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一九四〇年 宜蘭⑴ - 蘇澳で会った和歌山県人の話

蘇澳は妓業もさかん

朝一番に花蓮港を出発した乗合バスは臨海公路を走り有名なタッキリ渓を経て進む。断崖絶壁を開削した道路はまさに「華陽国志」の蜀道に劣らぬ壮絶な景色で、バスが揺れる度に隣の爺婆は法華経を唱えヒヤヒヤ、ヒヤヒヤ。ようやく昼過ぎに蘇澳に至る。蘇澳は小振りながらも天然の良港であり港は大小船ビッシリとまるで和歌(浦)や大浦のよう。豆腐岬という変わった名前の地名があるのも面白く、漁業商業に妓業もさかん。蘇澳は元々支那人蘇氏が開拓したためその名があると云うが、実際は沖縄人も多く開拓し沖縄部落も多い。

戦中の誹謗中傷も仲々に酷い

開拓当初、蘇澳の蕃害は鬼来迎の如く酷いものであったが、改隷(日本統治)後その蛮風も漸々消滅し、今や蕃人は性温厚にして台湾善民の鑑と賞されるようになった。殊に宜蘭蕃女遭難之件(※昭和十三年十月に蕃人の少女が日本人警察官の荷物運びを手伝っている最中に沢へ転落し死亡した事件を指す。このエピソードより『サヨンの鐘』という宣伝映画がつくられた)はその最たるもので、総督府や新聞社は模範蕃婦などと持てはやし美談に仕立てたが、元はと云えば猛雨のさなかに無理やくたに徴用され命を落とせられたのだから酷い迷惑である。彼女の父兄には数百円の見舞金が寄せられたが、これを妬む輩あり、蕃女某は実は醜女である淫婦であるのとけしからん噂を云いふらしている。婦女の生命貞操を汚すウソイツワリ奸悪な不逞の輩はよろしく北海道か樺太の監獄にでも放り込むべきである。

蘇澳冷泉で出会った和歌山県人

蘭陽(※蘭陽は現在の宜蘭県一帯を指す)でも蕃地視察はさかんで、特に蘇澳の南北に蕃社多く、途中トロッコや轎に乗り換えて視察することが出来るのである。紀陽(※和歌山を指す)と同様各地に温泉の多い処で、内外に著名な礁渓温泉をはじめ多数の温泉あり。蘇澳には天然温泉と炭酸水製造所があるが、何でも井戸を掘ろうと試みたところ多量の炭酸水が出てきたのだと云う。建物に装飾を施せば忽ちトレビの泉に勝るとも劣らぬモダン台湾八景となるであろう。一杯飲んでみたところ甜く旨く、経営者は何と和歌山出身であると聞く。

宜蘭に住む天理教の坊主

午後遅くに蘇澳を発ち夜前に宜蘭に到着し一泊、又礁渓温泉で一泊(※蘇澳から宜蘭に行く途中に製材業で繁栄した羅東という町があるが、こちらには立ち寄らなかったようである)。宜蘭は元々五囲と云い、蕃害を防ぐため囲のある町であったが、南洲公御子息(西郷菊次郎)が本格的に建築し比較に繁栄している処であり、中ではカトリックや天理教の坊主が楽器を鳴らし益々賑やかである。近辺は霊泉多く、カタルを治す霊水も有ると云う。軍人は見ない。ただ一つ気に食わぬ処は、百貨店妓楼一つ無い土気の田舎町に過ぎぬのにグレート宜蘭と称し市制を施行せしめんとすることである。夜は比較に閑散としているが、これは近くに礁渓温泉があるから致し方ないことである。

梅田阪急の情けない寿司飯

宜蘭の名物は、或る者は家鴨と云い、有る者は肉羹と云い(※肉のすり身を使ったスープ。淡水の魚丸湯、新竹の貢丸など台湾各地にみられる料理である)、或る者は寿司と云う。蘭陽は稲作盛んで内地よりも安くて旨い米があると云う。内地では精動(国民精神総動員の略語)ヒステリーが跋扈し、ヤレぜいたく禁止だヤレ白飯禁止だヤレ日の丸弁当だと云う為に、米搗棒や南部岩代の梅干やらが矢鱈流行っていると云う。阪急百貨店では寿司の提供を辞めたとも云い、内地では最早白飯は鱈腹に食べられないぜいたく品なのである。リクリクカイカイカントー軍の輩は支那との戦争に碌に勝てもせぬ癖に東亜秩序を遠吠える体たらく、そして自ら贅沢三昧の癖に自分らに節約を強要するのだ。精動の輩もかくのごとし。このやつばらこそまさに勦滅すべき兇悪の病巣である。忌々々々糞喰らってしまえ。米が食べたくなったので近所の洋食屋でオムライスとライトを頼むが、オムライスの中味はビーフンであった。夜遊びはせず。(続く)

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