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各言語の「アウラ、自害しろ」の文法を検討してみる

アニメ「葬送のフリーレン」にはまって外国語の学習に使っているという記事を先日書いた。

このアニメでミームになっている「アウラ、自害しろ」というセリフを各言語版で切り抜いた動画(https://www.nicovideo.jp/watch/sm43300923)がニコニコにあったので、この記事では自分の知識の範囲内で、各国語の「アウラ、自害しろ」を文法的に分析してみる。語学としてはただのお遊びのネタなので、ゆるくいきたい。

各言語の「アウラ、自害しろ」
英語                       Aura, kill yourself.
スペイン語            Aura, quítate la vida.
南米スペイン語     Aura, suicídate.
フランス語            Aura, suicide-toi.
ドイツ語                Aura, bring dich um.
イタリア語            Aura, tagliati la testa.
南米ポルトガル語 Aura, se mate agora.
ロシア語                Аура, убей себя.
タイ語                    ออร่า จงฆ่าตัวตายชะ

元動画にあるヒンドゥー語とタミル語は文字体系が分からないので断念。スペイン語とイタリア語も未習で、筆者には親戚言語の知識しか持ち合わせないことを予め断っておく。(詳しい方は訂正のコメントをくれるとありがたいです)

1、日本語 (アウラ、自害しろ)

すべての基本となる原語の日本語は「アウラ、自害しろ」(言うまでもないんだけど)で、「自害」という言葉がちょっと珍しい。「明鏡国語辞典」によると「刃物などで、自分の体を傷つけて死ぬこと。自尽。」とあり、精製版日本国語大辞典では「自分で自分の身を傷つけて死ぬこと。近世では、男の切腹に対して女がのどを刺して自殺するのにいう。自刃。自尽。自殺」と出ている。かなり古くからある言葉のようで、初出は「延喜式(927)」とあった。「自身を傷つける」という点を前面に出しているのが「自殺」とのニュアンスの違いで、例えば睡眠薬で自ら命を絶つ行為は「自害」と言うには確かに抵抗がある。この言葉が外国語に訳されると「殺す」とか「自殺する」のようなニュートラルな表現になってしまうので、「首切り役人であるアウラが自らの首を刃物で切って死ぬ」という物語上のコントラストが言葉の上では弱まってしまうことになる。

2、英語(Aura, kill yourself.)

kill は「殺す」という意味で、yourself は you の再帰代名詞。再帰代名詞は主語と目的語が同一であることを示す。この文は命令形だから、主語は you である。英語の場合、再帰代名詞の意味を担う (self) に主語が何であることを示す要素 (one's) が義務的に必要というのが特徴で、意味としては冗長になっている。(「あなたはあなた自身を殺しなさい」より「あなたは自身を殺しなさい」の方が意味の重複が少ない)こうしてみると英語の再帰代名詞って独特なのだが、同じような形態をしている言語はあるのだろうか。

3、スペイン語(Aura, quítate la vida.)

la は定冠詞女性形、vida は「命」という名詞。quitarse (取り除く)という再帰動詞が命令形になったものが、quítate のようだ。調べていくと、スペイン語の命令法の形は、単数の場合、直接法現在の3人称単数と同じ形になるそうだ。ただ、quitar の直接法現在3人称単数は、quita で、それに再帰代名詞teが語尾について、quitate となるのかと思ったが、再帰代名詞がついてもアクセント移動が起こらないため、後ろから3番目の音節にアクセントが来てしまい、スペイン語としては例外的な位置となってしまうので、i にアクセント符号が振られている、と解釈した。多分、文字の上では1語なんだけど、音としては別まとまりであるという意識が反映されているのではないか。 

4、南米スペイン語(Aura, suicídate.)

suicidarse が原形で意味は「自殺する」。やはり再帰動詞だが、suicidar という動詞は存在しないようだ。形としては再帰動詞の命令形一語という構成。

5、フランス語(Aura, suicide-toi.)

フランス語でも、se suicider 「自殺する」という語の命令法になっている。フランス語では代名動詞というカテゴリーに入るのだが、普通の文では、se suicider d'un coup de revolver 「ピストル自殺をする」のように再帰代名詞が動詞の前に来るのに対し、肯定の命令法では動詞の後ろにハイフンを添えて表示する。おもしろいのは、動詞の後ろに置かれた代名詞は、me(一人称)te(二人称)の場合、強勢形になることだ。単独で使う場合や前置詞の目的語ではこの形になる。フランス語の文法のなかでは比較的目立つ特徴だ。

6、ドイツ語(Aura, bring dich um.)

dich は再帰代名詞4格だが、du「君」の直接目的語と同じ形になる。ドイツ語では、再帰代名詞か人称代名詞なのかの区別が形からはつかない場合がある(英語ならば yourself か you かで分かる)が、格の種類がすぐに分かるところが特徴的でおもしろい。bring…um はこれだけで一つの動詞でドイツ語の特徴である「分離動詞」だ。元の形は、umbringen で英語の kill に相当する。分離動詞は、述語として用いられる場合に前つづりと基礎動詞に分かれ、前つづりは文末に移動するため、dich を挟むかっこうになっている。

7、イタリア語(Aura, tagliati la testa.)

