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一九四〇年 台東⑴ - 潮州・寿峠から台東へ

潮州を出た自動車は寿峠を越え途中何度かの休憩を取り漸く太平洋を眺め台東に至る。昨日の送別会ではなにゆえかような旅程を組んだのかと相当に嗤われたものであるが、自分は内地には帰りたくないし、どうせならえちらおちらと往くにしくは無しと思い、ヨシ、東台湾巡りでもしてみようと思ったのであるが、車中からつらつら太平洋沿いの平地にへばりつくように建てられた部落を眺めていると、山を距てた向こうの町の噂などついぞ聞くことはなかったことに改めて気づかされる。

東台湾はかつて卑南大王の治める蕃人の王国であり現代も陋習多く、例えば小正月の寒単爺(※旧暦一月十三日に行われる、寒単爺に扮した男に爆竹を投げつける祭)等台湾の旧祭は兎に角爆竹の類多く、また元服に際し少年が度胸試しに家畜を刺し殺す祭は野蛮ゆえ総督府より禁止されたと聞く。台東の沖には二島(緑島と蘭嶼)あって、総督府は該島への往来を厳禁しているが、フィリピンより渡り着いた全裸蕃人は性温順、島外より客が来れば必ず接吻すると云うのが理由とか。

観光案内によると知本温泉は台東第一の名湯と云う。どうせ一生行けなくなる場所であるなら一度は入浴したいものであるが、この他花蓮港には玉里温泉、宜蘭には礁渓温泉にポンポン温泉あり、さぞかし美女も多いことだろう。しかし途中屏東台東の中間に聳える大武山谷は山万丈にして谷千仞、前にそびえ尻屁(しりえ)に誘う箱根よりも遥かに険阻であり、そもそも台湾を東西に貫く道路は新らしい南廻道路を除いてはいずれも獣道に毛の生えた程度で、高雄の知り合いからは台東へ迄行くなら船旅の方がましだと忠告されたほどである。

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