不懂(わからない)世界に飛び込んで

•中国で、韓国人の教会に行ったお話

中国に行って、もちろん周りは全て中国語、わからない!という状況の中、私はもう一つわからない世界に飛び込んでいました。

私の大学の寮は2人部屋だったのですが、ルームメイトは韓国人で、クリスチャンでした。その影響で、日曜日には一緒に韓国人が集う教会に行くということが一つの習慣となっていました。

•礼拝の後は、みんなでビビンバを

中国に来ている人たちですから、多くは中国語もできる方ばかりですが、やはり韓国人どうしが集まれば会話は全て韓国語になります。私はみなさんとなんとか中国語で意思疎通を図りつつも、韓国人の中に日本人1人というアウェーな環境に身を置きました。幸い、日本語学科の学生や、独学で日本語を勉強しているという方にも恵まれ、わからないなりに自分で聞いたり、推測したりしながら牧師さんのお話を聞き、賛美歌を一緒に歌い、みんなでお昼にビビンバを食べたのは良い思い出です。

(教会というところ自体が、自分にはあまり馴染みのない場所だったので牧師さんのお話のほとんどはさっぱり理解できませんでしたが^^;)

•行って良かったこと

このような環境の中で、自分が語学の習得のためにやって良かったなと思うことがありました。それは、自分のことを話す時間というのがあることです。

教会では、若い学生が少人数で集まって、礼拝のあとに今週自分にとって大変だったことや、これから頑張りたいことなどを話す時間がありました。振り返ってみると、この時間は勉強中の自分にとって文章を話すいい練習になり、効果的だったと思います。

というのも、ふだん学校では授業で練習する時間というのがありますが、人数も多く、時間も十分確保できているとはいえません。また、話す内容も日本の社会はどうなっているとか事実がほとんどで、そこに自分の意見を加えることはあってもなかなか自分のことを話す機会というのは多くないものです。

反対に(?)、友達との雑談では、ある程度簡単な内容を話すことも多いです。例えば、自分と同じくらいの語学レベルの友達でも、語彙の範囲は必ずしも一致しているわけではなく、そうするとだんだんよく使う単語というのが固まってくるようになります。ご飯何食べる?とか、これは好きだ、などの会話の中で、自分の内面について話すことはめったにありませんし、伝わればいいという精神でいるので、ちゃんとした文章で話そうという意識に欠けているところもありました。

また、このような反省や抱負を話す機会があることによって、次の週はどのように過ごそうかということがより明確になり、有意義に過ごせたという面もあったかなぁと思います。

周りがわからないことだらけの環境、面白いですよ、ということを書くつもりが思いがけず語学の習得の話になってしまいました。

次はこれに関連して、語学のお話をしようと思います。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!またお会いしましょう^^

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