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「ハモニカ工場」の事。

年に1回、アップしているnote...... 

長くフォローしていただいてる方には{またか}だけど、毎年自分の誕生日近くになると、古いテキストを再アップする事にしています。

「ハモニカ工場」早乙女勝元さんの小説です。その映画化の話です。

noteも5年目なら、この文章も5~6回目...... 。

古い記事はどんどん下に追いやられて、誰にも見向きもされない。リンクを貼ってもそちらまで飛んでくれるとは限らない。

ほとんどの記事は、その方がイイのだけど、今年もチョッピリの期待を込めて・・・

期待と言うのは「よし、映画作らせてやるよ、いくら要るんだい」という人の登場です。

とにかく「ハモニカ工場」の記事を加筆、訂正を経て再アップ...... 

1991年頃の話。

「クニさん、ハモニカ吹けます?」
「ハモニカ?、なんだよォ」
「作りたい映画があって、クニさんにやってもらいたい役、ハモニカの達人なんですよ」
「達人かよォ」

当時僕は助監督をしていて、ある番組のリハーサル室で、平常心を装いながらも、心臓バクバクさせながら田中邦衛さんに出演交渉してみた。

熱心に映画の話をした。

クニさんは出るとも出ないとも言わず、ニコニコと聞いていてくれた。

緊張していたせいか、少し記憶が飛んでいる。

「ハモニカ工場」と言う小説を映画にしたいと思っていた。

「ハモニカ工場」は早乙女勝元さんの青春小説。この小説の映画化権を僕は持っている。

若者の映画だけど、どうしても田中邦衛さんにやってもらいたい役があった。

クニさんの役はハモニカ工場の工場長の役でハモニカの達人、ハモニカの音色で、ハモニカを作った人の気持ちが判る。

暗い気持ちで組み立てるとハモニカの音が濁る、幸せな気持ちなら明るい音になる。だからハモニカ工場で働くみんなには明るい気持ちで働いてもらいたい、そういう人だ。(今、手元に原作が無く、小説と自分が書いたシナリオが混同しているかも?)

物語の舞台は昭和29年。ハモニカ工場で働く主人公の正一が、ガールフレンドのチヨエの誕生日にオルゴールを贈る事を決める事から始まる。

だが不況の時代である、正一のわずかな給料は全部家に入れている、恋人にオルゴールを贈るから千円欲しいとはとても言えない。

(オルゴールは上野、松坂屋で千円だ!)

だが、仲間の協力と工場長の特別な計らいで、正一には毎日1時間の残業が許される、残業の自給は35円、なんとか1ヶ月残業させて貰い、そのお金で、チヨエにオルゴールを買ってあげよう・・・そんな計画。

しかし、さまざまな事件が起きる、正一はオルゴールを無事にプレゼント出来るのか?・・・

原作「ハモニカ工場」の初版本は昭和31年に出た。物語の舞台の昭和29年はまだ戦争が終って9年しか経っておらず、ハモニカ工場で働く若者の誰もが戦争の記憶を背負っている。朝鮮戦争があり、自衛隊が発足し、時代はまた、暗い方向へ向かっていくのではないか、そんな危機感を持っている。

そんな中でも若者は恋愛し、明るく人生に立ち向かっていく。

話の中には友情も愛情も、悲しみも憎しみも......そして幸福感。
僕が映画に求めるすべてのものが入っている。

大作ではないし、激しいアクションもない、暗い地味な話だけど、見終わって、ちょっと心が温かくなって、明日もがんばろう、と思えるような物語。

実はこの小説、「明日をつくる少女」というタイトルで昭和33年に一度映画化されている。

それでも長く助監督生活を続け、映画監督としてデビューするなら...... と考えた時「ハモニカ工場」を映画にしたいと真剣に思った。

まず出版している「未来社」に連絡し、シナリオ化する許可をもらった。

シナリオを書き上げ、原作者、早乙女勝元さんに送る。

「明日をつくる少女」のシナリオを書いていた山田洋次監督にも読んで欲しいとシナリオを送る。

おふたりから丁寧なお葉書をいただいた。

申し訳ないけど、送り主に何の許可も無く、それらの葉書をアップしておきたいと思う。 

この二人以外にも映画製作会社、ハモニカを作ってる会社、チヨエ役をやって欲しいと思っていた女優さんの事務所・・・さまざまな所にシナリオを送った。

だが、このシナリオにお金を出してくれる人は現れなかった・・・

そして・・・

映画にならないまま、最初に企画した時から28年の時が流れてしまった・・・

「よし、映画作らせてやるよ、いくら要るんだい」という人の登場を待って、noteには、この記事を毎年アップしている。

2019年5月。まだ映画化あきらめてません。




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