殺人犯の親と被害者の親はなにが違うのか。神戸市児童連続殺傷事件の手記を読み比べた。
神戸市児童連続殺傷事件。
酒鬼薔薇事件とか、少年A事件とも呼ばれる。
1997年神戸市須磨区で発生、小学生2人が犠牲になった。
犯人が14歳だったことから少年法改正の議論を巻き起こした。
私は犯人の少年と同年代であるため、当時からこの事件には関心がある。
中学生だった私にとって、同じ中学生が人を殺せるというもの驚きだったし、警察を挑発するような手紙や、遺体を残忍に扱うことなど、とにかく理解の範疇を超えていたのだ。
今は人の親となり、関心があるのはむしろ
加害者の親は、子どもとどのように関わっていたのか、だ。
もちろん、未成年とはいえ事件の責任は本人にある。
親が立派でも、懸命に子育てをしても
子どもがそのように育つと決まっているわけでもない。
しかしこの事件は、加害者と被害者双方の親が手記を出版している。
自分の子どもが絶対に犯罪の加害者にならないとは限らない。
加害者にさせないためのヒントが手記にあるのではないだろうか?
読み比べての感想を以下に記す。
「少年A」この子を生んで・・・
父と母悔恨の手記 感想
まず、同居していながら息子が犯人だとまったく気づいていなかったのが不思議だ。
何度も学校に暴力やらで呼び出されていたのに、どうしてもっと対策をしなかったのか。母親は専業主婦だそうだから子どもと関わる時間もあったはずだ。
息子本人の個性を見るよりも「長男だから」「男だから」といい、「男の子だから」と中学生の飲酒や喫煙を大目に見る父親・・・。
少年Aの親に限らないが、暴力はれっきとした犯罪であり、
犯罪行為を「男の子だから(仕方がない)」とか「やんちゃ」で済ませようとする親には憤りを感じる。身体を張ってでも止めるべきだし、性別を言い訳にしないでほしい。
個性よりジェンダーを上位に考える親は令和の現代でも珍しくはなく、
私の周りの、高所得だったり高学歴だったりする親たちにも散見されるが、性別を犯罪の免罪符にするなと言いたい。
しつけの一環で体罰をしていたのにも引いた。
「申し訳ない」と繰り返し書いているが、だったらなぜすぐに謝罪の手紙を出さなかったのか、山下彩花さんと土師淳くん家族への謝罪の手紙が一字一句同じなのはなぜなのか、あきれてしまう。
申し訳なく思っているのは事実なのだろうが、被害者家族が生きた心地もしないような時間を過ごしている間(息子さんが行方不明になってから、不眠で食事も喉を通らず捜索している)、加害者の父親はのんきにゴルフに行ったりパチンコに行ったりしているのがやりきれない。
凶悪な親でも、邪悪な親でもないが
子育てについてはズレている、というのが私の感想だ。
だがこういう親は他にもいるだろうとも思った。
「淳」感想
いっぽう、被害者となった淳くんの父親の手記である。
加害者の親といちばん違いを感じたのが
「淳は〇〇が好き」
「淳は〇〇な性格」
と、子ども本人をよく観察していらっしゃることだ。
淳くんが愛されていたのがよくわかる。
しかし、愛するわが子が行方不明になってからは
涙なしには読めない。
自分だって、わが子が行方不明になったら食事も食べずに探すだろう・・・
家族も生きた心地がしなかっただろう
父親は放射線科医であるが
「医師といっても放射線科勤務医なので、
身代金めあての誘拐はないだろう」と思っていらっしゃったようだ
が、一般の人からすれば医師が勤務医だろうが何科であろうが
高所得のイメージはあるし、これは少し甘いかなと感じた。
当時中学生だった私が感じたこと
犯人の少年を「ふつう」という報道が多かった記憶がある。
しかし、暴力で学校から繰り返し親に注意がいくなど
「ふつう」だとは思えない。
「ふつう」というのは、
子どもを一人一人個性的な存在だと認識して観察することなく、
目立った子以外はひとくくりにするだけではないか。
当時わたしが考えたのは
今自分が何らかの犯罪行為に手を染めたとしても
やはり「ふつうの子だった」と言われるんだろうな・・・ということだ。
それは、「すごく目立つ子どもではなかった」「だから特別な関心を払われていなかった」というだけだ。
せめて親だけは、子どもがどんな性格で、何が好きで、何に悩んでいるのか関心をもってあげてほしいし、私もそうしよう。
淳くんのお父さんがそうであったように。
淳くんの御冥福をお祈りいたします。
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