ではなかった。今日の朝の補修では片手で弾倉を交換していたら危うく後ろにいる仲間の眼球を撃ち抜きそうになったとしても。
 槐詩が引き金を引くより早く、その奇妙な人影は身を躱し、前方に飛んで槐詩が放り出した祭祀刀を拾おうとした。
 だが弾は人より早く、一瞬のうちに二十発の鋼鉄の弾丸に撃ち抜かれて、地面は緑色の血で染まった。
 槐詩が弾倉を交換している隙に、相手は祭祀刀を諦め、こけつまろびつ廃墟の崩れた壁の向こうに潜り込んだ。
 槐詩の後方の鎮圧部隊のお兄さんたちも無駄飯を食べているわけではなく、最初は怯んだものの、すぐに敵に弾丸の雨を降らせ、殆どぼろ雑巾のようにした。
 槐詩は弾倉を交換し終わると、隙を見て祭祀刀を拾って防弾ジャケットに挿し込み、焦らず急がず、壁の向こうの様子を伺った。
 そして手を伸ばし。倒れている仲間のポケットからいくつかの鉄のサツマイモ――手榴弾を掘り出し、ピンを引き拭くと力いっぱい放り投げた。
 聞いたこともない爆音がした。崩れた壁の向こうから影が素早く飛び出してきた。鋭い叫び声を上げながら槐詩に向かって襲い掛かってくる。
 ガッ!
 槐詩は咄嗟に軍刀を抜いて遮ろうとした。手の中の軍刀が真っ二つに折れ、槐詩は勢い余って倒れた。そして冷たいものが頬を掠める感覚にゾッとした。
 それは鋭い骨だった。
 入り乱れる銃声が突如止んだ。包囲を縮めていた特事所の兵士たちは足元から崩れ落ち、まるで気が抜けたように地面に倒れた。
 防毒マスク越しに、槐詩は甘ったるい匂いを嗅いだ。目の前が暗くなった。
 毒!
 槐詩は手を上げて劫灰こうかいを出し、その人影を押し返した。槐詩は地面から起き上がろうとして体の力が抜けるのを感じた。
 いまやっと、槐詩は敵の姿をはっきりと見た。
 ミサイルと燃焼弾の洗礼を受けた後、脱皮し、新しい皮膚をピンクの鱗が覆っている。額には三本の奇妙な角が生え、それぞれ紫色、緑色、白色をしていた。
 なんて奴だ!
「怖がらないで、やっつけるのよ!」
 烏鴉の声が耳元で槐詩を励ました。
啼蛇ていだの聖痕は第二段階、まだ生きてるのは生命力の強い霊魂能力だからってだけよ!毒だって私が毎日飲ませているものの方がずっと強い!」
 なんてことを言うんだ!
 槐詩は怒った。
 お前は毎日俺に何を飲ませてるんだ!
 槐詩が烏鴉を追い払う間もなく、啼蛇の聖痕の昇華者は再び襲い掛かってきた。手に持った鋭い骨が真っ直ぐに槐詩の喉を狙っている。
 槐詩は手に持った祭祀刀を空中でくるっと回すと、逆手に持って下に突き刺した。
 二つの影が交差した。槐詩は凄惨な叫び声を聞いた。
 肩から腰まで、啼蛇の体は祭祀刀に斬られて大きな裂け目が出来、骨の色が見えていた。
 槐詩は手の中の祭祀刀が啼蛇の血を吸っているのを見た。表面を覆っていた塵が洗い落とされたようにその下に隠れていた青銅の色が現われていた。
血は一筋一筋流れて刀峰に集まっている。ざっくりと切られた傷口は既に乾 燥してミイラのようになりかけていた。
 驚くほど異様な光景だった。

訳者コメント:
啼蛇の聖痕の昇華者の登場です。鳳凰とか麒麟の聖痕はきれいな感じですが、啼蛇は不気味ですね……ちなみに槐詩はまだ聖痕を持っていません。


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