ウソフィール「ウソペディア」より。
先日、プロフィールの事を書いていて、自分が、どういう人生だったら満足出来たのか、ちょっと考えてみた。
幼い頃から神童と言われ、東大からハーバード大学に進学して、NASAに入り、宇宙ステーションの設計に関わり・・・
そんなのも悪くないけど、勉強ぎらいなので、それがスゴクイイとも思えない。
もっと安易な人生がいい・・・
ウソフィールを考えてみた。
よければみなさんのウソフィールも知りたいです。
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ISHIDA
出典: フリー百科事典『ウソペディア(Usopedia)』より。
1958年。愛知県名古屋市生まれ。サラリーマンの家庭で平凡に過す。
1970年。12歳。大阪で開かれた日本万国博覧会に遊びに行った事から人生の転機が訪れる。
偶然会場を訪れていたイタリアの広告王と呼ばれるカルロス・ジェノ―べに発見され、探していたアジアの少年像のピッタリだという事で、イタリアの大手お菓子メーカーの広告写真に使われる。
その広告を見た映画監督、フェデリコ・フェリーニの新作映画のオーディションに呼ばれ、「ローマのいたずら」の主役に抜擢。
「ローマのいたずら」は世界中で大ヒットし、アメリカアカデミー賞の外国語映画最優秀賞を受賞。ISHIDAのもとには数々の出演以来が舞い込む。
ISHIDAはアメリカに渡り、ピーター・ボグダノヴィッチ監督の映画で主演、その後も数々の有名監督の映画に出演する。
私生活では20歳の時、映画「波」で共演したジャクリーン・ビセットと結婚、14歳年上のジャクリーンとの結婚は当時話題になるが、2年で離婚。
1985年。27歳の時、日本に戻り、映画「ハモニカ工場」を監督、しかし、興行的には大失敗して、姿を消す。
2000年。映画界、芸能界から姿を消していたISHIDA、今度は画家として姿を現す。
1982年の映画「島の嵐」で演じた伝説の画家ポール・キノビッチに影響され、映画で絵の指導をしてくれたサイモン・P・オニールに師事、インド洋にあるモーリシャス島にて、姿を消していた15年の間に描きためた油絵250点あまりをパリの画廊にて展示、大きな話題となる。
以降、現在までモーリシャスを始め、南の島を転々としながら絵を描いて暮らしている。
正式な結婚はジャクリーン・ビセット以外していないが、世界各国、島々に愛人契約をしている女性がいるとされ、その方面での評判は良くない。
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