手元にある書物で調べると、la が定冠詞女性形、testa は「頭、首」という意味だそうだ。tagliati は、tagliar 「切る」が命令法の taglia に変化したものと、ti という再帰代名詞がそこに加わった形だと思われる。イタリア語では、1人称、2人称で再帰代名詞と補語人称代名詞が同じ形になり、「~を」と「~に」にあたる直接補語人称代名詞と間接補語人称代名詞も形が変わらない。ここでは、la testa という「~を」にあたる直接補語があるので、-ti は間接補語と解釈した。「再帰代名詞が間接補語の場合。間接補語は「自分において、自分のために」という意味合いになり、訳されないことも多い」(浦 一章『ゼロから始めるイタリア語』三修社)とあるので、結局は「お前のところにある首を切れ→お前の首を切れ」という意味になる。ただ日本語で「首を切る」というと「解雇する」の意味も持ってしまうし、(もちろん、この文脈でそう誤解する可能性はないが)そもそも「(身体の一部を)切る」という表現は必ずしも切断を意味しない。「昨日包丁で指を切った」という文を指が切断されたと解する人は少ないだろう。フリーレンがアウラに「首を切れ」と命じた結果、アウラが首筋に切り傷を入れるだけだったら、いろんな意味で問題がある。もちろん、イタリア語の tagliar はそういう意味ではないと思うし、単純に日本語の翻訳するときの問題だが、ここでは「首を切って落とす」という意味がある「刎(は)ねる」という日本語が一番意味のズレがないだろう。

8、南米ポルトガル語(Aura, se mate agora.)

se は再帰代名詞3人称単数複数、mate は「殺す」の意である matar の命令形(接続法現在)。agora は「今」という意味。ポルトガル語はいろいろとおもしろくて、まず3人称の再帰代名詞が使われているが、実質的には2人称を指している。詳しくは割愛するが、ブラジルのポルトガル語では2人称代名詞がほとんど消えていて、3人称に取って代わられている。また、肯定の命令文で動詞ではなく代名詞が先に来るのは、ブラジルポルトガル語の大きな特徴と言える。数年前にブラジルの語学学校に通ったとき、代名詞から命令文を始めるのは「教科書では誤りとされているけど、だれもが使っている用法」だと講師の先生は言っていた。ポルトガルのポルトガル語ではこのような肯定の命令文はまず見ないが、ブラジルのポルトガル語の本とかではけっこう頻繁に見かける。agora がなぜ加わっているのかは、よく分からないが「今となっては」というニュアンスを出すためだろうか。これ単体で分析するのは難しい。se mate だけでは語呂としてよくなかったとかそういう感じかもしれない。ちなみに、ポルトガルのポルトガル語だったら、Aura, mata-te agora となると思われる。

9、ロシア語(Аура, убей себя.)

убей が、убить 「殺す」の命令形、себя が再帰代名詞なので、kill yourself そのままなのだが、ロシア語の себя は英語と違ってその語自身に主語を明示しない。yourself も myself も himself もすべてロシア語にしたら、себя になってしまう可能性がある。ロシア語を勉強している身としては、убей が文法的に熱くて、これはロシア語の命令形の例外なのだ。詳細は省くが、別個で覚えた方がいいタイプの活用である。пить (飲む)や лить (注ぐ) など同じ活用をする動詞もあるので、例外とは言い切れないが、少なくとも一般的な命令形の作り方とは異なる。 

10、タイ語(ออร่า จงฆ่าตัวตายชะ)

「アウラ」が、ออร่า になってる時点でタイ語はおもしろい。この通りに読むと「オオラー」みたいになる。จง は「~せよ」という意味の文頭に用いられる形式で、「次の空所を埋めなさい」のような試験の解答で使われる。そうすると文脈にふさわしくないように思えるが、「自害しろ」という言葉には魔法の効果もあって、権威性みたいなニュアンスを帯びるということだろうか。(もしくは単に私の聞き間違い?)ฆ่า が「殺す」ตัว が「体」ตาย が「死ぬ」だが、ฆ่าตัวตาย がひとまとまりで「自殺する」という意味になるらしい。「体を殺して死ぬ」というふうに捉えられなくもないが、熟語として解した方がいいだろう。ชะ  は「~しろ」にあたる文末詞で、『プログレッシブ タイ語辞典』によれば、「吐き捨てるような口調で下す命令」とあり、なかなか実感がこもっている。

まとめ

以上、自分が知ってる言語で可能な限り各国の「アウラ、自害しろ」を文法的に検討してみた。このセリフはネタにすぎないが、ヨーロッパの言語だと再帰代名詞や命令形の違いが浮き彫りになるので、なかなか味わい深い。ロマンス系の言語では、代名詞の位置の違いが特徴的だし、分離動詞のドイツ語、命令形の例外が出て来るロシア語、何気に再帰代名詞がもっとも発達している英語など、各言語らしさがよく表れている。勉強したことないスペイン語やイタリア語では、ただ文法規則を追うだけになってしまったが、触れたことのある言語は文法的側面以外でもニュアンスが伝わってくるから語学学習は不思議だ。

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